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1869 : La Conquête de l'espace - Vol. 1

1869 : La Conquête de l'espace - Vol. 1 par Alex Alice
  • 1869 : La Conquête de l'espace - Vol. 1
  • Auteur: Alex Alice
  • Editeur: Rue de Sèvres
  • Date de parution: septembre 2014
  • Format: 32cm x 24.2cm
  • Couverture : cartonnée
  • ISBN: 9782369810131
  • 64 pages
  • 13,50 €

レビュー

Le Château des étoiles というシリーズ物の第1部第1巻。冒険家の母親が熱気球に乗って前人未到の遥かな天空を目指して消息を絶ったのちに、その跡を継ぐ形で父と息子が仲間たちとともに新時代の飛行船建造計画に携わる様子を描く。基本的にはSF作品ということになるけれども、実在した歴史上の人物を大胆に物語の中に配置し、架空のテクノロジーの産物にはスチームパンク風の意匠をあしらい、さらには場違いと敬遠されかねない荒唐無稽なユーモアをも織り交ぜるといったような、ひとつのジャンルに収まらない非常に意欲的な作品となっている。

Excerpt A
果敢な冒険に挑むクレール

主人公の母親が目的としたのはエーテルの発見であり、ヨーロッパで古来から宇宙を満たしていると信じられていたこのエーテルが実際に存在していたということが、この漫画のSF作品としての基本的な設定となっている。19世紀後半の時点でいまだその存在が確認されていないエーテルは迷信の産物とみなされており、彼女が熱気球に乗って伝説の物質の発見を企てたことは世間一般から見れば無謀な挑戦だったということになる。エーテルは特殊な装置を用いて変換することによって莫大なエネルギーを得ることが可能であり、この特徴こそが国際的陰謀をも巻き起こすスケールの大きな物語の根拠となっている。

主人公一家はフランスに住んでいたフランス人の一般市民なんだけれども、三つの章からなる本作の第1章の終盤から先はずっとバイエルンのフュッセンにある城が話の舞台になっている。主人公父子が招かれることになってその後ずっと住込みで働くことになるロシェ・デュ・シーニュというのはどうやら現在では一般的にノイシュヴァンシュタインと呼ばれている城のことのようだ。歴史に疎く、「ルートヴィヒ」なんてドイツ人によくある名前だろうくらいにしか思っていなかった僕は、もっとあとのほうで「国民はあなたのオペラ鑑賞や城の建築に耐え忍んで……」というようなセリフが出てくるまでまったく気がつかなかったけれども、フュッセンまで主人公父子を呼び寄せたバイエルン王というのは実は狂王ルートヴィヒこと、ルートヴィヒ2世のことだ。史実に題材を採った物語の時代背景のひとつが、このルートヴィヒ2世の気質ということになる。すなわち、国政に関与したがらずオペラへ過度に傾倒し、夢想の世界に生きたルートヴィヒ2世がエーテルの実在を知ったならばいったいどんなことを思いつくだろうかという点にある。もうひとつの時代背景はプロイセンの宰相ビスマルクの野心だ。ビスマルクにとってエーテルは空からの覇権の奪取を可能にする軍事的手段を意味する。ドイツ統一を目論む鉄血宰相にとって是が非でも手に入れたいフロンティアというわけだ。当時のドイツはプロイセンとバイエルンだけではなく、小さな公国やら何やらがいくつも林立していて煩雑で分かりにくい。しかし、これは決して歴史通のために描かれた漫画ではない。主人公をして「もしドイツがひとつのドイツだったらわかりやすくていいのに」などとわざわざ嘆かせているほどで、読者は大雑把にプロイセンは悪玉、バイエルンは善玉くらいの理解でもって臨んで今のところまったく差し支えない。そのいっぽう、第二帝政の末期にあたるフランスの国内事情はまったく話題に上らず、ナポレオン3世の名前すら出てこない。

