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The Creepy Case Files of Margo Maloo

The Creepy Case Files of Margo Maloo by Drew Weing
  • The Creepy Case Files of Margo Maloo
  • Author: Drew Weing
  • Publisher: First Second
  • Publication Date: September 2016
  • Size: 22.4cm x 15.9cm
  • Format: hardcover
  • ISBN: 9781626723399
  • 128 pages
  • $15.99

レビュー

引越し先の新居でモンスターと遭遇した少年が、得体の知れない少女に助けられたことをきっかけとして街のあちこちに潜むさらなる異形の住民たちと交流を深めていくという内容のファンタジーものの漫画。人間の命を奪いかねない恐ろしいモンスターに年端も行かぬ少年を対峙させるサスペンスのさなかにあっても子供の視点ならではのユーモアをたびたび盛り込む話作りの姿勢からは、本作はホラーというよりむしろはるかにコメディ寄りの作品だと言える。モンスターのもたらす恐怖、主人公の口から出るとぼけたユーモア、そして新しい生活環境への適応を図る少年の成長といった作品の持つ様々な要素のさじ加減が本作の魅力のもとになっている。子供のキャラクターが三頭身ほどにデフォルメされた体躯で描かれていたり、人間との接触を避けているはずのモンスターがなぜか人懐っこく振る舞ったりする表層的な特徴が本書を年少の読者向けと思わせるかもしれないが、決して子供っぽさはない。むしろ子供離れしたシニカルなユーモアや深い読解にも応えるキャラクター描写が幅広い年齢層の期待に沿うものだと強調したい。

少年チャールズはトンプソン家の一人息子。一家の転居先となったエコーシティは高層ビルの立ち並ぶ都会で近所は通りを行き交う歩行者と車にあふれ、さまざまな商店がひしめくように軒を連ねている。本書の見返しの部分に描かれた地図からしてマンハッタン島あたりのニューヨークをモデルにしているようだ。この街での新生活は普通に考えれば子供にとって刺激的で魅力のあるものに違いないが、意外にもチャールズは何かにつけて不満ばかりこぼしている。その不満の根本に何があるのかということは本人の口から直接には語られず何度か示唆されるだけなんだけれども、この少年のすべての活動の動機付けになっている。そのことに気づいた時点で読者はわが子の健やかな成長を見守る親のような気持ちになれるだろうが、この点で作者が決して押しつけがましく主人公への共感を求めていないのがいいところだ。

表面的に見て取れるチャールズの言動には、おもちゃへの執着心によく表れているように年相応の子供らしさが残りながらも、たびたび大人びた硬い言い回しでもって自分の親の至らない点を批判するような両面性がある。チャールズの大人びた性格は自身が社会的な使命を背負ったジャーナリストであるかのように振る舞う精神世界と不可分になっていて、この子供は世間一般に知られていない真実を告発するといったような姿勢で記事を書く変わった趣味を持っている。おもしろいのはこれがあくまでジャーナリスト気取りの「ごっこ」にすぎないということだ。実際に記者として新聞に寄稿しているわけではなく、自室でブログに投稿しているだけであり、そのブログもおそらくはたいして読者も多くないささやかなものであることがうかがえる。さらにその記事の中身についても言葉遣いにおいては「子供たちの権利を守る戦い」などと深刻ぶっているけれども、内容は身辺雑記にとどまっていて、実質的にただの日記と何の変わりもない。にもかかわらずチャールズが真剣にジャーナリスト気取りでいることから、読者はこの子供の現実認識が多かれ少なかれ誇張され歪められていることに気づく。病的な妄想とまでは言えないけれども、やめることのない「ごっこ」遊びが本人の性格を形作ってしまったかのように見える。この主人公の設定のポイントを整理するなら、まず一つ目に子供らしい性格と大人びた性格との両面性があること、二つ目はその大人びた性格においては現実認識が誇張され歪曲されていること、そして三つ目はこれら二つのポイントについて本人に自覚がなく、両面の性格の切り替えが無意識的に行われている……ということになるだろう。

