kosame.org

国内外の漫画を読んでレビューを書くウェブログ

Kid Vs. Squid by Greg Van Eekhout

Kid Vs. Squid: Cover
  • Kid Vs. Squid
  • Author: Greg Van Eekhout
  • Publisher: Bloomsbury
  • Release: May 2010
  • Size: 21.7cm x 14.7cm
  • ISBN: 9781599904894
  • Format: Hardcover
  • 208 pages
  • $16.99

感想

夏休みに親元を離れ馴染みのないおじと過ごすことになった少年が、地元の不審な人びととの遭遇に端を発して、太古の昔に由来する邪悪な勢力の復活を食い止める戦いに巻き込まれていく一夏の出来事を描いたファンタジー。人間と魚介類の合の子のような不気味な生き物が跋扈する内容でありながらも、いたずらに恐怖感を煽るようなホラーではなく、たびたびジョークを繰り出す主人公の語りのおかげでほぼ全篇を通して楽しく読むことの出来る小説になっている。

僕はある書評系のブログでたまたま本書の表紙を見かけて、インパクトのあるタイトルのせいもあって大いに気になった。これはおそらく子供向けの読み物で自分にも読めるんじゃないかと適当に見当をつけて、著者のプロフィールも人気の程も知らぬまま購入した。

今まで何度か英語の本に挑戦したことがあるけれども、ことごとく途中で挫折していた。この本は最初から最後まで読み通すことの出来た僕にとって初めての洋書ということになる。漫画ではなく、挿絵すら一枚もないれっきとした活字のかたまりであり、ハードカバーのしっかりした本だ。とは言っても、あくまで子供向けの読み物であって、読破したぞなどと豪語するたぐいの代物ではないんだけれども。

物語の語り手である少年サッチャー・ヒルは夏休みを見知らぬ辺鄙な観光地で過ごすことに気が進まなかったが、この滞在が運命の出会いをもたらすことになった。両親は息子を彼のおじにあたるグリズワルドに預け、仕事の用事で連れ立って海外旅行に出かけてしまっている。独り暮らしのグリズワルドおじさんの家はカリフォルニア州の海辺に位置する架空の町ロス・ヒューソスにあり、いかにも胡散臭い見世物小屋と土産物屋を兼ねた小さな店舗を営んでいる。この店舗に風変わりな少女が忍び込み、ある物を盗んで逃げたことがきっかけとなり、太古の昔からの因縁が織りなす壮大な悲劇と復讐の歴史へとサッチャーをいざなっていく……というのが序盤のあらすじだ。

この物語がファンタジーとして設定の根本にアトランティス伝説を用いていることは、ネタばれを気にすることなく言及してしまってかまわないだろうと思う。なにしろカバーのそでの部分に書かれていることだからだ。ただし、本を読む際に裏表紙やそでの部分に記載された内容紹介のテキストなど特に注意を払わない僕にとって、読んでいる最中に初めてそのことに気づいた時の気持ちを率直に言わせてもらえば、「なんだこれアトランティス物かよ」という軽い失望があった。普通の人間を装って街中に姿を溶け込ませている怪しい連中の、その得体の知れない怪しさをこれまでさんざん使い古されたイメージに限定してしまうような味気なさを感じたからだ。アトランティスといっても、この作品は考古学的なアプローチでもって伝説の大陸の実在を主張する立場にあるわけではなく、そもそもプラトンの名前すら出てこない。あくまで太古の昔にちなむ悲劇と復讐の物語を組み立てるための方便として利用しているにすぎない。「なんだこれアトランティス物かよ」と見切りをつけて捨て置くには惜しい一冊だ。

主人公のサッチャーは性格や容姿など特に変わったところはなく、平均的な子供として描かれている。スポーツにも興じるが著しく秀でているわけでもなく、勉強の虫というわけでもない。ただ、腕っぷしよりも言葉遣いにたけているのは確かで、危機的な状況に置かれた際にユーモラスなおしゃべりでまくしたてて切り抜けるという、良くも悪くも癖のような習慣を持っている。この性格は読者へ向けた語り口にも反映されていて、特に事態がそれほど深刻でなく主人公が軽口をたたく余裕のある序盤において、また進行中の出来事そのものがそれほど刺激的でないような場面であっても、たびたび笑いをもたらしてくれる。小説の導入部というものは読者にとって何かしら興味を惹かれる要素がなければとっつきにくいものだけれども、この小説は語り口のユーモアが手っ取り早く読者を作品世界に引き込む役目を大いに果たしていると言えるだろう。この点でサッチャーは時に饒舌だけれども、しかし彼のユーモラスな語り口は意図的なジョークでコンテクストと無関係に受けを狙うたぐいのものとは違って、その時どきの場や自分の心境を反映したものになっている。たとえば、おじの店舗が収蔵している胡散臭いオブジェについての皮肉の効いた描写は、手伝いとして埃払いを言いつけられていることへの不平不満のあらわれだというように。したがって読者がこの主人公の饒舌にうんざりさせられるようなことはまずないだろう。サッチャーの口をついて出るユーモアは、ちょっとおしゃべりな子供という程度に聞こえるかもしれないが、実はこの子供は命を落とすかもしれないような危険に身をさらした自分自身までをもブラックユーモア交じりで描写してのけることがあって、ちょっと驚かされる。つまり、ユーモアのノリがあくまで天然ということだ。