主な登場人物としてはまずデュラク一家の三人が挙げられる。クレール・デュラクは女だてらに果敢な冒険家として伝説の物質エーテルを求めて熱気球で飛び立ちそのまま消息を絶つ。エーテルの発見に至る最後の瞬間まで書き続けたのちに地上へ投下した航行日誌がのちにバイエルン領土で発見され、ルートヴィヒ2世の知るところとなる。デュラク教授はクレールの旦那であり、セラファンの父親である男。鉱山で鉱夫を効率的に上げ下ろしするための蒸気式エレベーターの開発に携わっていたエンジニア。常識的な通念のもとにエーテルの存在を否定し、奥さんの冒険に強く反対する立場でありながらも、実際には彼女が乗った熱気球の設計に関わっていたことが示唆されている。セラファンはクレールとデュラク教授の一人息子であり、母親が消息を絶った後も天空への憧憬を抱き続けた純朴な少年。

Excerpt B
「親方、空からブタが……ブタっ鼻の男の子が!」

主人公父子の仲間になって運命をともにすることになるハンスはロシェ・デュ・シーニュ城において家族そろって住込みで働いている少年。自動的に大空へ上昇してエーテルを採取して戻ってくる無人式の熱気球を設計する知識を持ち合わせているほどの発明家。ユーモラスな見た目とは裏腹におそらく仲間内ではもっとも洒落っ気のあるダンディーと思われる。もうひとりの仲間であるソフィーはロシェ・デュ・シーニュ城でメイドとして働いている女の子。具体的な家族関係は不明だけれども、ハンスとは親の異なる姉弟関係(demi-soeur)にある。かなり気丈な性格で、ハンスやセラファンと口論になるような場面においても一歩も引かない気の強さが目を引く。セラファン、ハンス、そしてソフィーの三人はやがて「エーテルの騎士」として誓いを立て結束する関係にあり、この三人にセラファンの父親であるデュラク教授を加えた4人がルートヴィヒ2世の造船計画に関与する主人公勢力ということになる。専門的な知識を持ち合わせていてプロのエンジニアとして既に仕事をしていたデュラク教授は別として、まだ子供といっていい年頃の残りの三人が国王の命令のもとに進められる重要なプロジェクトに関わるというのは妙に聞こえるかもしれないが、この点については敵対勢力の干渉のせいで三人が不可避に巻き込まれていくという筋立てによって解決されている。

本作に登場する主な女性の登場人物はみな積極的で、どちらかといえば気の強いタイプばかりだ。先に挙げたクレール然り、ソフィー然り、そしてルートヴィヒ2世に助言を与える立場のオーストリア皇后エリザベートも同様だ。絶対的で特権的な地位にあるエリザベートは別にするとして、クレールについては決して伝統的に男が適任とされてきたポジションへ安直に女性をあてがったわけではないということは付け加えておかなければならないだろう。つまり、単にありがちな冒険家の性別を男から女に切り替えただけではない。命懸けの冒険に臨むにあたって決して妻として及び母としての立場を忘れてはいない。あからさまにセリフとして語らせてはいないけれども、さりげなく描かれた表情でもって、彼女が夫と息子のことを顧みない自分勝手な野心家などでないことははっきり見て取れる。ソフィーについてこの巻のなかで描かれている数々の言動は、メイドという職業柄を思えばずいぶんと大胆で出しゃばっているように見えるかもしれない。実際のところ、僕も初めて読んだ際にはソフィーの振舞いが意外で場違いのものなんじゃないかと一瞬危ぶんだけれども、時代や状況を踏まえたならばむしろ当然で賞賛されるべき態度とみなすべきなんじゃないかとすぐに考え直した。彼女は君主制国家において王の身近に従事する城仕えの立場であって、ただ膳の上げ下げをしたり、部屋の掃除をしたりするだけの雑用係とは違う。究極的な条件下では身を挺して王の命を守るという覚悟まで求められているんだろう。また、当時の子供はセラファンのように学校に通うのでなければ働きに出るのが普通だったはずで、そういった時代状況も考慮すべきなんじゃないかと思える。つまり、大人と子供の区別など仕事に従事するうえではたいして問題にならず、同じように結果を求められたはずだ。