こういったちょっと風変わりな子供としての主人公の造形が設定としてよく活かされているのは何よりもまず物語の根幹そのものだ。多くの人であふれかえる都市において思いがけず遭遇したモンスターにどう対処するかといったアーバンファンタジーは、主人公が地域住民や警察に助けを求めるような常識人では成り立たないし、年相応の普通の子供だったならばわざわざ積極的に恐ろしいモンスターと関わりあう気になどならないだろう。とはいえ、この主人公はよくありがちな怖いもの知らずの好奇心旺盛な子供とかいうわけではない。モンスターはおそろしいけれども子供たちを脅かす謎の存在について自分が真実を広めなければならないといった葛藤を、しかも誰に頼まれるでもなく自分で勝手に背負った葛藤を抱えているということが独特の設定になっている。もうひとつ、主人公の造形が活きていると言えるのはそれが予期せぬユーモアをもたらす要因になっているということだ。この少年がおそろしいモンスターと対峙するたびに、年相応の子供っぽさと社会派ジャーナリスト気取りの深刻さのどちらの気質が表面に出てくるのか読者には予測がつかない。だからこそ両者のギャップがユーモアを増幅している。このギャップの顕著な例は、自分を喰い殺してしまうかもしれないモンスターが意外にも同じおもちゃのグッズを収集していると分かった途端に身の危険を忘れ、いかにもコレクターならではのマニアックな会話に華を咲かせてしまうといった場面だ。

Excerpt 1 from The Creepy Case Files of Margo Maloo
引用画像1 コレクター同士で意気投合

このユーモアが唐突でありながら場違いではなく、嘘くさくもなく受け入れられるのはひとえにこの子供が前述の両面性を抱えているという事情があるからだ。

始まったばかりの新生活の安寧を脅かすトロールの出現に困り果てたチャールズが助けを求めたのはマーゴ・マルーという得体の知れない少女。子供だてらにモンスターと人間とのあいだのトラブルを仲裁する仕事に携わっている。本来ならばマーゴにとってチャールズはひとりの依頼人に過ぎず面倒を見てやってそれで終わるはずだったのが、この少年持ち前の好奇心とずうずうしさに押されて彼を極秘の仕事の世界に案内していくことになる。マーゴの肩書はあくまで「モンスター仲裁人(Monster Mediator)」であって、モンスターの退治や駆除を請け負う業者ではない。たとえチャールズの場合のようにモンスターに脅かされている子供から依頼を受けたとしても一方的にモンスターを追い払うようなことは決してしない。両者の言い分を聞いたうえで道理にかなった解決策を探り、話し合いによる説得を目指すのが常だ。作中に登場するモンスターの中には気性が荒く暴力的な者もいるが、そういった連中を鎮圧できるような特殊な能力を持っているわけではない。マーゴはあくまで会話による説得や取引などの地道な交渉術でもってトラブルを解決している。こういった会話に頼りがちな地味な側面が実はチャールズとのあいだにたびたびスリリングな緊張の瞬間をもたらし、ひいてはマーゴ自身のキャラクターとしての魅力を引き出す源にもなっている。

Excerpt 2 from The Creepy Case Files of Margo Maloo
引用画像2 マーゴは常に人間の味方をするとは限らない

双方の言い分を踏まえたうえでモンスター側の道理さえ通っているならばマーゴが人間ではなくモンスターの肩を持つことに何のためらいもないという意外な立場が露呈して読者を驚かせる。この得体の知れない少女が折に触れて吐露する不安や心配といった善意の感情が、実は人間ではなくモンスターのほうに向けられたものだというダークユーモアの意外性の根拠がここにある。またチャールズとの絡みにおいては、ずうずうしい素人の出しゃばり屋と神経質なプロフェッショナルとのコントであるかのような掛け合いがたびたび成立しておもしろい。チャールズは勝手に背負いこんでいるジャーナリストとしての使命、すなわち子供たちを脅かす謎の存在ついて自分が情報発信しなければならないといった信念に基づいてマーゴの仕事に首を突っ込みたがるけれども、マーゴのほうではこれを快く思っていない。モンスター仲裁人の仕事はチャールズのような素人の手に負えるものではなく、またモンスターたちの安穏な生活を乱すような勝手な情報公開をされては困ると考えている。そしてこういったふたりの相克する関係のあいだに、ふとマーゴの口から意外なセリフが飛び出す瞬間がたびたびある。責任をもって仕事に臨むはずのプロが素人の大言壮語に反発して、うかつにも出来るものならやってみろとばかりに挑発をしてしまうわけだ。これは失態としてともすれば余計なトラブルにつながりかねないが、マーゴがこういった人並みな側面を時おり見せてくれることこそ、このキャラクターについて僕が大いに気に入っている部分だ。人を喰らうモンスターに臆せず立ち向かい常に適切な判断を下す勇敢で聡明なプロフェッショナルにも意外な欠点があるという事実が、かえってこのキャラクターのポテンシャルを示しているとみなしたい。別の言い方をするなら、このマーゴという少女はそれ自身では完璧すぎてフィクションのキャラクターとして読んでいておもしろいものではない。チャールズのように悪気はないが無遠慮で身の程知らずなキャラクターが触媒になってこのマーゴの隠れた気質の一端を引き出すことでキャラクターとして魅力的になっている。はっきり言ってチャールズがモンスターに喰われかかってピンチに陥るような深刻な場面をはるかに超えてスリリングで引き込まれてしまう。ただし、こういった僕の期待に物語がこの先どれだけ応えてくれるのかはわからない。マーゴがときどき挑発に乗ってしまうのはそのほうが話を進めるうえで作者にとって都合がいいからであって、単なる一時の気まぐれにすぎないという可能性もありえる。

