Filles Uniques, tome 3 : Sierra

Front Cover
BeKa (Scénario), Camille Méhu (Dessin, Couleurs), Filles Uniques, tome 3 : Sierra, Dargaud, 2022.

パロマとセレステの抱えていた問題を首尾よく(?)解決したはみ出し者クラブが、続いてシエラの救済に取り組む第3巻。これまでの二つの巻でなされた問題解決の手続きとその結果を合わせてふまえると、著者がこのシリーズで本当にやりたいことの片鱗が現れはじめたと言える。孤立して困っている人を互いに助けようという単なる相互扶助的な動機にとどまらず、ひとつ誤れば社会を敵に回す危険思想になりかねない領域にまで踏み込もうという挑戦的な問題意識があるんじゃないだろうかと思える。その意味で僕はこのシリーズにかなり興味を惹かれるようになってきた。しかし、だからといって作品のあらゆる側面に好意的な評価を持てるわけではないという点ではこれまでの巻と同様だ。

この巻の本編で焦点となるシエラが抱えているのは、自分を苦しめている問題について誰にも話すことが出来ないという葛藤だ。もし話してしまえば自分が笑いものになってしまうだろうという危惧と、あまりにも破廉恥な内容であるためたとえ仲のいいクラブのメンバーであってもおいそれとは打ち明けにくいという事情がある。シエラを苦しめている問題を引き起こしたのは二人の人物で、ひとりは以前付き合っていたボーイフレンドのマロという少年で、もうひとりは自分の母親だ。

問題を引き起こした当事者である悪人を処罰すればいいじゃないかという発想をこの著者は取らない。その点で第1巻および第2巻と同様だ。結論から先に言うと、シエラは自分の胸の内に隠していた秘密をすべてクラブのメンバーに打ち明け、さらに母親を捨てて家を出るという決断に至って、一応の問題解決を見たことになっている。問題解決に必要だった正味の時間はほんの十数分にもならないだろうけれども、そこに辿り着くまでの過程に本書のページの大半を費やしている。

この第3巻がこれまでのストーリーをふまえたうえでどのように新しい問題を取り扱っているかという点に着目してみると、まずアドリアンがかなり話の前面に出っぱなしで重要な役割を担っていることに驚かされる。リゼロッテの後を継いで後見人としてパロマと同居しているから出番が多いという意味ではなく、この第3巻で提示される新しい問題、すなわちシエラをどうやって救済するかという問題にも深く関わっている。いい年したおじさんである以上、少女ばかりのはみ出し者クラブに加わるということはありえないだろうけれども、それでもまるで実質的にクラブの6人目のメンバーでもあるかのようにシエラの救済に重要な役割を果たしている。また、アドリアン自身が悲惨な過去を背負い、今もなおその原因となった脅威にさらされているという現状のもと、本来なら庇護される立場であるはずのパロマにその問題に立ち向かわせるといった相互的な関係が描かれている。パロマの成長ぶりは読者を唖然とさせるほどだ。

直前の第2巻で主役を務めたセレステは、最終的にケロニアの家に引っ越して同居を始めることによって一応の問題解決に至ったんだろうと読者は受け止めるはずだ。しかしながら、彼女を苛むストーカーがいなくなったにもかかわらず、セレステはいまだ安穏とした精神生活を送ることが出来ないということが明かされる。最終的にセレステは自ら決断して自分の抱えている問題を認識して克服するんだけれども、その決断はシエラの勇気ある告白に触発されてのものだ。こういった登場人物が互いに良い影響を与えあう関係がちょっと意外でありながらそれでいて説得力を持って描かれていて心地よく感じられる。とはいっても、忘れてはならないのが第2巻の巻末で明かされたケロニアの秘密だ。ケロニアは、本人の言葉が真実ならばとんでもない犯罪を犯したうえでしれっと澄ました顔して平穏な日常生活を送っている常軌を逸した狂人であり、その秘密を聞かされてもまったく動揺もせず同居生活を送っているセレステもまた程度の差こそあれ、頭がどうかしているとしか言いようがない。このふたりの同居生活が砂上の楼閣であることをもちろん作者は忘れているはずもない。いつか爆発する時限爆弾のようなものを抱えているというサスペンスが僕は気掛かりでならない。不思議なのは、この時限爆弾的な伏線に作者がこの第3巻を通してまったく触れていないということだ。もしある読者がこの第3巻だけにしか目を通さなかったならば、ケロニアとセレステの共同生活は何て微笑ましく慈愛にあふれたものなんだろうと勘違いするに違いない。