Excerpt C
機転を利かせて禁断の隠し通路へとふたりを誘うソフィー

プロイセンのスパイが城の中に潜入していることを知らされたソフィーの対応に彼女のキャラクターがよく出ている。策略によって城内がもぬけの殻となり、バイエルン王の命が危ういことを悟った彼女は立ち入りが禁じられている隠し通路を通って玉座の間への突入を試みる。僕がこの場面を気に入っているのは、か弱い女の子が刃物を取って悪漢に立ち向かおうとする勇気をことさら評価したいからではない。もちろん、刃物を振るうということは逆にその刃物で返り討ちに遭う危険をはらみ、相当な覚悟を前提としている。しかし僕が感銘を受けたのは、非常事態であれば誰の指図も受けることなく自分で判断してルールを破ってでも本来なすべきことをなすという、自律的な姿勢のほうだ。ソフィーが普段メイドとしてどんな働き振りをしているのかということについて具体的な描写はないけれども、有能なメイドであることはこの非常事態への対応の仕方で見て取れる。

本作の数あるキャラクターの中で最も巧みに描かれていると思えるのは、ほかでもないルートヴィヒ2世だ。セラファン、ハンス、ソフィーの三人と初めて対面するたった一度きりの場面でしかないけれども、僕にはかなり強烈な印象を与え、これひとつだけでも評価せざるをえない名場面だと強調したい。玉座の間を彩る円卓の騎士をモチーフとした壁画について、セラファンは聖杯伝説に代表されるおとぎ話のたぐいはあくまで架空のものであってドラゴンなど実在しないんだというように子供ながらに賢しげに論評してみせる。子供たちのそのやりとりに陰で耳を傾けていたルートヴィヒ2世は突如として姿を現し、おとぎ話は荒唐無稽な作り事などではなく、真実が含まれているんだということを強調する。僕がこの場面に感銘を受けた理由は、まだ狂人とみなせるような異状をきたしていない若いルートヴィヒ2世の口から人生経験と理性に基づく深い洞察の言葉を語らせながらも、晩年において顕著になる狂気の資質がすでに胚胎していることをも同時に示唆するという、一見すると矛盾しているかのような人物描写を史実とフィクションのすじの両方に則りつつ実現していることにある。加えて、のちに三人の子供たちが円卓の騎士にならって誓いを立てることを念頭に置けば、ルートヴィヒ2世の言葉はこの先の物語の展開を暗示しているかのごとく耳に響く。まるで冒険を夢見て心はやる若い勇者を諌めて知恵を授ける老賢者のようだ。二重、三重の意味で強い説得力を持つセリフによって史実の有名人をフィクションの中に自然にはめ込むことに成功している。

ストーリーのそもそもの発端、すなわち主人公の母親が熱気球に乗ってエーテルの発見を目指して行方不明になった出来事は1868年のこと。その1年後に母の遺品である航行日誌を発見したバイエルン王から仕事の依頼を告げる手紙が主人公の家に届く。そしてセラファンとデュラク教授の父子はバイエルン王の城に招かれ、記念式典に向けて依頼された飛行船の建造計画に加わるというのが概略ということになる。あらすじのレベルにまで単純化するとかなり一直線に進んでいく物語だと言えるけれども、実際の話のすじはぎゅうぎゅうと詰め込まれていて細かな誤読を誘発しやすくなっている。表層では決して難解ではないけれども、ディテールにまで着目するならば読者の積極的な推察をかなりの程度頼みにしていて、断片的で示唆的な情報の提示にとどまった表現が要所においてたびたび用いられている。良く言えば話のすじを先の読みづらいものとして含みを持たせ、悪く言えば一読しただけでは腑に落ちない疑問をもたらすほど複雑なものにしている根拠は、招かれざる客による陰謀と、読者へ向けたその提示の仕方にある。

