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Koma

Koma by Pierre Wazem & Frederik Peeters: Cover
  • Koma
  • Writer: Pierre Wazem
  • Artist: Frederik Peeters
  • Publisher: Humanoids
  • Publishing Date: June 2012
  • Size: 26.5cm x 19.5cm
  • ISBN: 9781594650789
  • Format: Softcover
  • 278 pages
  • $29.95

レビュー

フランスの Les Humanoïdes Associés から出た同作品の英訳版。もともと6巻で刊行されたものを一冊にまとめている。煙突掃除の仕事に従事する親子に訪れた生活上の危機に始まり、地下世界の怪物との運命的な遭遇を経て、やがて人びとをコントロールする不思議なシステムの謎へと迫っていく壮大な冒険ファンタジー的漫画。前半と後半とで作品のジャンルが変わると言っていいほどの意外な展開をはらむ筋立ては、その全体を通した解釈にかなりの困難が伴い、その点で読者によって好き嫌いのはっきり分かれるところだろう。

物語の冒頭は工業化と過密化の進んだ架空の街を舞台に始まっている。すぐに目を引くのは煤煙を吐き出す煙突がこれみよがしに林立し、鉄道の走る高架があちこちに渡された風景だ。見た目にはちょっとおもしろそうに感じられるかもしれないが、これらの煙突や高架が人びとの生活空間と距離を置かずに雑多に押し込まれていることや、街中に開けた空間や平坦な土地が見当たらないことからは、産業社会的な経済性と効率性を優先した都市設計をしているだけだということが推測される。人びとの生活が豊かであるようには思えず、彼らの多くは暗く疲れきったような表情をしていて、商業広告の中に見られる笑顔や華やかな色合いとは対照的だ。先へ読み進めれば政府が人びとをどのように扱っているかということが明らかになるけれども、冒頭の時点で既に作者がこの煙突の街について多かれ少なかれ否定的な意味付けをしていることが見て取れる。

主人公のアディダスは煙突掃除人の父親に付いて回って仕事の手伝いをしている子供。僕は23ページ目まで来て父親の口から her という言葉を聞くまでまったく気がつかなかったけれども、実はこの子は女の子だ。特にストーリーにおいて意味を持っているとは思えないが、女の子らしさを感じさせる特徴を仕草や感情表現、嗜好などありとあらゆる面において作者が意図的に排除していることは間違いない。年端も行かないうちから働くことに不平の一つもなく、気丈で献身的に振舞う様子は痛ましいほど健気だ。ただし、身の丈から明らかな幼さを思えば、奇妙なほどに大人びた子供だとも言える。この子は不意に昏睡状態に陥ってしまう持病を抱えていて、これは狭い煙突の奥にこもって仕事をするうえで致命的な弱点となり、しかしながら細い煙突の掃除仕事を請け負うにはどうしても小柄の身の助けが必要だという、父親にとってのジレンマの原因にもなっている。

Excerpt A
煙突の中で危うく死にかけたアディダス

アディダスは時折その場面に必ずしもそぐわない謎めいた物言いをすることがあって、注意深い読者を戸惑わせたり、深読みを強いるような場面をいくつも提供している。その根本的な理由は単に筋立ての都合で読者の注意を喚起したり、謎解きの要素を持たせるためといったことだけではない。結論的に言ってしまうと、この主人公が人であって人にあらずといったようなファンタジー作品ならではの固有の設定に基づいているところが大きい。

父親は男手ひとつで幼いアディダスを育てている立派な働き者であるいっぽう、かつて娘と同様に煙突掃除の仕事を手伝わせたことによって奥さんを亡くすという悲痛な経験をしている。頑固で向こう見ずなところがあり、思慮分別に長けているとはいえないが、そういった弱さも含めて最も人間味のあるキャラクターだ。物語の前半ではこの父親と娘の絆の回復ということが一貫した話のすじとなっていて、関係そのものは決して深みがあるとは言い難いが、それでもこの父親は普遍的な親子の情愛の担い手として誰もが共感することのできる立場のもとに描かれている。また後半では登場機会が減り、反復的な行為に終始する役柄に納まっているが、その反復こそ必要にして十分な意義を持っている。死に別れた奥さんとの奇跡のような邂逅に際して懸命になる様子は、永続を願う夫婦愛をファンタジー的設定ならではの障害を対置することによって効果的に表現している。

