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   <title>kosame.org</title>
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   <updated>2008-07-31T11:08:22Z</updated>
   <subtitle>国内外の漫画を読んでレビューを書くウェブログ</subtitle>
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   <title>Little Nothings Vol. 1: The Curse of the Umbrella</title>
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   <published>2008-07-31T11:10:00Z</published>
   <updated>2008-07-31T11:08:22Z</updated>
   
   <summary>現在も著者のブログで更新されているウェブ漫画をまとめて収録したもの。日常生活で経験したさまざまな出来事をそれぞれ1ページに収め、原則的に独立したエピソードを寄せ集めたものになっている。</summary>
   <author>
      <name>Mochi</name>
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   </author>
         <category term="Comics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kosame.org/">
	<![CDATA[<dl class="caption" lang="en" xml:lang="en">
<dt><a href="/comic-review/little-nothings-1-the-curse-of-the-umbrella-large.jpg" class="zoom" title="Little Nothings Vol. 1: The Curse of the Umbrella"><img src="/comic-review/little-nothings-1-the-curse-of-the-umbrella.jpg" alt="Little Nothings Vol.1: The Curse of the Umbrella by Lewis Trondheim: Cover" height="223" width="150" /></a></dt>
<dd><ul>
<li><cite>Little Nothings Vol. 1: The Curse of the Umbrella</cite></li>
<li>Author: Lewis Trondheim</li>
<li>Publisher: NBM/ComicsLit</li>
<li>Release: March 2008</li>
<li>Size: 22.7cm x 15.5cm</li>
<li>Format: Softcover</li>
<li>ISBN: 1561635235</li>
<li>128 pages</li>
<li>$14.95</li>
</ul></dd>
</dl>


<h2 class="subhead">レビュー</h2>

<p><cite lang="fr" xml:lang="fr">Les petits riens</cite> の英訳版第1巻。現在も著者のブログで更新されているウェブ漫画をまとめて収録したもの。日常生活で経験したさまざまな出来事をそれぞれ1ページに収め、原則的に独立したエピソードを寄せ集めたものになっている。</p>

<p>この漫画の中に出てくる登場人物としての作者のいちばんの特徴は、本来は偶然に過ぎない現象や出来事をただの偶然で片付けることなく、ことさらそこに意味を見出そうとする傾向にある。その性癖がいくつものユーモラスなエピソードを生み出す元になっていて、決して奇妙でもドラマチックでもない漫画家の日常生活をもおもしろく見せている。偶然の不思議さはあっても、それ自体では取るに足りない物事に対してあれこれ想像を働かせるということはプロの漫画家らしい気質の現れとも言える。実際、作者は即興のユーモアでもって周りの人びとを笑わせる趣味があるようで、好んでおかしな振る舞いをする場面がたびたび見られる。しかし、場を沸かせるために意図的にひねり出されたものよりも、むしろ何気ない日常の瞬間に自然と作者の頭に浮かんだものにこそ独特のユーモアがある。というのは、作者のこの性癖によってしばしば空想が本人も思いも寄らない方向に及び、およそ理不尽で非現実的な因果関係を思い描くにまで至ってしまうからだ。</p>

<p>作者のもう一つの特徴は、自ら経験するさまざまな偶然の出来事についてその幸運と不運の割合にゼロサムゲームのようなバランスを期待してしまうということだ。幸運があまりにも続けば、良くないことがまだ何も起きないうちから不安をめぐらせる。不運が続けば、反動で幸運が訪れると信じ、いまだ不幸な境遇のさなかにもすでに楽観的な気分に浸ってしまう。この特徴は終盤になってから初めて散見されるものであって、全体の雑多なエピソードの数々にくらべればごくわずかの部分的なページを占めているに過ぎない。しかし、作者自身の経験した出来事の叙述が中心となるその他のエピソードと違って、ここでは出来事を解釈する作者の考え方そのものが中心となっている。したがって、あらゆる出来事は当事者にとって多かれ少なかれ幸運か不運とみなされるという考え方に拠るならば、本来は個別でバラバラのエピソード全体を終盤になって強引に総括してみせたと言えなくもない。実際、タイトルの <cite lang="en" xml:lang="en">The Curse of the Umbrella</cite> というのは、作者が旅先で天候不順の折に偶然に傘を拾ったという幸運な出来事とその後に続いた不運な出来事とのあいだにあるはずのない因果関係を見出そうとする視点から来ている。さらに、いちばん最後に収録されているエピソードではこの解釈から一歩先に進んだうえで締めくくっている。このおかげで、原則的に独立したエピソードの寄せ集めで一貫した話のすじのないこの漫画にきっちりとオチがついたかのような読後感をもたらしている。</p>

