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Sing No Evil

Sing No Evil by JP Ahonen and KP Alare: Cover
  • Sing No Evil
  • Author: JP Ahonen and KP Alare
  • Publisher: Abrams ComicArts
  • Publishing Date: Septermber 2014
  • Size: 23.5cm x 17.3cm
  • ISBN: 9781419713590
  • Format: Hardcover with jacket
  • 192 pages
  • $24.95

レビュー

昨年フィンランドで刊行された Perkeros の英訳版。JP Ahonen 自身による翻訳。ブレイクを目指しているがいまだ日の目を見ずにいるメタルバンドのボーカリストの葛藤を、邪悪な超自然的現象が密かに人びとに浸透して蝕んでいくサスペンスと絡めて描くオカルト的バンド漫画。どちらかと言えば子供向けのギャグ漫画にでも向いてそうなデフォルメの利いたキャラクターデザインでありながら、ストーリーは大人の男女のきわどい関係や化け物と命懸けで戦うような深刻な展開にまで及んでいる。これを盛りだくさんで意欲的であり、表現の幅を広げるものとして肯定するか、ミスマッチで破綻しているとみなすかの違いに評価の一つの分かれ目がある作品ということになるだろう。

物語はフィンランドのタンペレという街を舞台としていて、主人公アクセルの率いる Perkeros(ペルケロス) はこの街を活動拠点とするメタルバンドだ。フィンランドでメタルでオカルトという組み合わせからは北欧のブラックメタルが連想されるかもしれない。僕も本書のタイトルが Sing No Evil であることから、おそらく悪魔崇拝的なメタル音楽をやっていた連中が本当に悪魔を呼び寄せてしまったというような内容の漫画じゃないかと予想していたけれども、実際のところペルケロスはそういうステレオタイプなバンドではないし、この作品におけるオカルト要素にはもう少しひねりが利いている。

Excerpt A
Perkeros の5人

アクセルはペルケロスのギタリスト兼ボーカリスト。学生だが大学にはほとんど通わず仕事もせず、音楽活動にかかりっきり。バンドの方向性を決めるリーダー的存在であるいっぽうで、そのボーカルがバンドの最大の弱点と評されるほどに問題を抱えている。リリーはバンドの紅一点でキーボードを担当。マネジメントも一手に引き受けていてバンドの現実的な活動は彼女なくしては成り立たない。ナイトクラブでアルバイトをしながらバンド活動にも多大な貢献をしている立派な人。美人で仕事もよく出来て、対バンの強面の男たちと堂々と渡り合える気の強さも持ち合わせているという理想化された女性だ。登場頻度が高くセリフも多く、喜怒哀楽のさまざまな様相を描かれる機会に恵まれていて、しかも場面に応じて装いやヘアスタイルを替えて見た目にも楽しませてくれる。アイドゥンはイスタンブール出身の男でバンドの弱点を改善すべく新規加入することになったボーカリスト。少し口さがないきらいはあるけれども、アクセルとは違って屈託のない性格で、なおかつ超絶的な歌唱力を持っていてギターも弾けるため、初めから彼がバンドにいたならば主人公はいらないんじゃないかと思えるほどだ。ケルヴィネンは長い白髪とヒゲをたくわえた異色のベーシスト。数々の著名なミュージシャンと共演したという胡散臭い昔話と、音楽とこの世の摂理との関係を説く独自の理論をたびたび開陳する少しボケの入ったようなおじいさん。普段バンドの練習をする一室が入っているビルの管理人でもある。異色どころではないのがドラマーを務める「クマ」。どうして熊がドラムを叩くことが出来て、しかも誰一人として不思議に思わないのかということは不問に付されている。ほかのバンドのドラマーにスカンクがいることからも推察されるようにこの世界では動物の音楽活動はありふれたこととして受け入れられているようだ。人の言葉を話すことはできないが、唯一ケルヴィネンと意思疎通が出来るという設定になっている。

