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Wayward Girls #1

Wayward Girls #1 by Michiel Budel
  • Wayward Girls #1
  • Author: Michiel Budel
  • Publisher: Secret Acres
  • Publication Date: 2012
  • Size: 25.3cm x 17.7cm
  • Format : comicbook
  • ISBN: 9780983166238
  • 24 pages
  • $9.00

レビュー

オランダ人の漫画家によるウェブコミックをニューヨークの出版社がまとめて刊行した作品集。タイトルはオランダ語で Slechte Meisjes というようだけれども、これをキーワードにウェブで調べてみてもオランダ本国やその他の国で刊行されたかどうかは確認できなかった。いわゆるインディー系というものを出版社や編集者の介入の度合いの少なさという傾向性としてみなしてよければ、これはまさに典型的なインディー系コミックだろう。初歩的な英文法の誤りや誤字のたぐいでさえ修正しない編集姿勢に加えて、独自の漫画文法と嗜好に基づいて好き勝手に描き散らしたと思える奔放な作風が、好むと好まざるとを問わずたぐいまれな強烈な個性となっていることだけは認めざるをえない。

本書に収録されているコミックは17本。どれも独立して読むことができ、時系列などの順番が意図されているとは思えない。登場するキャラクターや世界観のようなものは共通しているようだけれども、決して厳密に整合性が図られているわけではなく、都合によってどうにでも変化するものだと思われる。「……ようだ」とか「……と思われる」といった曖昧な言い方をするのは、すべての収録作に共通する設定やルールを抽出するのが困難だからだ。悪く言えば適当だし、良く言えば臨機応変で自由自在に描いているということになる。

実際に収録作を読んで、どれもこれもおもしろいと絶賛する読者がいるのかどうか僕には疑わしい。一読して放り出す人が多いんじゃないかと想像する。なぜそう思うのかというと、まずなんといっても絵が拙いということがある。どんな基準をもってしても絵が上手いと褒めるのは難しいだろう。それから、いろんな意味での読みづらさ、わかりにくさということがある。こういった不満を抱きながらも僕がレビューを書こうと思ったのは、それでも捨てがたいある種のおもしろさを見出したからだ。その本題に入る前に収録作の中から選んだ一つを引用して理解の参考にしてもらおうと思う。なぜなら百聞は一見に如かず、本作のわけのわからなさや無軌道ぶりは独特で、言葉による説明でどこまで伝わるのか疑わしいからだ。

以下に挙げるのは Summertime Love と題された14番目のエピソード。ほかの多くのエピソードにも共通した特徴を最も多くあわせ持っていて、収録作の中ではこれが代表的といっていいんじゃないかと思う。

Excerpt A
Summertime Love 左ページ
Excerpt B
Summertime Love 右ページ

収録作を一瞥すると同じ顔ぶれがたびたび姿を見せているように見えるけれども、これといった主人公は存在せず、固有の名前を持ったキャラクターが複数のエピソードにわたって登場することもない。セリフの中で特定のキャラクターを指し示す必要があるときには The Soldier Girl とか The Popular Girl などというように、それぞれのエピソードのなかでキャラクターの受け持った役割や属性に応じて便宜的に呼び名が割り振られている。キャラクターが固有名を持っていないということは単に作者によって名前が伏せられているということではなく、そもそもこれらの一連のコミックにおいてどのキャラクターもアイデンティティを保持していないということを意味している。にもかかわらず、前述したように同じ顔ぶれがたびたび姿を見せているように見えるのは、類型化されたキャラクターばかり登場するからだ。すなわち、おさげの少女たちと、腰掛けた髭の老人という組合せだ。

このおさげの少女たちこそ作者がもっとも描きたい対象であることは疑いないけれども、その根本にあるはずの作者のモチーフがいったい何であるのかということはよくわからない。相当なこだわりがあるということは一読して見て取れるけれども、そのこだわりを明確に定義するのは困難だ。なぜなら具体的にこうだと定義してしまうと、それから外れる例外が実際には散見されるからだ。ただ、たびたび目に付く特徴をいくつか挙げることはできる。まず、彼女たちの装いがハイソックスとミニスカート、そしてユニフォームであるかのような画一的なTシャツに偏っているということ。そしてどの少女もことごとく髪型がおさげばかりであるということだ。こういった特徴を挙げてこれらが作者のフェティシズムによるものだとみなすことは容易だけれども、果たしてそうなのかという疑問がある。もし少女たちの装いや髪型へのフェティシズムがあるならば、それから外れる外見の少女たちとのあいだで描かれ方に違いがあってもいいはずだ。すなわち、どちらが好ましいか、魅力的かという点で。しかし、どう見ても作者が少女たちの外見上の違いに重点を置いているようには感じられない。本当にこだわりがあるのかさえ疑わしい。身もフタもない推量を言わせてもらうと、いろいろと描き分けるのが面倒だからどの少女たちも同じように描いているというだけのことなんじゃないかと思える。