<p>偶然の出来事を尊重して意味を探る作者の性癖は、ともすればわざとらしく大げさなものと受け止められかねない。読者を笑わせるためのネタとしてことさらに誇張しているんじゃないかと疑われたかもしれないが、実際にはそのように感じさせる箇所はない。その根拠として、作者が漫画を描き始めるようになったきっかけがそもそも偶然の出会いに拠っているということが挙げられる。作者はその後の人生でたびたび拠り所としたに違いないその信条をひとことで言い表している。</p>

<blockquote lang="en"><p>When things fall together, I never fight it.</p></blockquote>

<p>また、幸運と不運が釣り合いを取る形で交互にやってくるという考え方は、あまり大まじめに受け止めるとバカバカしいけれども、多くの読者の共感を催す範囲に留まっていると言っていいと思う。つまり、科学的に何の根拠もないことは言うまでもないことだけれども、それでも作者がそのように考えずにはいられないということを描いていることに要点がある。不運が続いた後に幸運を期待せずにはいられないということは根拠のない気休めかもしれないが、しかしそれは気休めを必要としているどうにもならない心情の現れと言える。同様に、幸運のあとに不運を予期したり、あるいは不運な出来事の原因をそれに先立って起こった幸運に求めたりするのも、精神衛生上の処方箋として作者にとってうまく作用したに違いない。その意味で、決して荒唐無稽な思い込みなどではなく、説得力のあるものとして読者に受け止めさせる描き方になっていると思える。</p>

<p>すべての登場人物は動物になぞらえて描かれており、作者もくちばしのある鳥の一種の顔立ちをしているけれども、このことは特に内容の上で必然性はない。ただ、単純な点や線や丸で作られている表情はこの漫画が多用するユーモアを表すにはじゅうぶんで、まったく不満を感じさせない。</p>]]>
   </content>
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   <title>近頃話題になったXREAの広告の問題について</title>
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   <id>tag:kosame.org,2008://1.224</id>
   
   <published>2008-06-19T10:40:00Z</published>
   <updated>2008-06-19T10:37:48Z</updated>
   
   <summary>このサイトはXREAのホスティングサービスでもって動いていてs221サーバーに置かれています。しかし、ページにバナー広告が表示されることのないXREA+という有料のサービスを利用しており、広告が表示される設定にしたことは開設以来一度もありません。したがって、kosame.orgにアクセスしたことによって昨今報じられているような被害が生じた恐れはなかったと言っていいと思います。</summary>
   <author>
      <name>Mochi</name>
      <uri>http://kosame.org/</uri>
   </author>
         <category term="Notes" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kosame.org/">
	<![CDATA[
<ul>
<li><cite>XREA&amp;CORE SUPPORT BOARD</cite>: <a href="http://sb.xrea.com/showthread.php?p=83947" title="無料ユーザー向け広告配信サーバーの不具合について - XREA&amp;CORE SUPPORT BOARD">無料ユーザー向け広告配信サーバーの不具合について</a></li>
<li><cite>INTERNET Watch</cite>: <a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/06/18/19977.html" title="無料ホスティング「XREA」の広告にウイルスへのリンクが混入">無料ホスティング「XREA」の広告にウイルスへのリンクが混入</a></li>
</ul>



<p>このサイトはXREAのホスティングサービスでもって動いていてs221サーバーに置かれています。しかし、ページにバナー広告が表示されることのないXREA+という有料のサービスを利用しており、広告が表示される設定にしたことは開設以来一度もありません。したがって、kosame.orgにアクセスしたことによって昨今報じられているような被害が生じた恐れはなかったと言っていいと思います。</p>