具体的な筋立てのうえでは、話の舞台がロシェ・デュ・シーニュ城のなかに限定され、国王の飛行船建造計画を推進するという一本道になりがちな単調さを打ち破ってくれる最大の要因であり、時代背景のうえではビスマルクの命令のもとに主人公父子に対してあの手この手でもって干渉する役目を担っているのがプロイセン人の一味だ。デュラク親子がバイエルン王から呼出しを受け、居城のあるフュッセンまで汽車を乗り継いで旅する途中においてプロイセン人の一味は誘拐を試み、さらにロシェ・デュ・シーニュ城のなかにまでスパイを潜らせて最後の最後まで策略を仕掛けてくる。主人公とその仲間たちにとってもともとの課題はルートヴィヒ2世の飛行船建造計画を推進することであり、城の中にプロイセンのスパイが潜入していることを察知したのちはそのスパイ活動を阻止するための対応にも追われることになる。本作を一読した後に、プロイセン人の一味による策略をすべて思い出してみたならば、実はそこに一貫性がなく、矛盾したことをやっているように見えるという疑問を多くの読者が抱くんじゃないだろうか。すなわち、彼らはルートヴィヒ2世の暗殺を狙っていたのか、そうではないのか? 主人公の命を狙っていたのか、そうではないのか? 飛行船建造計画の邪魔をしたかったのか、それともそうではないのか? ……といったような疑問だ。プロイセン側の策略に一貫性がないように見えるのは当然で、実は飛行船建造計画の進捗状況にともなって陰謀の実現手段に変更を加えている、というのが僕の理解だ。そうでなければつじつまが合わなくなる。ひとつの大きなポイントとなっているのは、ルートヴィヒ2世にもとから使えていたクリスチャン・ヤンクという建築家とデュラク教授との関係にある。ふたりがルートヴィヒ2世の飛行船建造計画にどのように寄与しているのかという違いに着目することによって、ようやく僕は不可解なプロイセンのスパイの振舞いを理解することが出来た。

また、陰謀の標的となる主人公父子のくだす解釈が、直接の被害者である以上は当然のことながら説得力を持っているんだけれども、実は主観的に少しずれてしまっているという事実も付け加えなければならない。デュラク教授は汽車の旅の途中で息子がプロイセン人の一味によって誘拐されかかった件と、おそらくはその後ロシェ・デュ・シーニュ城において同様のスパイによるものと思しき殺人未遂事件が発生したことを結びつけて、プロイセン人のスパイが息子を殺そうとしたと思い込んでいるが、実はこれは勘違いだ。聡明なデュラク教授の発言は、まるで読者に向けて錯綜した状況を整理してみせる親切なまとめのように聞こえるため、僕はすっかり騙されてしまった。プロイセン人の発言に注意すればわかることなんだけれども、たった一言なのでよく記憶にとどめておかないとその後の展開でミスリーディングにはまってしまう。実際はプロイセン人がセラファンを殺しても何の得にもならず、彼らの陰謀の狙いは当初から別のところにある。

こういった紛らわしさは決して物語の大筋を楽しむうえで障害になるような欠点ではなく、あくまで話のすじのディテールにまでこだわったらという条件での疑問だ。実際のところ、僕が初めてこの物語を読んだ際にはそんなことを気にかけることもなく、主人公たちが目下直面している危機に命懸けで対処していくスリルと、城に忍び込んだスパイのもたらす得体の知れないサスペンスによって作品世界に没頭してページをめくっていった。とはいうものの、推理小説の犯人探しじゃあるまいし、ここまで読者による積極的で補完的な推察を要求するのかとちょっと驚かされた。

叙述のスタイルについてはなんといってもテキストの量が多いことをまず挙げなければならないだろう。もちろんどのページもテキストで埋め尽くされているというわけではなく、作者は必要に応じて絵とテキストを配分していてそれなりに納得はいくものの、やはり僕の感覚ではテキストが多いと感じる。初めて読んだ際にはページを開くたびに目に入るテキストの山に「げえっ!」となったもんだけれども、レビューを書いている今となってはそれほど否定的でもなくなっている。本書のテキストのうち、フキダシによって語られている登場人物のセリフが多い箇所についてはデュラク教授と建築家クリスチャン・ヤンクの議論の場面を挙げたい。