この作品世界におけるモンスターたちはときに人間に害をなすいっぽうで、同時に人間社会に寄生するかのごとく人目につかない物陰で生活しなければならない同情すべき非力な存在としても設定されていて、そのことがそのまま作品の面白さの質と限界を規定しているといっていい。モンスター仲裁人なる肩書を持つマーゴの出番が必要とされているように、モンスターたちはたびたび人間とのあいだでトラブルを巻き起こすけれども、彼らは生まれながらのトラブルメーカーではない。トラブルを起こすに至る事情を抱えていて、多くの読者の共感を呼ぶにちがいないものもある。ではモンスター側には常に非がないのかというとそうではない。自分勝手な振る舞いによって人間に迷惑をかける者もいる。いずれの場合においてもモンスターたちは決して邪悪な存在でもなければ、理解不能な異常者でもない。彼らは善かれ悪しかれあくまで人間くさい存在として描かれている。

マーゴが呼び出されるような案件に際してトラブルを起こしたモンスターの側にも一分の理があってこそ、仲裁人の仕事の過程がおもしろく説得力のあるものになるのは必然といえるだろう。この点においては第1章のエピソードが最もよく出来ている。チャールズの部屋に出現して驚かせたトロールをどう処遇すべきかという件において、集団責任の論理と独自の慣習法のようなものがトロールを弁護する立場からマーゴによって支持されている。すなわちチャールズ本人の与り知らぬことであっても家族の誰かがしたことには責任を取らなければならないという理屈や、さらには先に住みついた者にその場所の居住権があるといった理屈のたぐいだ。いずれについても人間社会の法とは相容れないが、トロール一族の固有の慣習法として必ずしも理不尽ではなく、それなりに説得力のあるものだと言える。マーゴは人間にもモンスターにも一方的に肩入れすることは決してないが、このような規範的な道理だけは常に尊重している。実際には、モンスター世界の慣習を人間世界の慣習より優先させている以上、マーゴの立場は公平とは言えないだろう。それでも読んでいてそのような偏向姿勢を感じさせないのは、一つにマーゴがモンスターを支持する姿勢に傾くことによってチャールズの身が危うくなるようなダークユーモアになっていること、そしてモンスターたちが多かれ少なかれ共感すべき人間的な存在として描かれているからだ。

