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Sunday in the Park with Boys

Sunday in the Park with Boys by Jane Mai: Cover
  • Sunday in the Park with Boys
  • Author: Jane Mai
  • Publisher: Koyama Press
  • Publication Date: November 2012
  • Size: 25.4cm x 17.8cm
  • ISBN: 9780987963055
  • Format: Softcover
  • 52 pages
  • $10.00

レビュー

著者自身がモデルと思われる少女の人間関係をめぐる不安や自己嫌悪の感情に苦悶する内面の葛藤の日々を描いた漫画。日記ではないが自叙伝とみなすには中途半端であり、いっぽうで純然たるフィクションの物語として楽しむには出来事の描写が不十分で話の筋と呼べるようなものにも乏しい。明らかにキャリアの浅い著者の試行錯誤の表現の数々を好意的に受け止めない限り、肯定的な評価を導き出すのは難しいに違いない作品だ。

本作を一読して僕の感じた大きな不満は叙述のスタイルが時間のスケール感覚に乏しいということにある。このことが作者によっておそらくは意図されているはずの長大な時間の経過を読者に感じさせない原因になっている。冒頭は主人公が19歳の時に図書館で働いていたという紹介から始まり、のちにそれが4年間続いたと明かされ、そして終盤の辺りで大学を卒業するとともにその図書館で働くのを辞めたと語られている。したがって本書は主人公が大学に籍を置いていたのとほぼ重なる期間を対象とした物語ということになる。しかしながら実際に読んでいて4年という月日の流れは感じさせない。理由の一つは話の舞台や登場人物が極めて限定されているということにある。主人公は決して引きこもりではなく、外出もするし、働いてもいるし、友人もいる。それでも彼女は常に自分の悩みごとに掛かりっきりで、どこにいて何をしてても自分の世界に閉じこもっているかのように振舞っている。また、描写の視点も主人公から一切離れることがないため、彼女が関心を向けない外界の秩序、すなわち世の中の動きや季節の風物、そして他者から彼女への印象や態度についての描写がほとんど見られない。大学に通っていたにもかかわらず、キャンパスライフの描写など一切ない。このことは孤独感を演出するという意味では充分かもしれないが、本来その孤独を埋め合わせたり、あるいはその孤独な状況を改善すべき具体的な人間関係の実情が読者にとって知ることの出来ないまま放置されてしまっている。

月日の流れを感じさせないことのもう一つの理由は叙述の節目となる単位が出来事ではなく、主人公の内面描写に依存しているということだ。本書は数ページごとに雑誌連載形式の漫画で言うところの扉絵のようなカットが挟まれていて、そこで区切られる短いエピソードから成り立っていることが体裁からも明白だ。多くのエピソードにおいて内面描写はまとまった出来事の展開に付随するのではなく、逆に内面描写は展開に合わせて場面を切り換えながら続けられるナレーションのようであり、ほとんど出来事とも言いがたい断片的な主人公の行為を描いた一連のコマをキャプションのように添えられた形で一貫している。したがって彼女の意識の移り変わり以外に時間の経過を実感するすべはないんだけれども、そのいっぽうで彼女の葛藤には解決の糸口も進展もなく、堂々巡りをしている。始まりも終わりもなく、同じ時期の同じ苦悶の感情を別の形でたびたび表現し直しているだけのように思えてしまう。

時間のスケール感覚に乏しいということは一般的に言って漫画にとって必ずしも欠点にはならないだろう。少なくとも本作の時系列は基本的にページの順に進んで行くので読者を混乱させるようなことはない。それでもテーマを考慮したならば本当は別のやり方があってしかるべきなんじゃないかと思える。ひとりの人間が4年ものあいだ、友人がいて職場にも勤めて大学もちゃんと卒業しながら、しかしひたすら孤独で自分の悩みに打ちひしがれていたということは本当は驚くべきことのはずだ。しかし本作では前述した主人公の図書館勤めについての三箇所の簡潔な記述によってあえて想い起こさなければ、まるで全体が数週間ほどの出来事のように読めてしまう。このことは本書が50ページほどの紙幅に限られているという事情のせいには出来ないだろう。著者がこの叙述のスタイルで通す限り、何十ページ描き足そうが同じことじゃないだろうか。