前巻からの継続ということで言及しておかなければならないことがある。僕は第2巻のレビューでこう書いた。

しかし、ケロニアの家の台所でセレステの目つきをクローズアップで描いたり、歯ブラシの入ったコップだけを描いたりした一連の箇所についてはいまだに意味不明で、単純に著者の狙った何らかの意図が失敗しているようにしか思えない。

このセレステの妙な振舞いについては本巻において説明がつくようになっている。つまり、伏線が解消されたといっていいんだけれども、この伏線的な描写は第1巻で意味ありげに挿入されていたものだ。続く2巻でセレステを苛んでいたストーカーの件が一件落着して、さらにこの第3巻でシエラを主役に据えた話が始まってからやっとのことで、あの件はそういうことだったのかと読者は了解することができるわけで、ずいぶん気の長いことやってるなと感じずにはいられない。

本巻の主役であるシエラの救済は、前述したように本人が胸の内に隠している秘密をすべてクラブのメンバーに打ち明けさせること、そして母親を捨てて家を出ることによって成就されたことになっている。しかし、家出はあくまで問題解決した後の付け足しのようなもので、あくまでシエラ本人による告白をどうさせるかという点に重点が置かれている。本人の言いたくないことを言わせるための話作りのうえでの工夫、およびその説得力のある動機付けが丁寧になされていてまるで実際にあった人生相談を読まされているかのようなリアリティがある。

引用画像その1
シエラの母親は自堕落な毎日を送り、娘を顧みない

この巻では、読者をハラハラさせるようなリアルタイムで進行する出来事らしい出来事といえば、刑務所帰りのアドリアンの父親が息子の居場所、すなわち同居しているパロマの家を訪ねてくる場面くらいしかない。話のすじの大半は秘密の告白へと促されるシエラの描写に費やされていて、つまりシエラが過去に体験したことをすべて話してしまえばそれでほとんど話が終わりと言っていいほどだ。ともすれば、ただページ数を稼いで解決を先延ばしにしているだけに見えかねないところを、場面転換による対比を繰り返して巧みにシエラの心情へ読者を寄り添わせ、このとっつきにくい少女への共感を引き出すことに成功している。そのシエラが自ら恥ずかしい秘密を語っていくうえで効果的に用いられているのが、アドリアンとの交流、そしてケロニアの家で同居生活を始めたセレステの描写の二つだ。パロマの新しい後見人であるアドリアンのことを当初シエラは激しく疑っていた。男なんてみんな同じという意味で。かつてボーイフレンドだったマロの仕出かしたことをふまえていることは言うまでもない。そんなシエラが徐々にアドリアンに心を開いていく過程は、クラブのメンバーに自分の抱えている葛藤を段階を踏んで話していく過程と重なっている。その一方で、場面が切り替わってセレステがいまだに抱えている心の問題を打ち明ければ、ケロニアが親身になって話を聞いてくれる、理解を深めてくれるといった親交の深さが描かれる。そのとき、シエラが母親との二人暮らしでどんな惨めな思いをしているかということが場面転換によって対照的に読者に提示される。アドリアンとの交流のおかげで徐々に秘密の告白へ向かってポジティブにシエラを突き動かす衝動がある一方で、とても打ち明けられたものではないひどい母親との私生活を露呈させることで真逆の衝動をも提示している。まさしく引き裂かれるような思いを体験しているシエラの心中を察すれば、初登場時からの彼女のヒステリックな振る舞いもよく理解できるというものだ。