モンスターたちが都市のどこかに隠れて住むことを余儀なくされているという事情を思うと、彼らは人間の社会で例えるなら不法滞在のマイノリティ民族集団のような立場にあるといえる。おおっぴらに存在を明かして権利を保障してやって互いに共存を図るというような措置は出来ないが、かといってむやみに殺したり追い払うわけにもいかないといったように。この点についてまじめに考えると、そもそもエコーシティに巣くうモンスターたちはいったいどこから来たの? なんでこの街に住みつく必要があるの? 人間のいない野山や森林にでも住めばいいんじゃないの? 数ではるかに上回る人間たちの目をどうやって逃れて今までやり過ごしてきたの? ……といったような、ある意味で不毛な、しかし物語の根本的な設定を考えるならば嫌でも気にせざるを得ない問題にぶち当たる。たくさんの人でごった返す大都市の中でモンスターたちがどのように効果的に身を隠しているのかということについて、作者は決して説得力のある設定を施していない。彼らはふだん人目につかないよう努めているが、それはあくまで物理的に目立たない場所にいるだけであって、別に何か超自然的な能力でもって姿を隠しているというわけではない。もし地震や火事などの災害で都市が崩壊するようなことがあればみな露わになってしまうことは疑いない。つまりモンスターたちの存在が暴露してしまうような不測の事態についてまじめに考慮してもあまり意味がないということだ。とはいえ、このことがモンスターたちの日常生活を支えるコミュニティのありようをいくらか味気ないものにしてしまっているのも事実だ。たとえば第3章でマーゴが訪れる街の雑貨屋は通りから見ると何の変哲もないように見えるが、店の裏口を抜けるとモンスターが営むモンスター向けの商店へとつながっている。店内はモンスターたちの奇怪な嗜好や感性を反映したグロテスクな商品が所狭しと並んでいて想像力を掻き立てる魅力的な光景になっている。しかしながらこういったモンスターたちの生活臭を感じさせる描写についても、前述したようにその根本的な設定にさほど説得力がないことを思い起こすと僕はちょっと興ざめしてしまう。つくづくもったいないことだと思う。

この漫画の視覚的な要素について留意しつつ読み返してみると、真っ先に目につくのは物の輪郭をきれいに縁取って中をくまなく塗りつぶすということを徹底せずに、ところどころ白いまま塗り残しているということだ。それからもうひとつ、動きやムードを表すための効果線をずいぶんと多用していることにも気づかされる。ポイントはこのふたつの特徴が決して目立たず、記号的な表現が記号としていちいち気に障ることなくスムーズに読めるということだ。

大部分のページにおいてチャールズが身に着けている帽子やシャツは縁の部分が微かに白く塗り残されている。人物の輪郭全体を縁取るようにではなく、あくまでほんの一部だけであるため、もし一コマだけ取り出してみたならば単なる怠慢とみなしかねないような些細なものだ。これが決して作者の怠慢などではなく意図されたものであることはあちこちのページを見比べてみればすぐにわかる。たとえばチャールズが明かりを消した寝室にいる場面など、光源の全くない薄暗がりの環境においてはこのような白抜きを一切やっていないことが見て取れる。とはいえ、光源のありかを指し示すことが第一の目的でやっているわけではないだろう。作者が多用するこの白抜きは主にキャラクターが隣接する背景に埋没して見えてしまうのを防ぐうえで密かに役立っているとみなしていいはずだ。それからもうひとつ付け加えたいのは、平面的なデザインのキャラクターに立体感を持たせる効果も持ち合わせているということだ。作者の描く人物、とくにチャールズのような子供は筋肉の隆起や皮膚によったシワなどを線によって表現しないため、基本的にのっぺりとした見た目になってしまう。シンプルで見やすいキャラクターデザインだというのは確かだけれども、微妙な遠近感を出すのが困難なこともある。たとえばチャールズが画面の奥から手前に向かって腕を伸ばす構図において、まるで腕がグチャッとつぶれたように平面的に見えてしまうコマがある。チャールズの父親なら手足が毛むくじゃらなため毛並みを使って奥行きを表すことができたかもしれないが、つるつるした子供の肌ではそうもいかない。さらに本作の登場人物は全身の輪郭を均一な太さの線でもって描くというスタイルで統一されているので、肌の線の太さの違いによって奥行きを表現することもできない。構図によってはそういったリスクをもともと抱えている本作のスタイルをいくらか助けて人物の立体感を醸し出すことにこの白抜きが貢献していると言っていいんじゃないだろうか。

