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工廠

楊鈺琦著《工廠》
  • 工廠
  • 作者: 楊鈺琦
  • 出版社: 慢工出版社
  • 出版日期: 2014年12月
  • 尺寸: 26cm x 18cm
  • ISBN: 978-988-12555-3-2
  • 頁數: 32
  • 80 HKD

レビュー

台湾の零細出版社から出ている漫画。購入したときの決済は香港ドルだったけれども発送は台湾からになっていてそこらへんの事情はよく知らない。登場人物がテキストによるセリフをしゃべることのないいわゆるサイレントコミックスのひとつ。ただし冒頭と後書きには作品世界の背景を説明するテキストが置かれていて、それらも含めて作品を完結させているといえる。その補足的なテキストを含め、表紙と奥付の表記にも元の中国語(台湾華語)のほかに英語とフランス語がすべて併記されていて中国語の読めない読者にも配慮されている。本書は台湾の経済が1960年代以降に外国資本を呼び込んで工業製品を輸出する「世界の工場」として発展した時期のことを背景に、直接には著者の母親の体験に基づいて描かれたフィクション。「亞洲紀錄漫畫」の謳い文句の通りにドキュメンタリーの側面が強いものの、本書は漫画というフィクションならではの魅力をも発揮した作品になっている。

ストーリーの本筋は四コマ漫画で説明できてしまうくらいに単純。長年にわたって工場勤務に精を出してきた労働者が、ある日よそからやって来て肩代わりした経営者の横暴な方針によって不当な待遇を強いられるというもの。歴史的な事実として台湾の多くの労働者が被った災難を描く本筋に加えて、付随的に発生した社会問題の示唆や、モデルとなった著者の母親への尊敬の念をも盛り込んでいる。ただし、このことは内容が盛りだくさんというよりは、むしろ話の本筋に組み込めず散発的な描写にとどまっていると言わざるをえない。すなわち、著者はたびたびこの主人公である母親ペンギンの立派な振舞いを描いているけれども、それは話のすじの本道には何の影響もしていない。身も蓋もないことを言わせてもらえば、労働者が勤勉であるかどうか、慈愛に満ちているかどうかなどとは関係なしに不当な扱いを受けたのが本書の背景にある社会問題のはず。著者としては自分の母親への敬意を作品に繰り込まずにはいられなかったんだろうけれども、単純に物語を楽しみたい読者としての僕にとっては、ただでさえ短い紙幅を割いて散発的なオマージュに費やしていることがもったいなく感じられる。工場から排出される汚染物質についての示唆についても同様だ。汚染が深刻化し社会問題として取り上げられるまでは現場の労働者たちでさえ自分の工場がやっていることに無自覚だったという歴史的な経緯を示唆したいんだろうということはわかる。しかしそういった有意義な視点もまた散発的なものにとどまり、話の本筋に組み込まれていないのが残念だ。

冒頭はペンギンの娘を保育園に預けて別れるペンギンの母親の出勤風景から始まっている。擬人化の手法であることは明らかだけれども、ペンギンであること自体に特別な意味はないものとして僕はページをめくっていった。つまり単純に絵的な嗜好上の問題で、たとえば著者が動物を描くのが好きだとかいうような理由でもって登場人物がみな擬人化されているんだろうとばかり思った。しかし話が進むにつれて普通に人の形をした人物も登場する。そこで読者はペンギンと人間の違いは何かということに考えを及ぼさずにはいられなくなるはずだ。ペンギンは労働者で人間は資本家を表している……というように見えるかもしれないが、実はことはそんなに単純ではない。この擬人化の設定そのものが、当時の台湾の経済と雇用の関係を反映していて、直接に作品の背景となった現実世界を再現している。犬だとかサルだとかではなくなぜペンギンなのかという理由はあとがきで明らかにされていて、僕はその箇所を読んで思わず吹き出してしまった。これは本編の漫画の部分を読むだけでも読者によって自然と見て取れるものだったならなお良かったのにと思う。無数のペンギンが工場勤めをしているという設定そのものが多国籍企業による強欲で横暴な利潤追求の寓話になっている。

工場で働く労働者たちが擬人化されたペンギンとして描かれるというこの手法は、派生的にある種の荒唐無稽な表現をも許容する効果を生んでいる。母親の勤める工場に新しく赴任した経営者が唐突な移転を敢行する場面がそれにあたる。

Excerpt A
工場の移転

これは工場の移転というものが本来ならばありえないほど唐突で素早く独断専行的に行われることのカリカチュアにほかならない。まるで政治風刺の一コマ漫画のような荒唐無稽な表現は、作品がリアリズムべったりではなく根底に擬人化の手法があるからこそ、一切の説明なしに成立しているといえる。新任の経営者が足の伸びた工場にロープをかけて一晩のうちに勝手に移転を進めてしまうという暴挙をメタファーではなく、作品世界における実際の出来事として描くことが可能になっている。

本作は決して込み入ったストーリーを扱っているわけではないが、それでも言葉によらずに物事をどれだけ表現するかという点においてところどころ工夫がうかがえる。

Excerpt B
路頭に迷う失業者たち

恵みを施してやる立場の母親がなぜか恐縮したような表情をしているのは、そして頭を下げているのは……失業者が雇用にあぶれたことの原因が本人にあるわけではないことを承知しているからであり、明日はわが身とも言うべき同胞への共感があるからだ。物乞いのたいそうな驚き方からはこのように同胞へ情けをかける労働者が必ずしも多くはなかったことがうかがえる。

絵柄の点では、テーマがテーマだけに全編通して基本的に陰鬱なトーンに覆われている。上掲の物乞いの場面に代表されるように細かい描き込みもたびたび見られるいっぽう、動作を表す補助線や集中線を多用していて読みづらさを感じさせない。姿恰好はペンギンだが顔つきは人間っぽいという本作の擬人化のスタイルは悲哀な感傷と少しグロテスクな嫌悪感を催させる。

Excerpt C
娘の希望を叶えてやる母親

母親は勤め先の工場で本来は廃棄処分しなければならないパーツの不良品をたびたびこっそりもちかえっていた。全身いびつな破損箇所だらけの哀れな人形の完成を母娘がバンザイして喜ぶ様子を見せられると悲しさとおかしさの両方が同時に込み上げてくる。リアリスティックな人形の造形と人間的な母娘の感情表現のおかげで成立しているユーモアだ。この場面の表現の主眼は労働者が自分の生産する商品を自分で購入することが出来ないほどの貧困に置かれているというネガティブな労働条件の指摘だけれども、それを決して被害者的な立場で哀調一辺倒に陥ることなく、期待を持って働き続けるという能動的な意志のもとにユーモアとして表現することに成功している。作中、僕がいちばん気に入っている場面でもある。

結局のところ、本作は資本家が労働者を搾取する話だろと問われればそうだと答えるほかにない。しかし、作品の背景にある社会問題が台湾のみならず日本でも、そして世界の至るところで現在も噴出している古くて新しい問題であることを意識するならば一読の価値がある作品だと言わざるをえないだろう。また、引用した画像の箇所に見られるように固有の漫画的表現も捨てがたい魅力を持っていることを強調しておきたい。

Rating
8/10