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Ça pousse

Ça pousse par Lorena Canottiere
  • Ça pousse
  • Auteur: Lorena Canottiere
  • Editeur: Diábolo Editions
  • Date de parution: Juin 2013
  • Format: 15.9cm x 21.8cm
  • Couverture : cartonnée
  • ISBN: 9788415839071
  • 128 pages
  • 14,90 €

レビュー

イタリアで Marmocchi として刊行された漫画の仏訳版。幼い子供たちが日常生活の中で見せた意表をつく言動の数々を描いたコミックストリップで、現在も更新されている著者のブログに掲載されたものを収録している。特定の主人公もいなければ脚本もない寄せ集めの見聞に基づくコミックストリップという様式は、一見すると気まぐれでとりとめのないもののように映るかもしれない。しかし、ひとつひとつのコミックとして再構成する際の徹底した手法からは、著者の確固とした信念のありようをうかがうことができる。

Excerpt A
言ってることは滅茶苦茶だが、とにかく元気な子供たち

序文において著者はネタを提供してくれた37人の名前を列挙して謝辞を述べている。本書に収録されているコミックストリップの主な登場人物となっているのは、とりもなおさず彼らの子供たちということになる。ただ、僕が実際に読んでみたうえでの印象から言わせてもらうと、表紙にも出ている巻き毛の子供は著者の息子さんなんじゃないだろうかと思える。この子はけっこう登場回数が多く、ほかのたくさんの無名の子供たちとは違って本人の名前でもって呼ばれる箇所がいくつかあり、しかも家庭内のプライバシーに属するような場面でたびたび登場しているからだ。それから、ネタによっては職業柄こどもと接触する機会の多い立場の大人による報告のように、すなわち他所の家の子供の言動を見聞きしたもののように思えるコミックもいくつかある。まあ例外があって悪いわけじゃないし、決して自説に固執するつもりもない。著者はそれぞれのコミックストリップに提供者の名前を表記しているわけではなく、登場人物やその場の状況について説明するような注を付けることも一切していない。著者がそういう姿勢であるならば、したがって読者もあえて登場人物のアイデンティティにこだわるような読み方をする必要はないんじゃないだろうか。

収録作は子供たちのおかしな言動によるユーモラスな内容になっているものが多い。科学的認識や宗教的教義、人間関係におけるマナー、一般常識など、彼らを取り巻くありとあらゆる物事への無知や誤解に基づく素朴な反応は、大人の側からすれば意表をつくユーモアになっている。わざわざ「大人の側」と断ったのは、子供たちは別に大人を笑わそうとしているのではなく子供なりの論理で真剣に振舞っているからだ。ひとつひとつのコミックストリップがどのようなユーモアの質や仕組みでできているか分類してみようとしてすぐに思い当たったのは、実際にはユーモラスではあるけれども言葉によるロジックで説明しにくいものがいくつもあるということだ。それは読者を笑わそうとして作り上げたフィクションとは違って、本書の収録作が実体験に基づくものであるということによっている。

Excerpt B
静と動がぴったりとはまった感のある子供のリアルな挙動

上に挙げたような例は創作もののコミックストリップでは作品として成立しにくいだろう。しかし、実際の出来事としてはいかにもありそうな子供の挙動で、微笑ましいおかしさに満ちている。この女の子の勢いの感じられる突進、正確を期するかのような人形の配置、そしてすぐさま取り繕う安らかな笑顔……「かわいい」とか「かわいらしい」とか言ってしまえばそれまでだけれども、これは作者が子供たちの言動のどんな部分に着目しているのかがよくうかがえる典型だと思う。

読み始めて気になったことが三つある。一つは子供と大人の登場人物とで描き方が著しく異なっていることだ。原則的に大人の姿をコマの中に入れないようなこだわった構図が選ばれている。大人の姿を描く場合にはなるべく顔は映さないように、あるいは顔の部分まで含む場合でも全身を影法師のように暗くぼかすことによって恰好や表情がはっきりと読み取れないようにする手法がほぼ徹底されている。ある集団を別の集団から区別してはっきり見た目のうえで差別化して表現するという手法は、たとえば虫の世界を描くアニメーションで人間たちを巨大で恐ろしい怪物のように描き分けるといった類のものと同様にありふれた発想に違いない。ただ、このコミックストリップでは大人を子供に対置して異質な者たちとして描くというよりは、むしろ作者の視点があくまで子供だけに向けられていることを喚起し、描きたいことの本質を読者が見失わないようにするための方便のように思える。したがって、背景についても大人の登場人物たちと同様に具体性を欠いた必要最低限の書き込みに留められている。この手法は必ずしも万能でも理想的でもなく、むしろユーモアの効果を妨げる結果につながっている例も見受けられる。たとえば次に挙げるコミックストリップがそうだ。