本来塗りつぶしてしかるべきところをあえて塗り残すことは、人物の輪郭だけではなく背景の壁だとかイスや机などの家具の表面、つまりテクスチャーにおいてもあちこちでおこなわれている。小さな白い点のように見えるこの塗り残しは、実際には塗り残したのではなく後からホワイトを付け加えたのかもしれないし、ひょっとしたらデジタル作画においてはソフトウェアの機能でもって簡単に実現できる効果なのかもしれないが、いずれであっても読者にとって違いはない。この白い斑点についても最初は単に著者が面倒くさがって大雑把な塗りで満足したからじゃないのかと頭の隅でたかをくくっていた。しかしながらあちこちのコマをよく見比べてみるとこれもまた意図的に使い分けられた効果だということが見て取れる。まず、人物の肌の上では絶対にこういうことをやらないし、背景においても暗ければ暗い場所であるほどこの白い斑点は控えめになる。大雑把な塗り残しの結果のように見えるこの白い斑点はいったい何のためにやっているんだろうか? なければダメだとは言えないまでも、少なくともこの白い斑点は作品の舞台であるエコーシティ全体の持つ雰囲気を醸成するうえで貢献していると言えるはずだ。陽の出ているあいだはまるで常に夕方であるかのような色褪せた彩色の街並みが、ところどころ塗装が剥げ落ちたかのような経年劣化を思わせる斑点模様のテクスチャーでもって覆われていてビンテージ感とでも言うべきものを感じさせる。決して定規を使わないよれよれのフリーハンドでもってコマ枠を含めてすべての線が描かれていることも相乗効果になっている。

本作の視覚的な要素についてもうひとつ言及したいのは効果線の使い方について。あくまで僕がこれまで目にした範囲の印象でしかないが、カラーの漫画作品でこれほど効果線を多用しているものは珍しく思える。とはいえ僕が特筆したいのは使用の頻度の問題ではない。それぞれ異なる目的のための効果線が互いにくっきり区別されることなく融合していたり、あるいはそうでなくてもスムーズに片方からもう片方へ変容させることで記号を記号として意識させない配慮がされているという点だ。もっとも実際に作者に尋ねたらなんて言うかはわからないが。人物の陰影(shadeとshadowの両方)を表現するのに使われる横方向の集中線は別に珍しいものでも何でもないが、しばしばこれが動きの方向とその勢いを示す記号へと連続した表現になっていることに気づかされる。

Excerpt 3 from The Creepy Case Files of Margo Maloo
引用画像3 8階の窓から帰ろうとするマーゴ

乗っていた机から飛び降りるマーゴの下方に配置された集合線はどこまでが光源と机によって作られる陰影で、どこからマーゴの勢いを示す記号的表現になっているのか区別できない。このように陰影を利用して動きの表現へとスムーズにつなげるということを作者はコマをまたいだ形でもよくやっている。立ち止まっている人物に比べて素早く歩いている人物では影の形ではたいして違いが見られないが、真っ黒に塗りつぶされた部分が減少して代わりに進行方向に延びる集中線の占める割合が増えるといったように。

ちょっと本題からはそれるけれども、先の引用画像で作者はほかにもおもしろいことをやっている。窓から外へ出ていこうとしているマーゴの姿が下部中央のコマに描かれている。これは取り交わしたルールを守るようチャールズにきつく言い含めている場面であり、したがってチャールズの一人称的視点であることは明白だ。ここで注目してほしいのはマーゴの足元だ。左足を窓枠にかけ、右足を机の上に置いている。部屋側に少し張り出している窓枠の下の面と机の下の面の両方が見える位置にあることがわかる。しかしこれは本当はありえないことだ。ほかのページを参照してみれば一目瞭然のことなんだけれども、直立姿勢でチャールズの目線はテーブルや机よりも高い位置にあり、下の面が覗けるほど背が低くはない。言わば嘘の視界を描いていることになる。もちろんデッサンの狂いなどではなく、作者の意図は明らかだ。マーゴの高圧的な態度、そしてこの子供が8階の部屋の窓からためらうことなく外へ出ようとしていることの異様な状況を強く印象付けるために高低差を誇張しているわけだ。とはいえ、僕がこういう嘘を気に入っているのは一読して誰でも気づけるほどあからさまにやっているわけではないという、表現のさりげなさのほうだ。

本題に戻ろう。先に説明した記号的表現、すなわち陰影を動きの表現へとつなげる集合線の使い方と似たようなことを作者はほかにもやっている。パッと見では単に陰影を示すために配置されているように見える集合線のかたまりが、部分的に別方向の斜線の集合が加わることによってクロスハッチになっているコマがある。