熊がドラマーを務めることにストーリーの上で必然性はない。とはいっても作者が意味もなく奇抜な設定を取り入れるとも考えにくい。僕の推測では、クマの存在はケルヴィネンの異色っぷりから読者の注意を逸らすためのアイデアなんじゃないかと思える。もしクマがいなかったならば読者はこの若者ばかりのバンドになぜ一人だけ年寄りが混じっているのか疑問に感じてならないだろうし、そのことについて説明をしない話の進め方にも怪しいものを感じていたに違いない。実のところ、ケルヴィネンがひどく年をとっていることには理由があり、作中の大きな謎となるオカルト要素に関係していて、序盤早々に素性を明かすわけにはいかないという筋立ての都合がある。当然のように熊が馴染んでいるバンドにその良き相方として年寄りのメンバーがいたところで大方の読者はさほど気にならないだろう。主人公が自分のバンドの音楽性を指して「アヴァンギャルド・メタル」と呼んでいることも、類型的なイメージから逸脱した風変わりな顔ぶれに説得力を与えている。

話のすじによって随時描かれるのはタンペレの中で起こるほんの数ヶ月のあいだの出来事だけれども、登場人物の回想と叙述によって知ることの出来るエピソードも含めるとストーリー全体は中世キリスト教の修道院に端を発している。ストーリーの起源が時空を超えてそこまで遡る理由は、オカルト要素がどのように用いられているかということを踏まえれば理屈としてよくわかる。本作における超自然的現象の根源にあるモチーフは、究極のメロディが単に音楽として聴衆を感動させるといった効果を超えて不思議な力を持つというもの。そして話のすじのクライマックスは化け物とペルケロスのメンバーとの対決ということになっている。素朴なモチーフから始まってクライマックスへとどのように読者を導くかという過程で独特のアイデアがマンガ的なウソとして貢献している。音というものが聴覚として独占的に耳で感受されるだけではなく、大気の振動として物質的な次元で作用しているということは太古の昔から人類は経験的に知っていたはずだ。この素朴な考えを拡張すればケルヴィネンが説明するように音によって万物をコントロールすることが可能だという理論へと行き着く。しかし、これだけではクライマックスにおける化け物を登場させるまでには至らない。なぜならケルヴィネンの主張は音の普遍理論であるため、言わば文化的・歴史的なが付いていないからだ。別の言い方をすると、特定の化け物を出現させるにはそれ相応に想像力が文化的な規定を被っていないとならないわけだ。例えて言うなら、落武者だとか旧陸軍兵の幽霊を目撃するのは日本人に限られているといったような意味合いで。そこに中世キリスト教の修道院がストーリーの起源としてふさわしい理由の一つがある。音によって万物をコントロールすることが可能だとして、究極のメロディが生まれたならば……あとはニーチェの深淵を覗くとき深淵もまたどうたらこうたらという相互作用の関係性を示唆する箴言を引用して加勢してもらえば反キリスト的な怪物の出現に説得力を持たせることが出来る。もっとも、マンガ的なウソという意味でだけれども。

筋立てはペルケロスのバンド活動の展開と超自然的現象の蔓延、およびアクセルの女性関係の三つが大きな軸となっている。ペルケロスは頼りないアクセルのボーカルに取って代わる新メンバーを加入させ、念願のロックフェスへの出演を果たすんだけれども、これが意外な結果に終わることになる。この話の軸は超自然的現象の蔓延がもたらすサスペンスと絡んで展開していく。すなわち、当初はアクセル一人だけに訪れる幻覚のように思われた不思議なヴィジョンが、実は決して病気でもなんでもなく究極の音楽が行き着く普遍的なものであるということをケルヴィネンの説明によって提示し、さらにロックフェスの会場となるクラブにおいて同様のヴィジョンを邪悪なニュアンスで振りまく輩がいることを仄めかす。このサスペンスの結果としてクライマックスにおける化け物との対決がある。一応断っておくと、アクセルをたびたび襲う幻覚的なヴィジョンはあくまで個人的なものであり、ケルヴィネンこそ独自の音楽理論の立場から理解を示しているものの、ほかのバンドのメンバーにとってはおそらくいつもの妄想癖くらいの扱いになっているはずだ。ペルケロスは観客に対して幻覚的なヴィジョンを見せることを売り物にしているバンドではないし、そもそもこの作品世界は超自然的な現象がありふれているような設定で成り立ってはいない。したがって、化け物の登場はペルケロスの面々にとって本当に驚くべきことであり、彼らの音楽活動と本来は何の関係もない。この二者がクライマックスのさなかにおいて結びつけられ、アクセルの慢性的な不調が実はメンタルなものであったことが示され、全体として一つの教訓を導き出す筋立てになっている。この教訓というのは、まあ間違っていないし賛同するけれども、そんなわかりきったことが結論なのかよと僕はちょっと呆れて物足りなさを感じた。先に筋立ての大きな軸として挙げた三つ目の女性関係は僕にとってかなり不満の残る部分だ。アクセルと同棲しているヤンナという名前の彼女は、アクセルの音楽活動への入れ込み方をあまり快く思っていない。まず大学を卒業することを念頭に置き、仕事をして学生ローンの返済をすべきだと考えている。そのような彼女の現実的な懸念に対してアクセルがほとんど無頓着であることも不満を募らせる一因となっていることは明白だ。ヤンナの不満はアクセルとリリーの関係についての誤解が元で爆発することになる。問題はアクセルが誤解を解くためにヤンナに向かってまともに説明しないことだ。ヤンナの一方的な勘違いを正そうともっと必死になっていいはずなのに何故かそうしない。また、誤解が解けないまま久しぶりに再会したアクセルとヤンナが情熱的に求めあってしまうということにも驚かされた。自分の彼氏が浮気をしているに違いないと疑っているにもかかわらず、その疑いを晴らす前に "Just shut up and make love." と言って積極的に迫る女はいかがなものかと思う。アクセルをたびたび襲う幻覚的なヴィジョンにリリーの姿が登場することがあって、彼がリリーのことを単なるバンドメンバーではなく女として意識していることは、決して表に出さずとも読者に向けては明確に示されている。しかし、このアクセルのリリーに対する心情の描かれ方は中途半端だ。長年付き添って自分の生活を支えてくれたヤンナを裏切ることに良心の呵責を感じながらもリリーを選ぶ、あるいは思い直してヤンナとよりを戻す……どちらの場合であれ、その程度に深みのある葛藤を描写してくれれば納得するけれども、本作の主人公アクセルはどっちつかずのまま状況に流されている。