少女たちはみなレズビアンとして描かれていて、しかもそれが自明のことであるかのように扱われている。レズビアン的な関係がマイノリティであるという意識は微塵もなく、そもそも彼女たちと対的な関係になりえそうな青少年のキャラクターが一切登場しない。唯一、毎度のように登場する男性キャラクターは腰掛けた髭の老人だ。この髭の老人も少女たちと同様に匿名でありながら、同様の老人が同時にあちこちの世界に存在するといった奇妙な描かれ方をしている。アフガニスタンやギリシャなど、少女たちが赴く先々でそれぞれの場所や文化に応じて容貌を替えながらもまるで同一人物の変身であるかのようにこどごとく椅子に腰掛けて待ち受けている。そしてたいていはパイプをくゆらせて、膝の上に少女を乗せて話を聞いてやるといった役割を受け持っている。

こういった偏りのあるキャラクターの選別をふまえた上で作者がこだわりを持って描いているところのモチーフが何であるのかを突き止めようと僕は試みてみたけれども、結果はあまり上手くいかなかった。例えば、おさげの少女たちと老人の組合せという関係からは、老人が少女たちを集め軟禁状態において抑圧しているとか、性的搾取だとか想像する向きがあるに違いないが、実際にはそういう内容ではない。老人と少女たちとが性的関係を持つことは一切描かれず、関係がほのめかされることすらない。少女が素っ裸で老人の膝の上に乗っているコマが一つあるけれども、それはただそれだけのことだ。また、少女同士のレズビアン的な性関係が頻出することに注目してそこに作者の性的偏執のありかを限定しようとしても無駄に終わる。なぜなら作者はスコット・マクラウドを登場させたコミックのひとつにおいて少女の一人とベッドインさせているし、本書に収録されてはいないけれども、ウェブのほうで読めるエピソードにおいては髭の老人同士のホモセクシュアル的関係も描いているからだ。一見すると髭の老人の存在は不気味に見えるかもしれない。しかし、たとえば作者が髭の老人の立場に自身を置いて少女たちのハーレムに君臨して楽しんでいるかのような解釈はもっともらしく聞こえるけれども、あまり説得力があるとは思えない。どちらかというと髭の老人の存在は話を進めるための便宜的な道具にすぎないように思える。髭の老人が少女たちと性的な関係を持たないという点に着目して、たとえば少女たちを一箇所に集め、自分は手を触れずにレズビアンの楽園を遠巻きに眺めて愛でるといったような、つまり少女たちを神聖視するような性的嗜好でもって作風をくくろうとしても徒労に終わる。なぜなら、あるエピソードにおいては老人がガンマ線を照射したリンゴを少女の一人に食べさせて身体の変化を観察し、結果的に過度に充満した身体エネルギー(?)によって自然発火して燃え尽きてしまうといった無責任な実験をやっている。また、続篇の Wayward Girls #2 においては少女が中年のレスラーとプロレスの試合をやって痛めつけられるというような乱暴にもさらされている。とても作者が少女たちを神聖化しているとは言いがたい。作者が何らかのこだわりをもっておさげの少女たちを描いていることは明白だけれども、それでいてステレオタイプな性的偏執趣味からは外れていることがわかってもらえただろうか? 収録作の中には少女たちが演劇をやるエピソードがひとつあって、そこではあるおさげの少女が髪を切ってショートヘアになる場面がある。僕はそれを見て意外にも可愛いじゃないかと思ってしまった。僕は女の子のおさげの髪型にまったく魅力を感じず、単に機能的なもので、あえて言えば子供っぽいスタイルだとしか思わないので、そういった僕の嗜好も本作の受容に影響しているだろうということは付け加えるべきかもしれない。つまり、少女たちがことごとく先に言ったようなショートヘアだったならば作者の得体の知れないこだわりに共感できていたのかもしれない。まあ、何とも言えないけれども。

少女たちのレズビアン的な関係がどれだけ見た目に拙く見えても、作者が肯定的に、それなりにロマンチックなものとして描いていることは間違いないだろう。それでも、読者の感情移入を妨げる限界があるように感じられる原因のひとつは、ムードの区別を一切しない作風にある。少女たちの抱擁もキスも、受話器を取ったり、ドアの開け閉めをしたりすることと同じくらいに日常的なものとして、あけっぴろげな味気ない行為であるかのように描かれてしまっている。また、感情表現一般においても抑制されていて、起伏にメリハリが乏しいように感じられる。これは表情の描き方がパターン化されていて、感情の程度の違いを表せていないということにいちばんの原因があると思える。つまり、少女たちは怒るときはいつも同じように怒り、悲しむときもいつも同じように悲しむといったように。もっと正確に言うと、少女たちの感情が抑制されているのではなく、実際に描かれた表現がキャラクターの感情に合致していない、追いついていないというミスマッチだ。このことは実は予期せぬユーモアをもたらすという点で貢献していて、このコミックの中で僕がおもしろいと感じた数少ない場面のひとつはこのミスマッチが元となっている。

Excerpt C
掛け値なしに僕がおもしろいと思う箇所。……ここで笑わないと、もう笑うとこないよ!