脇を固めるキャラクターについてはそれぞれ一面的に留まらない深みのある描写をするうえで、コミカルでわかりやすく俗っぽいものと現実的で逃れがたい状況から出た生なましいものとを使い分けている。これが上手くいっているのが警察本部長(コミッショナー)で、あまり上手くいっていないように思えるのが主人公親子の商売敵として登場するマクミュラン親子だ。この警察本部長が登場する場面はかなり奇妙で、この男は人びとが陳情や抗議などの用件でごった返しているのをろくに気にかけず、ひたすら自分の手の爪をいじくっている。まるでスーパーの片隅に設けられた鍵屋かクリーニング屋のような風情だ。読者の視点からはそもそもこの場所は何なんだろうと疑問に思いながら読み進めて、最後に本部長が市民の爪の汚れ具合でもって請願の認否を判断していることから官僚主義的なお役所仕事のコミカルな表現だとして理解するに至る。作者はこの本部長を主人公親子に害をなす悪として単純に裁断してしまわない。こういった言わば小悪党の処遇が市民の手に委ねられたらどうなるかというリンチの恐怖をも仄めかし、それに加えてもっと上の立場にいる諸悪の根源を明らかにするための媒介として、その驕慢な人間性をもはや手遅れの改悛の情とともに描き出している。読者の誰も気に入って読むことはないだろうが、この男の臆病で狭量な人間性はいつの世でも克服されることのない人間性としてどこにでも見られるものだ。

そのいっぽうでマクミュラン親子の描写はちぐはぐとしてぎこちなく、作為的なものを感じてしまう。物語の序盤で幼い主人公ひとりを相手に大人気なく対峙する意地の悪さと、のちの手の平返しの態度の両方においてその表現の仕方に不満がある。この親子の当初の意地の悪さは明らかにキャラクターの設定から見て度を越えたものであり、いたずらに主人公を虐げて読者の感情を掻き乱す通俗的な演出になっている。まるで子供向けの勧善懲悪物に出てくる悪の権化のようだ。マクミュラン親子とは別だけれども、政府当局者による拷問を描く場面においても同様で明らかに残忍さが過剰に表現されている。こんなに延々とコマを重ね、だらだらと長ったらしくテキストを費やす必要があるのかと辟易する。

マクミュラン親子はのちに主人公の側について行動を共にすることになり、実は彼らにものっぴきならない事情があって同情の余地があるという描写を作者は付け加えている。しかしながら彼らの豹変が唐突なものであり、なおかつ前後で人格が入れ替わったかのような変わり身の激しさに違和感を覚える。なんだかんだ言っても日本の漫画に慣れた読者の立場から自然と思いつくところを言わせてもらうと、こういった人物の変化を表現する場合に日本の漫画であれば良くも悪くも常套的な手段に訴えるだろうということだ。すなわち、キャラクターが変化する以前にものちの変化を期待させる兆候をそれとなく前もって挿入しておくというやつだ。読者の視点からはそれが「伏線」とみなされ、のちの変化によってその「伏線」が回収されたとみなされる……。僕はこのたぐいの筋立てにおける不満を外国の漫画を読んでいてこれまで何度も出くわしている。そして数年前までならばそういった外国漫画の伏線を伴わない表現に不満を感じ、日本的な伏線を駆使したわかやすく親切な表現のほうを単純に優れていると考えていた。しかし今ではそういった考え方は間違っているのかもしれないと思うようになっている。むしろ伏線に依存することは読者の読みにたいするおせっかいであり、子供向けの表現であり、使い古された陳腐な手法に過ぎない……という見方もあるのかもしれない。このような懸念に対して海外の読者や漫画家がどのように考えるのかは知らないが、少なくとも僕は今のところ両者の優越の判断については保留しておきたい。とはいっても実感としてどちらがしっくりくるかと言えば、やはり日本的な表現手法のほうだということを認めざるをえないけれども。