主人公については、その内面や個性よりも彼が置かれている状況やそれを反映した気分のほうにこそ、かなり普遍的に通用する設定があって共感の元になっている。夏休みというものは子供にとって一日でも長ければ長いほどうれしいものに違いない。しかし、実際には休みの間じゅうスケジュールで埋まっている子供など稀で、たいていは余暇を持て余してしまうもんじゃないだろうか。まして一人で身を寄せた先で年の離れた疎遠な親戚と過ごすならばなおさらのことだ。グリズワルドおじさんから言い付けられた雑用のほかはこれといってすることもなく遊歩道をあてどもなくぶらぶらと歩くサッチャーの気分は、まだシーズン前で閑散と列をなす売店の佇まいそのものが如実に代弁している。ロス・ヒューソスの海岸とはまったく地形が異なるにもかかわらず、僕は子供の頃を過ごした湘南海岸の風景に重ね合わせてまるで自分の体験のように読んでしまった。

グリズワルドおじさんは、まだ13歳かそこらの主人公のおじということになってはいるものの、作中の描写からは心身ともに衰えた老人のように感じられる。記憶がおぼろげで、ときどき意識が不明瞭になるため、もともと馴染みのないサッチャーにはとっつきにくく、日がな傍らで話し相手になることも出来ない。このグリズワルドの性格設定は前述した主人公の手持ち無沙汰でやるせない気分に拍車をかけるだけではなく、物語の根幹をなす謎をはらんでいることの結果であり、ひとつのハイライトへ至る刺激的なサスペンスの根拠にもなっている。かつては船乗りで片足の膝下を失って松葉杖で歩くという、まるで海賊を想わせる身の上といい、怪しげな海の土産物屋を営んでいることといい、近辺に身寄りがなくこれまで独りきりだったという暮らしぶりといい、設定のすべてに物語を構成する要素が込められていて凝ったキャラクターだと言える。

もし現実に人びとが呪いをかけられて心身の自由がほとんど利かず、しかしながら人目につく場所でごく自然に振舞っているということがあるとすれば、それはどんな条件のもとで可能だろうか? 作者はそれを鄙びた観光地の商業施設に見出して、痛ましくゾッとするような仕打ちを平凡でありふれた光景の中にスリリングに溶け込ませている。平凡でありふれて見えるからこそ、その隙間から漏れる悲痛な叫びに気づいたときの衝撃は鮮烈だ。この呪われた人びとの表現はさらに突き詰めてもはや人の形をなさないところにまで行き着く。何とか細々と生きながらえてはいるが、奴隷のように働かされ、しかし誰からもその真実に気づいてもらえないという究極の絶望の姿を、これまた読者の誰もが目にしたことのある現代的な風景にぴったりはめ込んでいる。アトランティスの時代から脈を保つような古めかしい呪いの観念の恐ろしさと現代的な商業施設の陽気さとのギャップは滑稽だけれども、同時にその設定の実用性からうかがえる冷酷さは、苦痛に歪む顔や言葉による呻きの表現など必要としないほど効果的だ。

グリズワルドおじさんの店から盗まれた品物を追う過程で主人公は行動を共にする仲間を得ることになる。そして呪いの力を駆使する邪悪な勢力と対峙することになるわけなんだけれども、ここには現実社会を舞台に展開するファンタジー作品には避けられない問題が伴うことになる。すなわち、外部の人びとに介入させることなく、どのようにして主人公たちだけで問題の解決にあたらせるかということだ。普通の子供は命の危険を感じたら、家族や友人など周囲の人間、あるいは警察に助けを求めるという選択をするのが常識だろう。しかし、ファンタジー物で警察が介入して問題を解決してしまっては主人公を活躍させる機会がなくなってしまうし、事態が一気に世界の注目を集める未曾有の大事件ということになってしまう。なんとか主人公の子供たちだけで問題の解決に取り組むように仕向け、なおかつその姿勢に不自然さがないように説得力を持たせなければ子供向けのファンタジーとして本末転倒になってしまうというジレンマがあるわけだ。この問題に対する作者の解決の仕方は、まあまま良く出来ているんじゃないかというのが僕の実感だ。