シエラはアドリアンと交流を深めていく中で確かに心を開いて、恥ずかしい秘密の告白へと促されてはいる。しかしながら、アドリアンがシエラに与えるアドバイスにはちょっと腑に落ちない部分もある。アドリアンがパロマと共にシエラを誘ってドライブに連れて行った時のこと。シエラは自分の抱えている問題について、母親がひどく自堕落な生活を送っていること、その母親が男たちにひどい扱い方をされるがままになっていることなどを明かしている。それを受けたアドリアンは大まかに二つのことをアドバイスしている。親というものは子の生き方に必然的に影響を及ぼすけれども、それに縛られてはいけない、子は親とは違う自分の可能性を切り開くことが出来るということ。そしてシエラには話相手になってくれて助けてくれる誰かが必要だということの二つだ。この二つ目のアドバイスはかなり不自然に聞こえる。アドリアンはなぜ自分がその話相手、助けてくれる相手になろうとシエラに言わないのか? もっとも、シエラが隠している秘密をすべて知ったあとの読者の視点からは、たとえアドリアンが親身になってシエラに接したとしてもシエラにすべてを語らせるなんて到底できないだろうということは自明だ。すべてというのは、シエラとマロとのあいだにあった出来事だ。シエラはアドリアンとのやり取りの中で、母親のことは話しているけれども、マロという少年については一言も触れていない。異性であり、年も離れているアドリアンにはとても恥ずかしくて話せたもんじゃないだろう。しかし、アドリアンはその秘密を知る由もないのでもっと積極的にシエラに関わろうとしてもいいはずだ。ここら辺が、第1巻のリゼロッテのパロマに対する不自然な振舞いと同様、じゅうぶんにその能力のあるキャラクターがなぜかその役割を果たそうとしないという不自然さとなって目についてしまっている。シエラがアドリアンに心を開き、思わずマロとのあいだの出来事を口に出そうとしてしまって思いとどまる、といったような心のうちの葛藤を描く絶好の機会にすることも出来たはずだ。こういう類の同じ瞬間の相反する心理の描写をこの著者はまったくやろうとしないのがもったいないと思わざるをえない。

引用画像その2
マロの常套手段の犠牲になってしまう気の毒なシエラ

本編にはどうしようもないほどの悪人が3人登場する。一人はシエラの元ボーイフレンドのマロという少年。そしてそのマロと同様、シエラを苦しめている元凶である母親。もう一人がアドリアンの父親だ。このうち、シエラの母親とアドリアンの父親についてはともに人間の屑であることが非常にわかりやすく描写されている。そのいっぽうでマロという少年については物足りない。第1巻で初登場した際にはモブキャラのようにしか見えなかったキャラクター描写の薄さがこの巻においても変わっていない。マロが実際にやらかしたことを思えば、なぜそこまで堕落してしまうのかということに説得力が乏しい。現実にマロのような少年がいるかと言えば、そりゃいるだろう。刑事犯罪にでもならない限り報道されることがないから世間に知られていないだけであって、日本でも探せばいるはずだ。しかし、現実にありえるかどうかということではなく、見境なく関係を深める性衝動と、とぼけた顔して人を騙しつづける厚顔無恥な性格を持ち合わせた本人の精神状態がどういうものなのかという点で作り物っぽく感じられてしまう。唯一、絶妙な出来だといえるのは、マロがシエラに送ったラブレターの文面だ。シエラには気の毒だけれども思わず笑いがこみあげてくる代物だ。僕の率直な感想を言うと、19世紀の文学青年とかがこういうラブレターを書いたというのであればすんなり納得がいくけれども、スマートフォンの時代にもなって本当にこんな手口でまともに口説くことが出来るのかと驚いた。もちろん本作はフィクションだけれども、著者はマロのラブレターの文面に多かれ少なかれ若い少女たちの恋心に訴えるリアリティがあるという前提でもってこのアイデアを採用したはずだ。言うまでもなく荒唐無稽ではあるけれども、その荒唐無稽さが二人っきりの閉じた精神世界へと誘うロマンチシズムと表裏一体だという点にこそ、初恋に胸躍らせる乙女心を惑わすリアリティがあるように思えて感心してしまう。