Excerpt D
建築家クリスチャン・ヤンクの設計を批判するデュラク教授

オーケストラを乗せて総重量121トンにもなる巨大な飛行船を飛ばそうというヤンクの杜撰な設計をデュラク教授が論破する。船体を浮かばせるために必要となる燃料の質量のことしか頭にないヤンクに対して、デュラク教授はエーテルを採取することの出来る高度に至る前に気球のバルーンがもたないということを指摘している。作者は作品固有のSF的設定に一辺倒になるあまりその設定が及ばないはずの領域の問題を不問に付してしまうことなく、科学的な根拠に基づいた論理的な推論の重要性にも気を配っている。確かにセリフの量は多いけれども決して無駄話をしているわけではなく、ちょっと意外なおもしろさのオチがつく読み応えのある場面になっている。

テキストの多さという点ではもうひとつ、フキダシを用いないナレーションがある。このナレーションは主人公セラファンによる一人称の語りになっていて、時代背景の説明や主人公の心情の表現にあてられている。作者はセラファンが抱く不安や恐怖のような心情を直接にフキダシで語らせることを避けて、このナレーションでもって小説の一節のように仕立てている。例えばセラファンは、初めて足を踏み入れたロシェ・デュ・シーニュ城の周囲を取り囲む鬱蒼とした森が、まるで時代を遡ったかのように不自然に古色蒼然とした不気味さを湛えているということについて、たとえここでプロイセン人のスパイに出くわしたとしても、そのことでむしろ安堵することが出来るんじゃないかといったような込み入った感想を漏らしている。また、謎に包まれたルートヴィヒ2世について、その謎が星空の下にたたずむ城と同じように途方もなく大きいというようなメタファーを用いて表している。いずれもフキダシを用いた発話やモノローグではやりにくい小説的な文体になっている。読者の好みはどうあれ、少なくとも会話中心で展開していく通常の物語のトーンを切り替える一種の気分転換にはなっていると言えるだろう。

ナレーションのテキストは物語を部分的にダイジェストのように飛ばし飛ばしに進行させることにも使われていて物足りなく感じることもないわけではない。それでも本書が全体で64ページと決して多くはない紙幅に制限されていることを思えば仕方のないことなんだろう。また、ナレーションの部分で用いられるフランス語には、文法書の説明によればもはやリセでは教えていないとされる面倒くさい時制を平気で使ってくるので正直言って読むのに苦労した。それでも読み終わった後の読者として思うことは、テキストが多かろうが少なかろうが、ナレーションに依存しようがしまいが、おもしろけりゃ何でもいいよというのが本音だ。著者には次巻以降もこの調子でやってくれと言いたい。

キャラクターを掘り下げ、深みを出す描写については本作の話のすじとは直接に関係のない、日常的とも言える素朴な素の側面をさらけ出すところが良くも悪くも目を引く。ソフィーとセラファンのからみを描いた場面がそれに該当し、僕は何とも言いがたい歯がゆさを感じずにはいられない。