<p>こういう不手際を経験した場合、多かれ少なかれホスティングサービスの乗換えを検討するものなのかもしれませんが、僕は今のところそういった手間が面倒で、また提供されているサービス自体には特に不満を持っていないので当分のあいだはXREAにお世話になるつもりです。あしからず。</p>]]>
   </content>
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   <title>ルート225</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kosame.org/2008/05/route-225/" />
   <id>tag:kosame.org,2008://1.223</id>
   
   <published>2008-05-31T11:10:00Z</published>
   <updated>2008-05-31T11:06:52Z</updated>
   
   <summary>藤野千夜の原作小説を元に志村貴子が漫画化。パラレルワールドへ迷い込んだ中学生の姉弟を描くジュブナイル。ある日、エリコとダイゴは住み慣れたはずの街のなかで帰り道に迷ってしまう。その不思議な体験を境にして両親の行方がわからなくなってしまった上に、自分たちを取り巻く世界が微妙に変化していることに気がつく。ルート225はこのふたりの姉弟が両親のいる元の世界へ戻るためにあれこれと苦心する日々をたどっていく漫画。友人や家族との関係の機微をめぐる不安や内省のなかに、子供らしい感性を生き生きと、そして時にユーモラスに浮かび上がらせた傑作。</summary>
   <author>
      <name>Mochi</name>
      <uri>http://kosame.org/</uri>
   </author>
         <category term="Manga" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kosame.org/">
	<![CDATA[<dl class="caption">
<dt><img src="/manga-review/route-225.jpg" alt="藤野千夜・志村貴子『ルート225』" height="210" width="150" /></dt>
<dd><ul>
<li><cite>ルート225</cite></li>
<li>著者： 藤野千夜・志村貴子</li>
<li>出版社： 講談社</li>
<li>発行日： 2008年4月23日</li>
<li>判型： B6判</li>
<li>ISBN: 4063731146</li>
<li>284ページ</li>
<li>680円</li>
</ul></dd>
</dl>


<h2 class="subhead">レビュー</h2>

<p>藤野千夜の原作小説を元に志村貴子が漫画化。パラレルワールドへ迷い込んだ中学生の姉弟を描くジュブナイル。ある日、エリコとダイゴは住み慣れたはずの街のなかで帰り道に迷ってしまう。その不思議な体験を境にして両親の行方がわからなくなってしまった上に、自分たちを取り巻く世界が微妙に変化していることに気がつく。<cite>ルート225</cite>はこのふたりの姉弟が両親のいる元の世界へ戻るためにあれこれと苦心する日々をたどっていく漫画。友人や家族との関係の機微をめぐる不安や内省のなかに、子供らしい感性を生き生きと、そして時にユーモラスに浮かび上がらせた傑作。</p>

<p>この漫画のなかでSF的な設定として仕組まれているパラレルワールドは、何よりもまず主人公によってオルタナティブな人間関係の具現化として受け止められる点に意味がある。元の世界とパラレルワールドとのあいだには、エリコが普段は無くすはずのない定期入れを道に落としていたとか、ダイゴの好きなプロ野球選手が微妙に太って見えるといったような比較的どうでもいいような違いもないわけではない。しかし、さまざまな違いの中から、主にエリコによって気づかれていくのは元の世界とは違う自分自身の人間関係の痕跡であり、内省のきっかけとなるものだ。つまり、具体的に何がどう違っているのかということよりも、その違いを人間関係におけるオルタナティブなあり方としてエリコが受け止めること、そういうエリコの姿勢こそがこの作品のテーマにとって重要な点になっている。パラレルワールドにおける両親の失踪に関わる設定は特徴的で、これは元の世界とのあいだのその他のいろいろな相違点とは扱いが異なる。元の世界では健在だった両親がパラレルワールドではある日突然蒸発してしまったなどというのとは違って、同じ世界にいるはずなのに何故か直接会うことが出来ないという、かなり奇妙な現象となって現れている。ある条件のもとでは何故か母親と電話で話をすることが出来るということが、ふたりのいる世界をパラレルワールドだとはっきり認識させると同時に、ふたりに是が非でも元の世界へ帰りたいと願わせ、あれこれ試みさせることにつながっている。その意味で、この特徴は姉弟の行動や推測を促して話を進めていく役割を大いに担っている。</p>