ギリシャで出会った少女のことが忘れられず、悲しみに打ちひしがれていたおさげの少女。このコマのおかしさは「それでコールセンターガールになった!」というナレーションによる説明が因果関係として意味をなしていないというナンセンス・ユーモアだけにあるのではない。顧客に話を聞くよう必死に訴えかける興奮振りに表情がぜんぜん追いついていないというミスマッチが笑いを催している。こう言うと、お前は作者の絵が下手なことを笑いものにしているのかと反発する向きもあるかもしれないが、それは違う。作者は僕が感じたユーモアを間違いなく意図的にやっているはずだ。なにしろセリフがくどすぎる。このことは実際に作者がもっと巧くリアリスティックにキャラクターの表情を描けるかどうかといった実力の有無とは関係ない。つまり、作者がわざと下手糞にこのコミックを描いているかどうかということは問題にならない。

本書に収録されたコミックの内容について、特に作者の意図したところについて僕がどれだけ理解できているかというと正直言って怪しいと思っている。わかりにくさのひとつとしてパロディがたびたびおこなわれているということがある。オランダのTVシリーズや映画など僕が知るはずもないネタに言及されてはなすすべもない。また、作者はフランス語やドイツ語、オランダ語、さらにギリシャ語といったような英語以外の言語によるセリフをあちこちで織り交ぜていて読者の正確な理解など気にもかけていないんじゃないかとさえ思える。さらに作者独自と思しき漫画文法にも悩まされる。通常、人物の顔のそばに短い線を何本か引くと、それはその人物が何事かに気付いたことを示すか、あるいはパッと表情が華やいだことを示すというのが一般的な用法じゃないかと思うけれども、作者は明らかにそれから外れた意図でもってこの記号的表現を用いている。小さなフキダシの中に描かれたはてなマークも同様で、どう考えてもその人物が疑問を抱くような状況ではない場面においてたびたび使われていて、作者の意図が図りかねる。

Excerpt D
ナチスの鉤十字のデザイン性を絶賛するスコット・マクラウド

初めはわかりにくいと思えても何度も読んでいるうちに了解することの出来る荒唐無稽な表現様式があって、それは僕が本書の中でおもしろいと感じた数少ない箇所のもうひとつの根拠となっている。先に挙げた Summertime Love というエピソードの5番目から6番目のコマにかけて、郵便受けから顔を覗かせている少女が実際に腕を突っ込んで手紙を届けるということをやっている。なぜ少女が郵便配達をやっているのかということや、なぜ郵便配達人が郵便受けから中を覗いたり、声をかけたりといった本来の職務から外れたことをやっているのかといことについてまじめに考えてみても仕方がない。これは作品世界内の現実としては単に郵便物が届いたということを荒唐無稽にコミカルにアレンジして表現している。つまり、郵便物が届いたという事実さえ読者に伝えることが出来ればその実際の手順など別にどうでもいいじゃないかという割り切りがここにはある。挙げた箇所そのものはそんなにおもしろいとは思わないが、この種の割り切り方はいろいろな可能性を開くものとして僕はかなり気に入っている部分だ。

このコミックのアートは一瞥して明らかなように色鉛筆によるものと思しきカラーリングが人を食ったような挑発的な印象を与える。本来なら白黒や二色刷りのコミックに比べて豊かであっていいはずの色彩が、色数が限られていることによってかえってちぐはぐとしていて、物の持つ色合いの鮮やかさを表現することなどはなから放棄しているという意思を表明しているかのようだ。実際のところ、たとえば連続した二つのコマにおいて老人の着ているジャケットの色を替えることで日時が変わっていることを示すというような用途以外に作者が特にこだわりを持って着色している箇所があるようには見えない。このコミックのカラーリングは、背景の太陽や月に顔を描くといった必然性のないスタイルとあわせて幼稚さを演出するためのアイデアなんじゃないかと思える。

レイアウトは多くのコマにおいて同じ構図が多用され、しかもほぼ同じ近さから人物を描くため非常に圧迫感のある窮屈なものになっている。読みにくさの原因の一つでもあるけれども、作者がそれを欠点だと考えているのかどうかは疑わしい。読者に対してわかりやすい表現を提供しようなどという親切心があるとは思えないからだ。引用したページのあちこちに背景やキャラクターの輪郭とは無関係の薄いスジがおぼろげに映っていることがわかるだろうか? これは描き損じた部分を修正する際に元の原稿の上に貼り付けた紙片が厚みを持っているために不可避的に印刷に出てしまったものだ。どちらかといえばデジタルよりもアナログ作画のほうを好む僕でもこれには力の抜けた苦笑いをするほかない。

それほど好意的とはいえないこのレビューを読んでどれだけこのコミックに関心を持つ読者がいるのか知らないが、実はこの続きの Wayward Girls #2 に収録された作品はこちらよりもはるかにおもしろいものばかりになっている。もし #2 を同時に購入していなかったならばおそらくレビューを書く気にはならなかっただろう。本書の収録作はまだ作者にとって方向性を定めるための試行錯誤の時期だったということなのかもしれない。いずれにせよ、ほかに類例を見出しがたく、フォロワーがいるとも思えない独特の作風に出会えたことに後悔するはずもない。

Rating
5/10