引用画像その3
刑務所帰りのアドリアンの父親相手に啖呵を切って追い払うパロマ。成長著しいのは結構なことだが、顔つきがたくましすぎる。第1巻の表紙とは別人みたいだ

絵柄についてはこの巻において気になって仕方ないほど目につく変化が表れている。シエラやパロマのような主なキャラクターの顔つきから受ける印象がこれまでとは違っている。全体的にガラッと変わってしまったのではなく、あくまでところどころだけれども。はっきり見て取れるのは眼の描き方の変化で、これまではどちらかというと黒目を縦方向にほっそりとした形で描いていたのが、この巻では丸っこく描かれている箇所がとても多くなっている。それから、下まぶたの輪郭の部分で実際に黒い線を引いてほぼつないでしまう描き方。そして瞳の中に黒以外の色を使って輝きの表現、いわゆる「星」のたぐいをやっていること。こういった特徴が目について、正直言ってあまりキャラクターに合っているようには見えない。もちろん、それは好みの違いだと言うことも出来るだろう。それでも、同じキャラクターの同じ素の顔はもう少し全体的に安定して描いてほしいという文句くらいは言ってもいいんじゃないだろうか。丸みのある温和なまなざしは快復途上にあるセレステにはとてもよく合っていて、このキャラクターだけはこの巻を通してごく自然で本来こうあるべきといったもののように感じられた。

シエラがパロマの元へ身を寄せたことで、この家ではアドリアンとパロマ、そしてシエラの三人が同居することになる。そしてセレステはすでにケロニアの家で同居している。この住み分けはこの先のストーリーの行く先を占う何かを意味しているだろうか? まず言えるのは、二つのグループのどちらにも血のつながった家族関係がまったくないことだ。アドリアンはあくまでパロマの後見人であって、義理の父親でさえない。そしてケロニアの家に本来いるはずの父親は……ということなので、どちらのグループも赤の他人の同居生活でしかない。シエラがもしアポリーヌの家に引っ越していたならば、レズビアンのカップルとみなすことも出来ただろうが、そうなっていない。つまり血のつながった関係がないだけではなく、性愛によって結びついたカップルの関係も存在しない。ここで思い出してほしいのがアドリアンによるシエラへのアドバイスのセリフだ。親は子の人生観や物の見方に支配的な影響を及ぼすけれども、それに縛られてはいけない。子は親の拘束から離れて可能性を開くことが出来るといったようなことを言っている。前巻でケロニアが明かした秘密は、奇しくもそのアドバイスを実力行使でもって実現したかのような印象を受ける。誤解を避けるために言っておくが、別にケロニアがアドリアンからそのような指示を受け取ったとかそういうことを言いたいわけではない。作者がどういう方向に話を持っていこうとしているのか何となく見えてきたように思えないだろうか? もしケロニアの犯した秘密をパロマやシエラが知ったらどうするだろうか? セレステとは違って、すんなり受け入れはしないだろう。既成の家族の概念を積極的に否定し、よその家庭から女子を拉致してくることをも厭わないケロニアとセレステの過激派が、パロマとシエラの穏健派と対立することになり、アポリーヌがその板挟みになる……なんていう展開を期待してしまうのは僕だけだろうか? もっとも、僕の期待通りに本作のストーリーが進んで行くなどとは微塵も考えてはいない。あくまで個人的な妄想にすぎない。それでもケロニアの秘密という時限爆弾を抱えている事実はあるわけで、あながち的外れでもないんじゃないかとさらに妄想を深めている次第だ。