<p>一読して気がつくこの作品の話のすじ（プロット）の特徴は、リアルタイムで進行する出来事のあいだに時間の順序で少しあとの出来事を先取りして挿んでいるということだ。これは主に連載の各回において、全体の話のすじのなかでその回の話のすじが持つ意味をぼやけさせず、メリハリをつけるうえで役立っていると言っていいと思う。こういう時系列が入れ替わっている箇所は三つあるけれども、これらはすべてその回の話の（テレビドラマやアニメで言うところの）アヴァンタイトルを成している。いなくなった両親が帰ってきたのかと誤読させておいて実は現状はこうだというように突き返して読者に印象付けている部分はアヴァンタイトルならではの見せ方。しかし、一般的に言ってあとの出来事を先取りして描くことは必ずしも効果的とは限らない。結果の是非が重視される出来事を描く場合に、先に結果を読者に知らせ、続いてその過程を辿るというのはともすれば興ざめになりかねない。例えば、この漫画では姉弟が母親と再び連絡をとろうと苦心する際に、実際に母親と電話が通じる次の日の場面を前もって描いてしまうところがそれにあたる。これは登場人物が抱えているさしあたりの問題や経験する出来事の軽重よりも、全体の話のすじの流れにおけるその回の話のすじの持つ意味や進展度を重視した時系列の入れ替えといっていいんじゃないかと思う。つまり、エリコやダイゴにとっては苦手なおじ夫婦が家にやってくることとか、母親と再び電話で話せたことなどは普段の生活から見て重大な出来事のはずなんだけれども、そういった出来事を時間の順序のとおりに各話のなかに配置するのではなく、ふたりがパラレルワールドについて知っていく過程の区切りとしての意味を各話のヤマが持つように配置換えをしている、そういう話のすじになっている。この漫画の話のすじの中心が、パラレルワールドの実態について姉弟が知っていく過程だということをふまえれば納得のいく仕組みだ。</p>

<p>この漫画の持つ設定でいいところは、エリコとダイゴが元の世界に戻るための条件に倫理的な意味を持たせていないことだ。パラレルワールドにおいてエリコは自分ではない誰かが自分として振舞った人間関係の痕跡を発見し、それが内省のきっかけとなるわけなんだけれども、その行いに報いるような形でふたりが元の世界へ帰れるようになるという話にはなっていない。友人との仲を修復したから元の世界に帰ることが出来たというような話だったらどれだけつまらなくなっていただろう。もちろん、作者はそのような読者の予想を充分承知していて、登場人物の口を借りてふたりの姉弟のことを「学級文庫の主人公みたい」などと言わせている。しかしながら、このストーリーのSF的な設定はあくまでエリコとダイゴの人間関係における繊細な感性を引き出すために用意されている。とはいうものの、パラレルワールドにふたりが迷い込んだのがまったくの偶然だったとは考えられない。当時ふたりが置かれていた状況と互いの関係を想い起こすと、ふたりの倫理的な問題がその後の異変と無関係のはずがない。したがって、この漫画のSF的設定が行きと帰りの因果関係に対応がない中途半端なものに思えたとしても仕方がない。</p>

<p>SF的設定の中途半端さはこのストーリーのクライマックスとエピローグとの関係にも反映されている。クライマックスが肩透かしなものであるのに対して、エピローグはここで作品の価値が決定するといってもいいくらいに充実している。パラレルワールドにおける他者と自分の期待する他者とのあいだのずれを、元の世界とパラレルワールドとの違いに還元して理解するのではなく、エリコが他者とは変化しうるものだという認識にまで到達し、それを受け入れていることがショッキングでもあり、感動的でもある。それまでさんざんエリコの気を揉ませた元の世界とパラレルワールドとのあいだのさまざまな違いを捨て置かせ、本質的に重要なものは何かということを抜き差しならぬ形で、この若い主人公に突きつけ、その本質と引き換えにすべてを受け入れさせているからだ。</p>