誰が読んでもはっきりと目に付く本作の表現上の特徴としては、たびたび非現実的な要素が垣間見られるということが挙げられる。表紙にも描かれているように巨大なムカデがあちこち這いずり回ったり、鏡に映った自分の姿が話しかけてきたり、あるいは海上に姿を現した人魚と言葉を交わしたりといった類のものだ。これは決して本作品がシュールレアリスムだとか、幻想文学的な作品だということではない。あくまで主人公の葛藤を表現するための方便として用いられているに過ぎない。

主人公のジェイニーについては、一読して誰もが疑問に感じるだろうが、決して説明されることのない謎がある。すなわち「何でこの人セーラー服着てんの?」ということだ。自宅で過ごしているあいだならば趣味ということで済まされるかもしれないが、仕事先の図書館でもこの格好で通すということはありえない。もちろん作者はそんなことを百も承知で描いているわけだ。少なくとも、ジェイニーが人から若く見られたがってあえてこういう格好をしているようには思えない。このことを本来の対象である北米の読者がどのように受け止めるのかは知らないが、日本人にとっては一つのステレオタイプに結びつけてジェイニーというキャラクターを理解したくなるあまりにも容易で便利な特徴ということになるだろう。セーラー服の着用ということに加えてさらに目に傷を負ったわけでもないのに眼帯を掛けるようになった時点で、僕は彼女がリストカットのような自傷癖を披露するのではないかと危ぶんだ。実際にはそういう事態に至らず、セーラー服にルーズソックス、眼帯、飲酒癖といった数々の要素から即断したくなるような僕の抱くステレオタイプなイメージとは微妙にずれるキャラクターということになる。すなわち、他人の関心や同情を引くために半ば無意識的に仕組まれる試みと呼べるようなものは見当たらない。彼女は自分のことを病気だと思っているが、僕にはそうは見えない。病気を装って自分の苦悩の原因だとごまかしているわけでもない。ただ、ひたすら思い悩んでいるだけだ。ではなぜ四六時中セーラー服を着通しているのかということについては正直言ってはっきりとはわからない。ただ、僕には時と場所をわきまえた身なりをしないということが、このキャラクターにとって社会への適合を拒否するような反発の意志ではなく、自分が社会に適合していないことの、つまり未熟であることの表明であるように思える。その意味でこの主人公の恰好は漫画の表現として肯定的なものなんじゃないだろうか。

ジェイニーの苦悶のなかで唯一具体的な対象が示されているのはボーイフレンドとの関係だ。深い関係にありながらも自分を理解してもらえないという不満を吐露している。一般的にいえば、異性との関係が上手くいけばその他の種々雑多な悩み事が雲散霧消するということは十分ありえることだ。しかしながら彼女はこのボーイフレンドとの関係の齟齬をほかのすべての問題に優先する重大さでもって受け止めてはいない。まるでいくつもある悩み事の一つに過ぎないかのような程度にとどまっている。このことは彼女にとってさまざまな苦悩の根源が自分自身にあると考えていることのあかしとみなすべきだろう。ここにおいても、そのボーイフレンドとの具体的なやり取りの詳細を一切描かないので、実際のところ彼と彼女のどちらに非があるのか読者の立場からは判断しようがない。あくまで異性関係の齟齬における主人公の姿勢をうかがい知ることができるだけだ。ここまでの内容の紹介をふまえたならば納得がいくと思うが、本書の Sunday in the Park with Boys というのはちょっとしらじらしいほど反語的な意味合いのタイトルだ。ボーイズなどどこにも出てこない。 "the Boy" だったならば意味深に受け止めることが出来たかもしれないが。ふたりの異性関係がテーマの中心にあるわけではないことを前提としたタイトルだ。