さらにリリーの関係している話のすじについて言うと、不自然な肌の露出を描いている場面がひとつあってこれも僕にとってちょっとした不満だ。

Excerpt B
Fan service

たとえ気心の知れたバンド仲間とはいえ、自宅に男と二人きりの状況で着替えをする際、ドアが閉まっていないことに気付かない無用心な女がいるだろうか? そもそも背中越しに会話をしているんだから声の通り具合で気付いていいはずだ。まるで日本の少年漫画のしょうもない常套的表現を見せられているようだ。

まあ、あってもなくても大差ない冗長な場面ならば作品を評価するうえで特に問題とはならないかもしれないが、看過するわけにはいかない致命的なほころびも見受けられる。ペルケロスのメンバーたちが化け物と対峙するクライマックスは、それまで引っ張ってきた作中の謎がすべて解き明かされる重要な場面であるにもかかわらず、その説明の仕方がいかにも駆け足でぞんざいだ。命懸けの戦いのさなか、ふとアクセルの発した問いに呼応してこの化け物は身の上話を始める。そしてアクセル一同はその長いおしゃべりに黙って耳を傾けてしまっている。とっとと仲間を引き連れて逃げるか、もしくは戦って打ち倒すかするのが自然な反応のはずだ。化け物の身の上話を聞いてもらわなければ読者に対して謎の解明をすることが出来ないからそうしているわけなんだけれども、もっと別のやり方だって出来たはずだ。もっとも、化け物のほうにも語らずにはいられないという本音がある。ここで僕が「化け物」と呼んでいる輩は地獄から召還した悪魔のような時間を超越した絶対的存在ではなく、意に沿わぬ形で異形の姿に成り果てた経緯があるからだ。それでも、例えばペルケロスのバンド活動の描写にたびたび挿む形でリアルタイムに進行する出来事として描き、読者の共感を催すことだって出来たんじゃないだろうか。回想によるナレーション付きで再現シーンを飛び飛びに見せられても迫力に欠ける。

もう一つ残念な箇所はリリーがアイドゥンの才能を見出す初対面のときの出来事だ。ロックフェスへの出演を願っているものの、懸案となっているボーカルの弱さを解決できない不安を抱えていたリリーは、バイト先で頼まれてピザを買いに出かける。そこのピザ屋の店員がアイドゥンだったという虫のいい都合による遭遇が設定されている。一歩譲って偶然出会ったことは良しとしても、アイドゥンのボーカリストとしての超絶的な技量をリリーに悟らせる手口がずさん極まりない。この男はリリーから注文を受けてピザをこしらえているあいだ、イヤホンで音楽を聴きながら大口開けて熱唱している。鼻唄程度ならいざ知らず、客が待っているすぐそばでそんなふざけたマネをするピザ屋がどこにいるというのか。アイドゥン自身の、良く言えばざっくばらん、悪く言えばずうずうしい性格を考慮しても無理がある。