<p><cite>ルート225</cite>は一読しただけではわかりづらいところもあって取っ付きやすくはないけれども、最高にいい漫画だと言うほかない。</p>

<h2 class="subhead">補足</h2>

<p>漫画化に際しての間違いと思える箇所が一つ（あるいは二つ）ある。141ページの2コマ目でダイゴは左胸に「24」と書かれたシャツを着ているが、これはその日ではなく次の日に着るはずのシャツだ。このページが含まれる第6話「じゃないかもしれない」はカラーページで始まっていて、ちょうどそのカラーの4ページに描かれた部分だけが後続のページに描かれた部分の次の日の出来事になっている。カラーページが終わって日付が戻ってからもダイゴに同じシャツを着せてしまうというミスをしているわけ。エリコが二日続けて同じ恰好をしているのはともかく、ダイゴは同じ日の出来事を続けて描いた後のページでは違うシャツを着ているので、やはりまちがいということになると思う。</p>

<p>整理するとこうなる。141ページの最初のコマでエリコが手に持っているのはついさっき新しくおろしたばかりのテレカ（128ページ参照）。つまり、これはまだ日曜日の出来事。はじめは駅（と思われる場所）で電話をかけたがつながらず、場所を替えて公園の脇の電話ボックスで試してみたけれどもやっぱりつながらなかったというやりとりのあとで、たまたまそこを通りかかったマッチョにでくわす。エリコの「今日うちに来た……マッチョ？」というセリフからもこれがまだ日曜日の出来事であることは明らか。エリコとダイゴはそのあとマッチョをつれて家に帰り、ことの次第を説明する。夜になっておじ夫婦がやってくる（152ページ1コマ目の屋外の真っ暗な背景、および123ページ4コマ目のエリコのセリフを参照）。ダイゴはこの日一日を通して、141ページの1コマ目を除いて、無地のシャツを「パンツにイン」のスタイルで着ていることに注目。158ページの3コマ目と4コマ目のあいだの幅の広いスペースが時間の経過を示唆していて、4コマ目以降は月曜日の出来事。マッチョの持ってきてくれたテレカで電話をかけまくるもやはりつながらないという、この一連のやり取りのあいだダイゴが身につけているのは「24」と書かれたシャツ。このダイゴの恰好は時間の順序ではこの直後に位置する前のカラーページで描かれていたときのものと一致する。つまり、ダイゴは日曜日には無地のシャツを、月曜日には「24」のシャツを（少なくとも日中、屋外に出ているあいだは）着ていなければおかしいということになるわけだ。</p>

<p>もう一つの間違いは160ページの2コマ目。ダイゴのシャツには「24」と思われる数字が書かれているが、これではまるで後ろ前に着ているように見える。この月曜日にダイゴが着ているのは前面には左胸に小さく「24」、背中のほうには大きく「24」とプリントされたシャツのはずなのでここもちょっとおかしいということになる。もっとも、ダイゴが一瞬でシャツを後ろ前に着なおしたんだとか、首を180度回すことができるんだという解釈をするならば間違いでも何でもなくなるけれども……。</p>

<p>最後に、このような指摘は作品の価値を何ら損なうものではないということを付け加えておきます。</p>

<p><strong>kosame.orgは志村貴子さんを応援しています！</strong></p>]]>
   </content>
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   <title>Yoko Tsuno Vol. 2 The Time Spiral</title>
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   <id>tag:kosame.org,2008://1.222</id>
   
   <published>2008-04-30T11:20:00Z</published>
   <updated>2008-04-30T11:19:07Z</updated>
   