まとまった出来事らしい出来事が描かれないために主人公の苦悩の具体的な中身を知ることができない一方で、彼女の悩み方については共感することのできる表現が一つある。嵐の中雨に打たれて帰宅したときのことと、ひっそりとした明け方に帰宅したときのことを実感的な体験として対比的に描いたページだ。

Excerpt A
嵐の中の帰宅
Excerpt B
夜明け時の帰宅

雨や日の出といった自然現象や周囲の環境を感覚で受け止めることがが思考に影響していてとてもリアルに感じられる。これは実際に著者が体験したことをそのまま描いたんじゃないだろうか。 I can do anything! という主人公の高揚したセリフに対して、未熟な若者の誇大妄想から出た虚勢だなどと笑うことは僕にはできない。人間は自然を環境として触発されたり、慰めを得たりしながら一生を生きていくものであって、自然の影響から逃れることなどありえないからだ。

この漫画の絵については取り立ててこのページのこの絵が上手いなどと挙げられない。どう贔屓目に見ても素人臭さが抜けないやぼったさがついてまわる。キャラクターデザインは主人公の顔を一瞥すればわかるとおり、音符のような瞳にアルファベットの小文字のHのような鼻など単純素朴極まりない。視覚的な要素についてあえて挙げるならば、描写の視点の切り替えについてはかなり上手く言っているといってもいいかもしれない。この漫画は終始主人公が出突っ張りであるにもかかわらず、頻繁に視点の切り替えがなされていて、それでいてストレスを感じさせることはなかったからだ。絵の巧い下手ではなく、表現のスタイルの選択においていちばんはまっていて上手くいっていると思えたのは主人公の図書館勤めの場面だ。

Excerpt C
図書館勤務

彼女が真面目に働く気などさらさらないことは言うまでもないが、それでいて不平をおもてに出して雇用者と衝突するような事態は望まず、適当に時間をつぶしてやり過ごしたいというしたたかさが見て取れる。職場で上司に向かって舌を出して不遜な態度を取ることなどできるはずがなく、実際にはなかった光景を描いているわけだけれども、いちいち言葉で説明することなくそれが伝わるようになっている。また、こういった実際にはなかった場面のおちょくるような描写や子供の落書きのような勤め先の図解などが、事実を淡々と描いた場面の描写と整合性を保ったまま続いているのは、このおぼつかない絵柄のおかげでもある。

僕は普段レビューを書く際に、作品とそれを世に送り出した著者とは区別すべきだということを念頭に置いている。そのいっぽうで著者自身について知ることが作品を理解するうえで役に立つということも知っている。正直なところ、その区別の境界線をどこでどう引けばいいのかはよくわからない。例えばこの著者のサイトのコンテンツを見れば、このレビューの中で僕が抱いた疑問点のいくつかは解消してしまう。主人公がなぜセーラー服をまとっているのかといえば、それは著者自身が普段からそういう恰好をしているからだということになるだろうし、主人公の悩みが具体性を欠いているのは本作が著者の実体験を基にしていて実在の人物を登場させて揉め事を起こすわけにはいかないからということなのかもしれない。しかしながら、あえて僕は知らん振りをして作品のページの上に描かれていることだけを相手にして自分の思うところを書いてみた。この漫画を読み終わった後に著者のサイトをチラッと見てみたときに「あんたいい年してなんて恰好してんだよ!」と思ったのは事実だ。それでもあくまでフィクションとしての作品のおもしろさを期待する読者としては著者の実生活のありようなど別にどうでもいいよということになる。このレビューの結論的な部分に絡めて言わせてもらうと、絵柄が未熟云々ということはさておき、著者自身がどこまで意図的であろうとなかろうと、作品の中だけで完結しているフィクションを描けていないということに僕の不満の根本があるということになるだろう。

Rating
4/10