Excerpt E
うぶで純朴な少年少女を絵に描いたようなソフィーとセラファン

セラファンがロシェ・デュ・シーニュ城にたどり着いた翌日のこと。父親の居場所を探して城の中をうろついていたセラファンをソフィーが不審に思って呼び止める場面。セラファンはソフィーのことを城に住むお姫様、すなわちバイエルン王の娘だと勘違いして Majesté と呼びかけている。そしてセラファンの勘違いを受けてソフィーは一瞬、「えっ?」というような驚きの表情を見せている。心なしか、頬を染めているようにも見える。僕はこのような描写は気恥ずかしくてまともに見ていられない。「なあにがマジェステだ、この野郎!」と言ってセラファンの頭の上に手を置き、わしゃわしゃとしてやりたい気持ちになる。ソフィーとセラファンの初顔合わせは前日のこと、すなわちハンスの無人式熱気球が意図せぬ離陸をしてしまったトラブルの結果、熱気球の錨にズボンの裾を引っ掛けたセラファンが入浴中のソフィーの元へまるで覗き魔のごとく飛び込んでしまった事件においてだ。したがってソフィーはセラファンに対して嫌悪感を抱いてこそ自然であれ、お姫様と勘違いされたくらいで頬を染める義理はないはずだ。セラファンもセラファンで、どこからどう見てもメイドにしか見えないはずのソフィーをお姫様と勘違いするほど世間知らずだという描写は正直言ってどうかと思う。作者はいかにも純朴なふたりの少年少女のやりとりを描いたつもりなんだろうが、僕の目には直視にたえない。この件について僕の意見は両義的だ。つまり、丸っきりダメだというわけでもないし、よく出来てると褒める気にもなれないという具合に。一方的に褒める気になれない理由は、ここで描かれているのが少年少女の純朴さを表現する手垢のついたありきたりの陳腐な表現に過ぎないからだ。一方的にけなす気になれない理由は、のちほど一国の王の命を助けるべくヒロイックな活躍をする少年少女の日常の素のありさまを描いているという点においてだ。この場面を「微笑ましい」の一言で済ませる読者もいるに違いないが、僕は思わずページから目を背けたくなるほど気恥ずかしくなってしまって仕方がない。この場面、何が何でも必要かと問われれば、別になくても構わないよと言うほかないだう。それでも作者はこういった通俗的な描写を挟むことにまったく抵抗がないらしい。

キャラクターが本来置かれている設定から外れるような逸脱を作者はたびたび行っていて、まるでその部分だけ荒唐無稽なギャグ漫画に様変わりしたかのような違和感をもたらす描写を好んで取り入れているかのように見える。ただの誇張で済ませることが出来るならまだいい。たとえば、ルートヴィヒ2世のお抱え建築家クリスチャン・ヤンクの杜撰な設計についてデュラク教授が論破する前述したくだりは続きがある。必要のないものはなるべく飛行船の設計から取り除こうとするデュラク教授に対してヤンクは懲りることなく食い下がり、お願いだからチャペルは残してくれと懇願している。いい加減にしろとツッコミを入れたくなるようなボケっぷりは明らかに単なる誇張であってユーモアとして楽しめる。しかし、首をひねらずにはいられない場面も見られる。主人公セラファンについては、学校の授業で課題の発表を求められた際のエピソードが挙げられる。セラファンは金星(Venus)についてその気候や植生について自身の考えるところを得意げに発表し、エーテルを動力とした探査船の話へと続けるが、途中で教師から発言をさえぎられて小言を喰らっている。実はこの時間は自然科学系の科目ではなくラテン語の授業であり、課題はローマ神話のビーナス(Venus)についての発表だった。自分が発表を行う授業がどの科目か知らないなどということはありえず、しかもこの科目で平均点を取らなければ放校がかかっているという重要な局面でこんなふざけた振舞いをするということは考えられない。まるでツッコミを待ってひとりでボケ続けるコントのようなおかしなことをやっている。この手の逸脱はソフィーについてもある。前述した彼女とセラファンの初顔合わせを描いた場面において、入浴中のソフィーは窓ガラスを突き破って飛び込んできたセラファンをためらわず窓の外に突き返すという信じがたい対応をしている。窓の外は落ちれば即死もありえるほどの高さで、しかも突き返されたセラファンが時計の振り子のごとく勢いよく窓の外へ飛び出すという描写はギャグ漫画そのものだ。この手の逸脱をその場限りの単なる誇張で片付けることが出来れば特に目くじらを立てる気にもならず楽しむことができただかもしれないが、僕は何だか別のジャンルの漫画をつぎはぎしたような違和感を覚えずにはいられない。