   <summary>このシリーズの第11巻であるLa spirale du tempsの英訳版。オリジナルは1981年の刊行。未来の地球に破滅をもたらす爆弾の開発を阻止すべくタイムマシンに乗って現在にやってきた身寄りのない少女をヨーコが助け、地球の命運を懸けてともに奔走するという話。時間を遡って現実を修正してしまえばなんでもなかったことにしてしまえる強力なSF的装置を駆使しながらも、常人にはその存在が信じがたいテクノロジーを利用することに付随する困難な問題に主人公を立ち向かわせることによって、そこに非現実的な体験のリアリティをうまく演出している。また、主人公の出身地が話の舞台になっていることから、この謎めいたキャラクターの素性の一端を知ることも出来る興味深い内容になっている。</summary>
   <author>
      <name>Mochi</name>
      <uri>http://kosame.org/</uri>
   </author>
         <category term="Comics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kosame.org/">
	<![CDATA[<dl class="caption" lang="en" xml:lang="en">
<dt><a href="/comic-review/yoko-tsuno-2-the-time-spiral-large.jpg" class="zoom" title="Yoko Tsuno Vol. 2: The Time Spiral by Roger Leloup"><img src="/comic-review/yoko-tsuno-2-the-time-spiral.jpg" alt="Yoko Tsuno Vol. 2: The Time Spiral: Cover" height="198" width="150" /></a></dt>
<dd><ul>
<li><cite>Yoko Tsuno Vol. 2: The Time Spiral</cite></li>
<li>Author: Roger Leloup</li>
<li>Publisher: Cinebook</li>
<li>Release: Januray 2008</li>
<li>Size: 28.7cm x 21.7cm</li>
<li>Format: Softcover</li>
<li>ISBN: 1905460434</li>
<li>48 pages</li>
<li>£5.99</li>
</ul></dd>
</dl>


<h2 class="subhead">レビュー</h2>

<p>このシリーズの第11巻である <cite lang="fr" xml:lang="fr">La spirale du temps</cite> の英訳版。オリジナルは1981年の刊行。未来の地球に破滅をもたらす爆弾の開発を阻止すべくタイムマシンに乗って現在にやってきた身寄りのない少女をヨーコが助け、地球の命運を懸けてともに奔走するという話。時間を遡って現実を修正してしまえばなんでもなかったことにしてしまえる強力なSF的装置を駆使しながらも、常人にはその存在が信じがたいテクノロジーを利用することに付随する困難な問題に主人公を立ち向かわせることによって、そこに非現実的な体験のリアリティをうまく演出している。また、主人公の出身地が話の舞台になっていることから、この謎めいたキャラクターの素性の一端を知ることも出来る興味深い内容になっている。</p>

<p>このストーリーの根本には二つのSF的設定がある。一つはタイムマシンの存在であり、もう一つは地球を破壊するほどの威力を持つ爆弾に結実するテクノロジーにまつわる謎だ。爆弾の元となるテクノロジーに旧日本軍の一部が関与していて、さらにその部隊の中枢にいるのがヨーコの大叔父であるという設定によって、作者はタイムマシンという便利極まりないSF的装置の恣意性を主人公のヨーコ自身が引き受けるべき問題の困難さに巧く転化している。つまり、ヨーコが未来に生じる問題の根源をつきとめるためにタイムマシンを使って過去に遡り、命懸けで大叔父に会って自分の身柄を説明し、テクノロジーの開発を止めるよう説得しなければならなくなるというところがこの漫画のおもしろいところ。そのようにタイムマシンについてはその設定がよく活かされているいっぽうで、爆弾の開発にからむ謎のほうはいかにも作り物らしいサイエンスフィクションならではのご都合主義的なものにとどまっている。ヨーコたちが謎の核心に迫っていく過程で姿を現す関係者のなかには地球を破壊するという大それた野望やそれほどの威力のある爆弾を開発しようという意思を持ち合わせた人物は実はひとりもいない。それではどのようにして高度なテクノロジーが発達していったのかという根拠を、作者はいつどこからやってきたのかわからない未知の生命体なるものの意思に還元してしまっている。それが残念なところだ。</p>

<p>この話には旧日本軍の部隊が登場するのでヨーコ以外の日本人が何人か描かれている。軍服を着た将校や兵士たちが、綿密な時代考証はともかくパッと見にはおかしなところがないいっぽうで、ひとりだけ明らかに場違いな恰好をした人物がいる。ミナイ教授と呼ばれる老人は、軍の管理化におかれている科学施設で働く研究者であるにもかかわらず、なぜか合気道の先生のような恰好をしてうろうろしている。作者は、人物の顔を描く際に横目の表情を多用するんだけれども、日本の漫画とは文法が異なるため妙な印象を受ける箇所もある。下まぶたのふっくらとした細い横目が何か悪巧みでもしているかのように見えても、実際にはそんな意図で描かれているわけではないというように。</p>]]>
   </content>
</entry>
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   <title><![CDATA[Locke &amp; Key #1]]></title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kosame.org/2008/03/locke-and-key-1/" />
   <id>tag:kosame.org,2008://1.221</id>
   