筋立ては物語の前半を中心に考えるならば、三つの要因が絡み合って移り変わることで成り立っている。一つは原因不明の昏睡症状に端を発するアディダスというキャラクターの正体にまつわる謎。もう一つはアディダスと父親とのあいだの絆の回復という問題。そして最後にさしあたって当面することになる敵対関係の変遷ということの三つだ。謎解きについては冒頭でアディダスと地下世界の怪物との何らかの交感関係のようなものが示唆され、それがのちに地下世界の怪物たちの使命だけではアディダスの症状について説明のつかないことが示される。敵対関係の変遷については次第にその敵対者の地位が高くなっていくのに応じて、主人公一味の活躍する場面が社会的に広がり、話のスケールが大きくなっていくことに寄与している。すなわち、主人公親子にとって当初の敵は人の仕事を分捕ろうと目論むマクミュラン親子というちっぽけなライバルでしかなかった。それが警察本部長に取って代わり、さらに政府当局者に追われる羽目に至るといったように。親子の絆の回復という問題については、そのときそのときの場面に応じて当のふたりの心情が左右されるようになっている。言い換えれば、実はふたりがそばにいて緊密に気持ちを伝え合える状況にいたならばこんなドラマティックな展開にならなかっただろうし、そもそも回復が必要なほど関係が疎遠になることもなかったはずだ。実際のところ、主人公親子を心情的に引き離したり、逆に引き寄せたりといった契機になっているのは当の二人よりもむしろ彼らを取り巻く環境のほうだ。すなわち、アディダスが父親を見捨てるかのように現実逃避的に煙突の奥底へ潜っていってしまったのはマクミュラン親子の言いがかりに傷ついたことが直接の原因だ。逆にアディダスが自分の不用意な行為に気づき、父親への配慮から再会を求めて脱出を企てるようになったのは地下世界の彷徨が臨死体験のような意味を持っていて、父親の不安な心情を思いやって反省したからだ。したがってある意味ではこの親子の絆の回復のドラマは当人たちの空騒ぎのような側面がある。それでもその親子劇の帰結は前述した政府当局者たちとの真っ向からの対峙とシンクロすることによって決意と覚悟の心情が増幅され、この上なく感動的なものになっている。作品中で僕が最も気に入っている場面だ。

Excerpt B
屈指の名場面

話のすじを貫く以上の三つの要因については物語の後半においてどうなるのかというと、まずアディダスはいったい何者なのかという問いは難解な展開に委ねられて多くの読者を煙に巻く。敵対関係の変遷ということでは確かにこれ以上はないというくらい巨大なスケールの敵が現れアディダスを苦しめる。ただし謎めいた世界観を説明する根拠として登場した割りに、読者を満足させる形で主人公に対峙するのかというと僕にははなはだ疑問だ。正直言って政府当局者が最後の黒幕でもよかっただろうと思っている。さらに始末が悪いのは三つ目の親子の絆の回復という問題であり、これは物語後半の展開をふまえると、つまり全体としてはそもそも問題の前提がひっくり返ってしまうことになる。なんて空しい話なんだと落胆させられる。僕はこの物語がハッピーエンドでないことに不満があるわけではない。作者は主人公アディダスにある重大な選択をさせていて、その選択に悲劇性を持たせているんだけれども、この悲劇性というものがこのファンタジー的世界観に固有の設定に基づいたものでしかないということに不満がある。端的に言えば、アディダスが最後に流す涙は読者に対してマッチポンプ的な感動を強いる不毛な涙ではないかということだ。この作品はいくつもの謎を読後に残し、何度も読み返した今でも僕にとってよくわからない点がいくつもあるけれども、そのことだけははっきりとわかっている不満として言っておかなければならない。

カラーリングは Albertine Ralenti が担当している。物憂げな雰囲気を醸す色褪せた色調が、レトロ感はあっても決してノスタルジックとは言えないこの奇妙な煙突の街の殺風景な描写によく合っている。そのいっぽう、わずかな箇所で見ることのできる色鮮やかな自然風景の描写には、僕はあまり惹かれるものと感じなかった。キャラクターデザインは何といってもアディダスがよく出来ていて、見ていて飽きない顔をしている。黒く大きな瞳はあどけなさを過不足なく宿していて、瞳の中の塗り残しとその輪郭の粗さはキャラクターの設定に起因する不安定な精神状態、およびその真の正体の不確かさを反映しているように感じられる。奥歯ばかりびっしりと敷き詰めたような歯並びが覗く大きな口と、うねるような眉毛の勢いはこの子供の意志の力強さをじゅうぶんに表現している。背景については前半の舞台である煙突の街がよく描き込んであって不満のないものであるいっぽう、後半で主人公の一行がその煙突の街を抜ける過程の道のりや到着先のホテルの描写はかなり殺伐として味気ないものに留まっている。

去年の発売当初に買って読んだ際、このレビューで書いた通りに前半はかなりおもしろく読んだ。後半は父親の必死の努力の描写を除いてあまり感心せず、広げた風呂敷をどうせまともに畳めずに終わってしまうに違いないと思いながら読み進め、最後のページに至っては「何だこりゃ?」と唖然とさせられた。いまレビューを書くために読み返して細部についての理解は深まったけれども、それで評価が変わったかというと別に良くも悪くもなっていない。初めて読んだときのままだ。それでも僕が去年読んだ漫画の中ではこれがいちばんおもしろかったと認めないわけにはいかないが。

Rating
9/10