サッチャーは携帯電話を持っているので深刻な危機に際して当然のことながら警察への通報を試みるが、これは半魚人のようなモンスターの実在を口にする子供の言うことなど相手にしてもらえないという形ですぐに電話を切られてしまう。さらなる通報の試みは敵対勢力の呪いによって通信妨害が引き起こされているというような状況のせいで諦めるに至っている。呪いの力で都合よくそんなことまで出来るのかと思わずにはいられないが、まあいいとしよう。警察へ電話で通報する以外の選択肢がとれないことについては、この時点で仲間を人質に取られてしまっていて救出を企てるにあたって現実的で常識的な対処の仕方が役に立たないという事情がある。簡単に言うと、ファンタジー世界の住人とのトラブルを解決するにはファンタジーの文法に乗っ取って対処しなければどうにもならないということだ。したがって以降はアトランティス伝説や呪いをかける魔女の実在などを体験として知ってしまった仲間内だけで奔走しなければならなくなるという理屈になっている。仲間を人質に取られる以前に警察に助けを求めるという選択肢は、そのときどきの話のすじにおいて主人公一味が置かれている危機的状況の度合いと緊急性とによってそれなりに上手く回避されている。また地域住民については、敵対勢力の息のかかった者がどこに紛れているかわからないので当てもなく便りにすることが出来ないという事情もある。

呪いのような超自然的な現象にどうやってファンタジーとしてのリアリティを持たせるかということについて、この物語は相当に工夫されたアイデアを盛り込んでいる。海に由来する生き物の関わる呪いの威力が潮の満ち引きに関係していること、そして一度に強力な呪文を使うためには前もって多数の媒体に呪文の力を溜めておく必要があることなど、呪いの影響力に限界が設定されている。たとえ最強の魔女といえども呪文を二言三言唱えるだけでなんでも出来るというような野放図な要素として用いられていない。また、話のすじの上ではこのある意味でまどろっこしい限界設定のおかげで主人公たちが活躍する余地も残されるということになる。呪いを被った人間がどうやってその状態を脱するかという方法も用意されており、海産物を使用して行う解毒のような手順は見物で、触覚や味覚に訴える不思議なリアリティがある。

物語の中で僕が最高のハイライトだと思うのは敵対勢力の親玉との決戦に及ぶクライマックスではなく、実は主人公が身内の不審な人物を追求する中盤の一節だ。サッチャーは仲間の一人とともに少年探偵団さながらのスパイ活動を試みるんだけれども、これが文字通り手に汗を握るようなスリルに満ちていて興奮しながら読みふけった。前述したようにファンタジーを成立させる上での障害となりかねない携帯電話が、ここでは小道具として上手く使われていて現実世界において子供でも実現可能なスパイのアイデアに感心した。逆に、読んでいて少しだれてしまった箇所は終盤に入って敵味方の勢力に圧倒的な差があることを知らされた辺りだ。主人公は体を張って懸命に戦うけれども勝ち目がありそうにない。しかし、本書が子供向けであることを想い起こせばまさか主人公を務める子供が敗北して終わるはずがない。おそらく第三の勢力が横から手助けして主人公に勝利をもたらすんじゃないかと思えて仕方がなく、少ししらけてしまった。もっとも、この予想が外れて僕の不安が杞憂で済んだことも付け加えておこう。

主人公たちが邪悪な勢力に立ち向かう図式からは、このストーリーが善と悪の単純な争いのように見え、さらに本書が子供向けの作品であることを念頭に置けば、最後は善の勝利に終わるのが自然に思えるが、実はこの物語の結末はそう単純に割り切れないものになっている。作者は対立する双方から見ればどちらも正義の立場から戦っているという相対的な視点を導入し、さらに争いの根本的な起源や原因を深く追求しないという意外な裁量にとどまっている。喧嘩両成敗と言えば穏当に聞こえるかもしれないが、当事者がいるにもかかわらず事実関係を明らかにしないまま物語を締めくくるという作者の選択には納得のいかない読者もいることだろう。

結論として、先に挙げたような欠点やツッコミどころは僕にとって実はたいした問題ではない。本書を読んでいる最中、外国語の文字の羅列がこんなにもイメージを喚起し、頭の中に広大な仮構の世界を作らせ、どっぷりとはまらせることが出来るもんなのかと僕は不思議に感じずにはいられなかった。普段読んでいる漫画はテキストが英語とはいえ、何だかんだいって絵の力が大きく、ただの活字の集合体とは比較にならない。実際、僕は時間を忘れてひたすら読書に没頭することができた幼少の頃の感覚を思い出し、自分がいい年をして同じはまり方をしていることに気づいて驚いてしまった。この先どこへ行くことになろうとも多分この本だけは手放せず、一生手元に置くことになるんじゃないだろうか。僕にとって本書はそういう貴重な一冊だ。