Excerpt 4 from The Creepy Case Files of Margo Maloo
引用画像4 マーゴに依頼の電話をするチャールズ

右上のコマに注目してほしい。これは背後の壁が部分的に薄暗く、さらに別の部分ではより暗くなっているという視覚的な明暗の程度の違いを表しているのではない。電話の話し相手、すなわちマーゴの返答が暗に何か不穏なものを含意していることを示すムードをもたらしている。だからこそチャールズのセリフのフキダシを取り囲む単なる集合線の延長が、その返答を含む右側の四角いフキダシの背後においてはクロスハッチへと変化している。本作のみならず一般的にも当然言えることだけれども、クロスハッチはムードを示す記号として用途が限定されているわけではなく、単純に陰影としても使われる。読者がクロスハッチからムードの喚起を読み取れるのは、フキダシの中のセリフの含意をふまえて初めて可能になることだ。したがって上記の引用画像のクロスハッチはコンテクストに依存した記号的表現ということになる……。作者が明暗とムードの二つの効果を実現するうえで、あからさまに別物の記号をそれぞれ独立して用いるのではなく、接続が可能なありふれた記号的表現を採用していることについて、どんなことが言えるだろうか? どんなことを指摘すべきだろうか? ひょっとしたら取り立てて言及すべきことではないのかもしれない。僕はこういった分析の専門家ではないのではっきり断言できることは何もない。しかし少なくとも、異なる効果をもたらす記号的表現が接続されることによって、そうでない場合に比べてより記号を記号として意識することなくスムーズに読み進めることができるよう配慮がなされているということは間違いないだろう。そして僕は作者のそういった配慮がおおいに気に入っているとだけ言っておこう。

本作のキャラクターデザインについては僕は決して大いに気に入っているとは言えない。初めて読んだ際には、目や鼻や口などのパーツを無造作に描きなぐったかのような主人公の顔立ちにちょっとがっかりしたのを覚えている。マーゴについても無造作っぽく作られたように見えるという点に関しては同様だ。しかしチャールズと違って目の下にくまがあって微妙な感情の含みを表すことができるようになっていてしばしば効果的に使われている。また、瞳孔を表す小さな黒い点についてもよく見てもらいたい。普段はチャールズと同様にほぼ円状の小さな点のように描かれているけれども、ここぞという場面ではわずかに縦に細長く伸びて楕円形になっている。まるで猫の瞳であるかのように。マーゴをチャールズに紹介したケヴィンという少年の言によれば、マーゴは人間とモンスターのあいだの生き物なんだそうだ。とはいっても、ただ単にマーゴが人間ではないことを反映して瞳を猫のように描いていると解釈して済ますのがいいとは思えない。微妙な眼差しの違いが喚起するこの不思議な少女の計り知れない内面、人間の味方かモンスターの味方か予測のつかないサスペンスの根拠のひとつとして受け止めるべきだろう。本書を読み終わった読者のうち、このマーゴ・マルーという少女のことを思い浮かべてまるで猫みたいだと思う者はひとりもいないだろう。それくらい微妙な表現の違いでしかないが、チャールズの瞳孔が常に一定した小さな黒い丸で描かれていることを思えば作者がマーゴの猫の瞳を意図してやっているのは疑いない。僕がやっているようにレビューを書くためにあちこちのコマを凝視して見比べるようなことをしない限り気づかないだろうが、しかし表現の違いは表現の違いとして普通に読者として読んでいる最中には誰でもその効果を受け取っている。人間の目は誰でもそれくらいに精密に出来ている。

本書は三つの章からなっていてそれぞれ一件のモンスター関連のトラブルにマーゴとチャールズが取り組んでいる。都合三件のトラブルを解決して……それで? 終わり? といった物足りなさというか、全体としてのまとまりのなさを当初感じたように記憶している。僕はこの漫画を発売と同時に購入したので初めて読み終わったときの感覚はとうに薄れていてはっきりとは覚えていない。それでも第3章の終わり方において内容の上での必然性が感じられず、単純に製本する際のページ数の都合で第3章まで収録しただけなんじゃないかと疑ったように思う。こういった不満は実際には僕の読解力不足によるものだ。レビューを書くために読み返すまで気が付かなかったことなんだけれども、本書全体を通して扱われている主人公の変化、すなわち新しい生活環境への適応ということを作者はあからさまには描いていない。実は決定的なヒントが第1章で提示されているんだけれども、その場面はサスペンスの筋立てのあいまにそっと差し込まれているので読者はなかなか初見では気が付きにくいだろう。しかしながら、ストーリー全体に統一感を与えるこの主人公の変化ということについて僕が気に入っているのはその変化や成長そのものではなく、その提示の仕方だ。作中に四度登場する食卓のシーンにおいて、主人公の少年が当初抱いていた不満とそこからの変化を示唆的に描いている。