   <published>2008-03-30T08:15:00Z</published>
   <updated>2008-03-30T08:21:29Z</updated>
   
   <summary>ホラー小説ハートシェイプト・ボックスの著者がシナリオを担当する漫画で、つい最近刊行が始まったばかりの新シリーズ。あらすじはある日思いも寄らぬ惨劇の犠牲となった家族が、住む場所を変えて再出発を計るというもの。ショッキングな惨劇それ自体は残酷さがよく演出されているものの、その出来事と、最も詳細に描写されている登場人物である長男のキャラクターと、そしてこの作品のジャンルを決めるはずのファンタジー的要素との三つのあいだの関連付けが不十分で作品の方向性がはっきりしない。ストーリー漫画の第一話としてはお世辞にも上手くいっているとは言えない出来。</summary>
   <author>
      <name>Mochi</name>
      <uri>http://kosame.org/</uri>
   </author>
         <category term="Comics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kosame.org/">
	<![CDATA[<dl class="caption" lang="en" xml:lang="en">
<dt><a href="/comic-review/locke-and-key-1-large.jpg" class="zoom" title="Locke &amp; Key #1"><img src="/comic-review/locke-and-key-1.jpg" alt="Locke &amp; Key #1: Cover" height="227" width="150" /></a></dt>
<dd><ul>
<li><cite>Locke &amp; Key #1</cite></li>
<li>Author: Joe Hill &amp; Gabriel Rodriguez</li>
<li>Publisher: IDW Publishing</li>
<li>Release: February 2008</li>
<li>Size: 25.9cm x 16.5cm</li>
<li>Format: Softcover</li>
<li>32 pages</li>
<li>$3.99</li>
</ul></dd>
</dl>


<h2 class="subhead">レビュー</h2>

<p>これはホラー小説<cite>ハートシェイプト・ボックス</cite>の著者がシナリオを担当する漫画で、つい最近刊行が始まったばかりの新シリーズ。あらすじはある日思いも寄らぬ惨劇の犠牲となった家族が、住む場所を変えて再出発を計るというもの。ショッキングな惨劇それ自体は残酷さがよく演出されているものの、その出来事と、最も詳細に描写されている登場人物である長男のキャラクターと、そしてこの作品のジャンルを決めるはずのファンタジー的要素との三つのあいだの関連付けが不十分で作品の方向性がはっきりしていない。ストーリー漫画の第一話としてはお世辞にも上手くいっているとは言えない出来。</p>

<p>ストーリーはカリフォルニア州北部の小さな町メンドシーノに始まり、サンフランシスコ、そしてマサチューセッツ州の（おそらくは）架空の町ラブクラフトへと舞台を変えて進んでいく。中心的な登場人物である高校生の長男が自分の境遇に不満をこぼしてばかりいることからは、この漫画は怠惰な精神の克己が中心となる青春ものであるかのようにも思える。一家が悲惨な出来事に見舞われ、住む場所を変えて再出発を計るくだりからは、ともすれば興味本位に扱われかねない凶悪犯罪の被害者がどのようにして地域社会で上手く暮らしていくかというような、もっと社会性に重点を置いた作品のようにも思える。そして一家にとっての新天地ラブクラフトに移ってからは唐突にファンタジー的要素が導入され、また町の名前が名前だけに、まあおそらくはこの漫画はファンタジーものということになるんだろうなと予測される。一般的に言えば、もちろんこのような漫画が先に挙げたような青春もの、社会派ストーリー、ファンタジーなどといったように狭い一つのジャンルに区分されるとは限らない。それらを巧く混ぜ合わせたものになるかもしれない。ただ、この話はそういった好意的な期待を寄せるにはあまりにも粗雑に作られていて、作者がいちばん強調すべき作品の側面が曖昧になってしまっている。</p>