Excerpt C
子供は手加減というものを知らない

母親が、おそらくはふだん家事をしているときとは違って丈の短いスカートを履いたしゃれた恰好をしていることに気づき、まるで女の子みたいだと口に出して驚いてしまうちょっと残酷なユーモア。これは母親がどんな恰好をしているか、さらにどんな表情をしているのかを読者にはっきりと見せて描いたほうがおもしろいものになっていたに決まっている。手法がユーモアを制限してしまっている。

二つ目は内容とは対照的に絵づらが暗いということだ。これは一つ目に挙げた大人の姿の描き方に加えて、陰影をほどこされた部分がやけに多いということだ。登場人物の気分を表しているわけではなく、その場の状況が悲惨だったり憂鬱だったりするわけでもない。読者に対して何らかのムードを提示したいわけでもない。何だかよくわからないがどんよりと翳った部分の多いことが、読み始めた当初はずいぶん気になった。作者がなぜこういう陰影にこだわっているのかということについて僕には明確な答えが出せない。ただ、推測で言わせてもらえるならば、やはり作者が最も描きたい部分である子供たちへスムーズに読者の視線を促すという効果のためなんじゃないかと思える。顔はべったりと暗く塗るようなことはせず、とくに眼の中は白く抜かれていることによって、暗い部分から明るい部分へと自然に読者の視線を誘導することが出来るというように。もっとも、暗く塗りこんだ部分を消してしまったならば、この背景の描き込み具合からして全体がスカスカになってしまうという理由もあるかもしれない。

三つ目はほとんどすべてのコミックにおいて子供の登場人物の言動でオチがつき、そのままツッコミや補足などなしに終わっているということだ。これは子供の間違いやおかしな言動に対して大人が訂正なり叱責なりをして誤りを正していないというだけではなくて、大人の立場からの反応を付け加えていないということを意味する。誤解のないよう断っとくが、ここで言っているのは最後のコマの話だ。各コミックストリップが展開する途中においては、たとえば親子の会話の中では当然のことながら親が子供の間違いをたしなめるような場面はいくらでもある。僕が当初感じたのは、この類の子供の好き勝手で支離滅裂な言動を描くならば、最後に少なくとも大人の立場の登場人物の驚いたり、呆れたりする顔を挿むことによって、言わば作者の立場を示したうえでコミックストリップを締めくくるというのが自然じゃないかということだ。収録されている作品の中にはいわゆる political correctness に関わるものもあって、無邪気な子供たちがどんな失礼なことを言ってしまうかハラハラしてしまう……いや、実際に言ってしまっているものもある。だからといってこの作者のスタイルが欠如をもたらしているとは思わない。何が正しくて何が間違っているかということなど、まともな読者なら分別が付くに決まっている。本書に収録された大量のコミックストリップを読んだ後では、むしろ決まりきった大人の反応など余計で冗長なだけではないかとさえ思えてくる。それだけではなく、間違いなく作者が最も描きたいと考えているもの、すなわち子供たちの生き生きとした表情や躍動する身体、その全体からほとばしるような活気を強く印象付けるには適切な手法と言えるんじゃないだろうか。

本書の中に見られる子供たちは確かにみな可愛らしい。しかし、作者はあからさまに可愛げを装うような描き方はせず、むしろ子供たちがふとした折に見せる妙な顔つきを好んで描いているように見える。感情が高揚した度合いに応じて、まるで幼児の手によるデッサンのように眼の輪郭はふるえ、口はゆがみ、不揃いの歯が覗いたりする変な顔があちこちで見られる。そういった子供たちの顔を変にしてしまうようなありとあらゆる感情の奔出を、それがまだ年端もいかない子供たちであるという限りにおいて肯定するならば、本書の中の子供たちはみな抱きしめたくなるような可愛さに溢れている。

Rating
8/10