ストーリーについて不満を挙げると、まずエーテルの発見という歴史的な出来事の扱いについてだ。登場人物の誰しもエーテルなる物質が実在したという事実を世界に向けて公表しようという気にならないらしく、歴史に名を残すに値する発見の重大さに驚愕する描写も見られない。主人公セラファンはさすがに初対面のハンスの口からエーテルという言葉が飛び出した際に聞き流すことなく驚いてはいるけれども、彼が驚いたのはエーテルの実在を証明する人物に出会ったからではなく、母親の遺品である航行日誌を発見して手紙をよこした本人ではないかとハンスのことを誤解したからに過ぎない。セラファン、ソフィー、ハンスの三人がエーテルの騎士として結束する場面において、ハンスはエーテルの秘密を守るということに誓いを立てている。つまり、エーテルは秘密にしておかなければならないということのようだ。この点については明らかに読者に対して説明不足だと思える。

いくら読み返し考えてもよくわからないことがひとつだけある。プロイセンのスパイが仕掛けた策略にはまり、城から追い出される羽目になったソフィーは素性を偽って城で再就職することに成功している。ベレー帽をかぶり、眼鏡をかけ、口ひげをつけただけの適当な男装が通用してしまうというのは……まあ、マンガだからということで目をつむるとしても、主人公の父親であるデュラク教授に対しても素性を偽って騙し続けようとした理由がわからない。教授は話せばわかるタイプであって変装の事情を話したほうがむしろ城内のその他の人びとから正体を暴かれないよう振舞う上で有利であり、ことさら欺く必要などなかったはずだ。このことだけはいくら考えてもわからない。

絵柄については、まず表紙に登場している人物たちは本編においてそれほど緻密でくっきりとしたスタイルで描かれてはいないということを言っておかなければならないだろう。とくにハンスはひどいもんで、表紙ではとても凛々しく頼もしささえ感じさせる顔立ちをしているけれども、本編ではもっとくずしてデフォルメした子供向けのスラップスティックに出てくるキャラクターのようにたびたび簡略化されて描かれている。ただ絵柄が、とくに背景がそれほど緻密ではなくスケッチ風だということは必ずしも欠点とは言えないように思える。登場人物が素早く走る場面においては背景を縞のようにぼかして描くことで動きを表現していて、こういうタッチと親和性の高い折衷的な緻密さなんじゃないかとも考えられる。ストーリーを詰めに詰め込んでいるせいかもしれないが、これだけ大きな判型でありながらあまり大ゴマを使っていないのはもったいない。見開き二ページを使って一度はロシェ・デュ・シーニュ城の全景や、あるいは豪華絢爛たる玉座の間を描くというようなことをやってくれてもよかったんじゃないかと感じられる。

クライマックスとなるルートヴィヒ2世の式典を描く場面は、地上でワーグナーの指揮によるオーケストラの演奏が鳴り響き、祝福の花火が打ち上げられるさなか、はるか頭上の城の屋上ではプロイセンの画策する陰謀が明らかとなって、それを阻止すべく立ち回る主人公一同が大騒動を繰り広げるといった、まるでハリウッド映画の娯楽大作のような盛り上がりを見せている。このクライマックスは決着に至るまで見せることなくまさに佳境というところでブチ切っていて、どんな読者でもやきもきするんじゃないだろうか。史実の上ではまもなく普仏戦争が控えている時期であり、いったいこの先どうするつもりなのか気にかけずにはいられない。史実から大きくそれることなく、しかし王室を巻き込んだ大胆な冒険に旅立つという話のすじが考えられる。また、エーテルの発見が歴史の歯車を狂わせたとして、ここから架空戦記物のような展開を繰り広げる可能性もじゅうぶんにありえる。どちらの場合であっても、公式サイトで確認することの出来る次巻以降につけられた表題を見た限りではとんでもない方向に物語が進んでいくことになりそうだ。

僕は読む上で事前の予習が求められるような漫画は好まないんだけれども、この作品についてはむしろ積極的に時代背景を知りたく思って、同時代のフランスやドイツの歴史の本を取り寄せて勉強を始めてしまった。この先の展開への期待が膨らんで予習がまったく苦にならず楽しい。久々に次巻の刊行が待ち遠しいという感覚に襲われている。まあ、固有のSF的設定で羽目を外しすぎてずっこける懸念もないわけじゃないが、少なくとも本書は傑作と呼べるシリーズの幕開けとしてじゅうぶんな出来だと言えるだろう。

Rating
9/10