<p>主な登場人物はロック家の家族四人と親戚のダンカン、そして暴漢二人。ロック家の父親は暴漢に襲われて命を落としてしまう。母親もまた犠牲者なんだけれども惨劇を何とか生き延びる。長男のタイラーは主人公的な扱いを受けていて、自分の置かれている境遇への不満や他者への羨望など否定的な意味でおおいに若者らしい性格を与えられている。妹のキンジーは兄のこぼす愚痴にうんざりしており、辛辣なコメントを吐くことによって、実の兄の不甲斐なさを嘆く妹の、というよりはむしろ読者の率直な感情を代弁する立場にある。末っ子のボードはまだ幼く、自然の生き物に素朴な興味を示すあどけなさをもった子供として描かれている。ダンカンは子供たちにとって叔父であり、家族が新しく住むことになる屋敷の持ち主でもある。</p>

<p>人物の描写については不満の残るところが多い。作者は一家を襲った惨劇が長男タイラーにとってはかなり皮肉なものであることを意図して描いている。幼少の頃の住まいであるサンフランシスコの家に帰ることを切望していたタイラーは実際にその望みをかなえることが出来たんだけれども、その代償としてかけがえのないものを失ってしまったというように。さらに、彼と父親は決して良好な関係ではなかったと、少なくとも本人は思っている。したがって、たんに父親を亡くしたという衝撃以上の感情を描いてよさそうに思えるところを、作者はとくに深入りせずあっさり済ませてしまっている。アメリカの教育問題や若者の犯罪などについてよく知らない僕にとって興味深いのは、タイラーの父親がふたりの暴漢の<a href="http://www.urbandictionary.com/define.php?term=guidance+counselor" title="Urban Dictionary: guidance counselor">ガイダンス・カウンセラー</a>を務めていたということだ。さすがにこの漫画に描かれているような凶悪犯罪が一般的だとは思わないが、アメリカ流のいわゆる御礼参りとして理解すべきなのかもしれない。つまり、偶発的な事件ではなく、社会的に意味するところの含みをもった現象と言えるのかもしれない。しかし、このことについて作者が特に突っ込んだ表現をしないのが残念だ。カウンセリングの際の回想のひとコマでも入れておけばだいぶ印象が違っていただろうにと思う。末っ子のボードは兄弟の中ではいちばん無難に、どこにでもいそうな子供として描かれているにもかかわらず、話の終盤になってから引越し先の屋敷の秘密を発見するという重要な役割を担わされている。この秘密というものがそれだけで作品のジャンルを引っ繰り返してしまうほどの神秘的で不可思議なものであるため、またその発見者がそれまでもっとも地味に描かれてきた末っ子であるため、ずいぶんちぐはぐした印象を受ける。例えば長男のタイラーが発見者であったならば、それまで彼に費やしてきた描写の積み重ねからして秘密に対してどんな態度を取るかということに読者の想像を掻き立てることが出来ただろう。しかし、末っ子が発見者というのはまるで油揚げをさらうトンビのようであり、作者が物語を途中で放棄して別の物語を始めてしまったに等しい唐突さがある。いったい作者は何をやりたいのかという疑問が湧いてくる。</p>

<p>この漫画の話のすじは時間と場所の異なる三つの場面を交錯させて叙述する形になっている。場面の切り替わりをスムーズに、またキャラクター描写の上で効果的になるよう印象的につなぐことについて工夫されていることがはっきりわかる。場面が替わり話者も替わる箇所で同じ言い回しをあえて重複させて読者の注意を引く際にもセリフが自然で無理がない。このことがこの漫画の中で最もよく出来ているところだといっていいと思う。</p>

<p>絵柄はかなり癖があってこのジャンルの漫画に最適とは言いがたい。人物の瞳の輝きが皆同じように処理されているため、個々の性格を反映させるうえで巧くいっていない。例えば、武器で人を襲うような凶悪な男でも目がキラキラしちゃっているというように。さらに瞳に限らず、物の表面の光沢の施し方が一様なのでどれも同じ質感に見えてしまう。娘のキンジーが目頭に涙を溜めた顔を描いているコマがあるんだけれども、瞳と涙と唇の下のピアスとが皆同じ物質で出来ているかのように見えてしまう。言ってみれば着色したマネキンのような……。</p>

<p>読者が続きを読むことを前提にしているかのような中途半端な出だしに驚かされたけれども、とりあえず作品の中に提示されたいろいろな要素でもって作者がこれから何をやりたいのかは見据えてみたいと思っている。</p>]]>
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