Excerpt 5 from The Creepy Case Files of Margo Maloo
引用画像5 機嫌の良さがうかがえるチャールズ

それまでの三度の食卓の場面のいずれにおいてもチャールズは不機嫌で文句ばかりを言っていた。エコーシティのような都会でしか手に入らない珍しい食材を母親は好んで食卓に上げるが息子は食べたがらない。ところが、この第三章の結末に置かれた四度目の食卓では様子が変わっている。不平不満は鳴りを潜め、どことなく機嫌が良さそうだ。なぜ変わったのかという核心についてはネタバレを避けるため言及しないけれども、僕がここで評価したいのは結局のところチャールズが新しい食材に口をつけようとしないということだ。そして両親がそれを決して咎めないということだ。もし本作がもっと凡庸な著者の手になるものだったならば、サーグ・パニールなるインド料理を食べさせていたかもしれない。この子供がようやく未知の食べ物に挑戦することによって彼の変化や成長というものを文字通り象徴させる陳腐な表現に堕していたかもしれない。わざわざ言うまでもないが、子供がサーグ・パニールを食べるか食べないかということなど別にどうでもいいことだ。チャールズ自身が新しい生活環境にどう適応するかというモチーフに比べたならば猶更のこと。

ここで僕はどこでうまいこと線引きをすればいいかわからない問題を意識せざるを得ない。僕がこのレビューをだらだらと書き綴ったり、途中で放り出したりしていた長い期間のある日のことだ。レビューのためにウェブで調べ物をしていたところ、著者の奥さんが政治的な動機でもって街頭に繰り出し、警察に逮捕されたというニュースをほぼリアルタイムで知った。もちろん現ドナルド・トランプ政権下でのことだ……。著者の政治的立場が奥さんと同様であるに違いないということは疑うまでもないだろう。こういった作品の外における政治的状況を踏まえたうえで作品の中に目を戻すと、いくつもの示唆的な要素が嫌でも目につかざるを得ない。本作の主人公をモンスターのトラブルから救うのは褐色の肌のマーゴであり、マーゴを主人公に紹介したケヴィンという少年も黒人だ。そして前述した通り作中に登場するモンスターたちは不法滞在のマイノリティ民族集団であるかのように描写されている。チャールズ一家が新居に越してきて初めて食卓に上る食材は、韓国由来のキムチやロシア由来のケフィア、インド由来のサーグ・パニールなどだ。もっとも、そんな珍しいものばかりではなく発芽パンだとか目玉焼きのような異国風でないものも選ばれてはいるが……。こういった作品内の要素が著者の政治的な立場を反映したものであることは間違いないだろう。ただそれと同時に著者の政治的な立場をもって作品を評価してもしょうがないという実感も無視するわけにはいかない。著者夫妻がトランプの排外主義的な移民政策に反対だから良い漫画だなどとは口が裂けても言えない。それでも先に列挙した作品内の要素の取り合わせが現実の政治と無関係だなどと考えるのは馬鹿げている。どこで線引きをしたらいいかわからないというのは、まさにここから先どのように語るべきか何を語るべきかということについて僕が上手く仕分けできないからだ。ただ、はっきりと言えるのは、母親がサーグ・パニールを息子に無理に食べさせようとはしなかったことがよく示しているように、あくまで子供の自主性を尊重する思想がうかがえるということだ。食卓の件だけではない。主人公の父親が住居を自分で改装した際に壁の中から見つかったガラクタのなかには裏面にヌードが印刷されているとみられるカードゲームのセットがあった。父親は息子にガラクタの中に気に入ったものがあれば持っていっていいと許可を出すが、ただしカードには手を触れるなと言い含めている。自分の子供の目に触れるのは教育上好ましくないと考えるのであれば、目につかないところに隠しておけば確実だろうにそうはせず、ほかのガラクタと一緒に無造作に放ってある。自分の息子を信用して自主的な判断に任せているからだ。本作が現在的な政治的状況をどう反映していて、どのように思想的な意味を持っているのかということについて、僕が勇み足をしない程度に語るとこんな感じになる。

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8/10