Excerpt C
Rocktoberfest への参加決定を祝うふたり

絵については間違いなくこの漫画の尽きせぬ魅力の源泉で、僕が感じるその他もろもろの不満を大いに補って余りある。いちばん秀でている部分を挙げるならば明暗の表現の豊かさということになるだろう。目もくらむようなまばゆい閃光の走るステージ、青緑がかった照明の控え室、ナイトクラブの仄暗いテーブル席など、場に合わせてさまざまな色を使い分けていてまさにカラー作品ならではだ。強い明かりの射す向こう側と薄明かりのこちら側というように明暗のコントラストを遠近感の表現に用いたコマはとても臨場感に溢れていて、引き込まれるような視線の快感がある。光の表現が特に魅力的に感じられることの根拠として、光を明暗の領域の違いとして区別したりグラデーションの処理をしたりするのにとどまらず、しぶきを飛ばしたようにまばらで微小な明暗の差異をあちこちに施していて、これがその場の空気を感じさせる効果につながっているんじゃないだろうかと思える。自分でまったく絵を描かない僕には、これがひょっとしたらコンピューターで簡単に加工することのできるお手軽なものかもしれないということは念頭にあるけれども、それでも細かい配慮の行き届いた充実した表現であることには変わりない。

キャラクターデザインについては賛否の混じった評価ということになる。長い鼻すじに人種的な特徴はうかがえるものの、丸っこい眼の描き方はいくらか日本のアニメのキャラクターのようにも見える。アメリカ人の読者はカートゥーンぽいと言うのかもしれない。いずれにせよ、僕がここで言いたいのはこの漫画のキャラクターデザインは日本の漫画の文法に照らし合わせてみてまったく違和感がないということだ。登場人物にさまざまな表情をさせているにもかかわらず、大げさに顔のパーツが歪むような誇張をせずバランスが取れていて、常に状況に適した表現に収まっている。あくまで僕がこれまで見てきた限りでの話だと断った上で言わせてもらうが、日本の漫画のキャラクターデザインを連想させるような海外の漫画作品はろくなものがなく、読めたもんじゃないというのが正直な感想だ。本作は稀な例外の一つということになる。キャラクターデザインについて唯一ケチをつけたいところは縮まった等身だ。通常のバンド活動を描いた場面などでは特に問題ないけれども、大人の男女の関係をこの等身のキャラクターで読まされるのには抵抗がある。アクセルのガールフレンドが大人っぽい色気のある黒い下着を着けていながら、体が子供みたいに見えることにギョッとしてしまう。また、重箱の隅をつつくようだけれどもアイドゥンは一部のコマでは肥大化した頭が乗った何かのマスコットキャラクターのように不恰好に見えてしまっている。ほかはそのままに等身だけをもう少し伸ばして描いていてくれたら……と残念に思えてならない。

作者の引く線は決して正確ではないし、緻密な描き込みでコマを埋め尽くしているわけでもない。額に入れて美術館に収まるのがふさわしい一枚一枚の絵画作品のような絵を描いてるわけでもない。それでも僕は読み終わってからというもの、ふとしたときに適当なページをめくってしばらくコマからコマへと視線をすべらせるのが心地よくてたびたび手に取っている。他愛のないバンドの日常を描いたような場面であっても楽しいのは、キャラクターデザインののデフォルメされている度合いにくらべて齟齬をきたさない程度には詳細で情報量のある背景と、なんだかんだいって日本の漫画の感性が染み付いている僕にとって親和性の強いキャラクターのおかげだろう。

理屈で語ると不平不満が字数を稼ぐことになりがちで不満たらたらに聞こえるかもしれないが、結局のところ僕はこの作品をかなり気に入っている。理由は繰り返すまでもない。この作者が新作を発表したならば無条件に購入するつもりだ。

補足

本作は Delitoon で公開されていてテキストはフランス語だけれども、全ページをタダで読むことが出来る。

作中で開催されるロックフェスの会場となっているクラブは実在していてグーグルの画像検索で簡単に見つかった。本書の113ページ、Delitoonでいうとエピソード6の上から二つ目のページに描かれている建物の右側に注目してほしい。モデルとなっているのはタンペレ所在の Klubi だ。

Rating
8/10