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睡沌氣候

コマツシンヤ『睡沌氣候』:カバー
  • 睡沌氣候
  • 著者:コマツシンヤ
  • 出版社:青林工藝舎
  • 発行日:2011年6月25日
  • ISBN: 9784883793426
  • 192ページ
  • A5判
  • 1300円

レビュー

奇想天外な理屈が作用する架空の世界で読者を魅了する不思議な出来事を収めたファンタジー短篇集。キャラクターの個性や魅力に頼らず、絵の迫力にも依存せず、アイデア一辺倒で勝負をしていると言ってもいいほどの潔い作品をそろえている。

収録作品は描かれた時期によって明らかに作風の異なるものや、共通する一つのお題に基づいて描かれたナンセンス・ユーモアの連作など、明らかに系統の異なるものが混在しているけれども、みな広義のファンタジーとみなしていいだろう。ファンタジーとはいっても、いわゆる剣と魔法ものではなく、実在の現実世界に異世界を対置する類のものでもなく、モデルになりそうな時代や場所をぼかした架空の世界において不思議な出来事を描くというものだ。そこではちょっとした夢想的なアイデアが読者を驚かせる仕組みの素になっていて、登場人物はほとんどその媒介役に過ぎない。その意味で本書の作品はヒロイックなファンタジーの対極にあると言っていい。

複数の作品に見られる類似したアイデアに着目するといくつかのモチーフを抽出することが出来る。実際にはどの作品も独立したキャラクターとストーリーを持っていて、読んで楽しむ上で他の作品を参照する必要はないけれども、著者の志向や資質をうかがうことが出来るんじゃないだろうか。ひとつは巨大なものと微小なものとを対比するアイデアで、これは真夜中の落花生四角い雲などに見受けられる。これらが空間のスケールを操るアイデアに依拠しているとみなすならば、サイクリングライフは時間のスケールをその対象にしているということになるだろう。これは少年が自転車をこいで移り変わる景色の中をひたすら走り続けるという内容で、特に不思議な出来事は何も起こらない異色の作品だ。これがただの長距離サイクリングを漫画風のコマ割りで描いて見せただけではないということの根拠は、背景の移り変わりが急激すぎるという点にある。ここで描かれているのは一日足らずの旅程であるにもかかわらず、背景から見て取れるのはまるでいくつもの文化圏をまたいで移動しているかのようだということだ。現実の自転車旅行で軽装の少年が走破するにはあまりにも長すぎるはずの行程に及んでいる。もちろん、少年の自転車がジェット機のような超高速で進むわけではないし、おそらく異なる文化圏が狭い地域に集中しているといったような変わった世界観に基づいているわけでもないだろう。この点に関して著者がどのような説明を用意しているのかという正解はともかく、読者の視点からは圧縮された膨大な時間の旅程をまるで一日足らずの生身の体験であるかのように受け取らざるをえない。したがって、これは時間のスケールを操ることによる不思議な感覚を味わう漫画だと言っていいんじゃないだろうか。この作品に関してはもう一つ、背景の移り変わりが文明の発展をなぞっているようにも受け取れるということがある。サイクリングのコースがたまたま辺鄙な田舎から大都会へと伸びていただけだなんてことはないだろう。建築物の造形などからうかがえるテクノロジーが次第に高度になっていき、ついには宇宙空間のような最果てに至り、少年はそれでも止まることなく自転車を走らせる。その先はどうなっているのかということや、ゴールは何処なのかということについてあまり深読みしても仕方がないかもしれない。しかし、主人公の少年が目まぐるしく変遷する背景に大して気も留めずに淡々とペダルを漕ぎ続ける姿が異様にも映ったならば、何か含みを持たせた描写なのではないかと疑念が湧いてくるのも自然なことじゃないだろうか。このサイクリングライフに見られる膨大な時間を圧縮して提示するというモチーフや、真夜中の落花生四角い雲に見られる微小な空間の引き伸ばし、あるいは巨大な物体の微小化といった空間のスケールを操作するモチーフは最期のゲームにおいてさらに発展している。微小な時間と空間の双方を極端に拡大して提示し、さらに時間は単線的に進む時間軸から外れ、空間は縦横高さの三次元空間のモデルを逸脱して奇想天外な出来事を自由に組み立てている。

繰り返し現れるモチーフの二つ目は生物の意志とでも呼ぶべきものを物質的なものに見い出し、ファンタジー的に別の形態で表現するといったものだ。これは鳥の実風見鶏弐羽Mushroom Gardenなどに当てはまる。しばしば繁殖の過程にかこつけて、ある生物から別の生物へ、あるいは無生物へと変転する意志のようなものが存在し、思いも寄らぬ結果へと話を導いている。風見鶏弐羽の第二話は繁殖とは無関係だが、生物から無生物への、またその逆の変転という同様のモチーフに基づいてはいる。

三つ目のモチーフとしては、朦朧とした意識や曖昧な感覚に基づく錯覚など、科学的な真実に反する現象にロマンティックな夢想の根拠を求めるといったものを挙げたい。Sleep Walkerは徘徊する夢遊病の人間の話で、眠ったままの現実認識が曖昧な状態ではかえって現実の重力の適用を免れ、姿勢に合わせて恣意的に天地が向きを変えるという逆転した現象を描いている。逃げ水は気温の高い夏場に現実に起こる同名の現象に対して、錯覚を現実のものであるかのように適応してしまう出来事を描いている。二作品のどちらも厳然たる現実に引き戻されたあとのギャップがポイントで、前者はユーモラスに、後者はうだるような暑さにのぼせた頭を一気に冷ますような鮮烈な現実感覚を音による空間認識に託して表現している。

でんじんさまは先に挙げた三つのモチーフをすべて併せ持っていて、収録作の中で出色の出来と言っていいんじゃないだろうか。すなわち、巨大な天体が手のひらに収まるよう小さな電球から出来ているという対比であり、電球が光を放つ源として精霊のような「光の粒子」を設定し、人びとの願いに呼応するかのように天へ昇って天体ショーを繰り広げるといった物質的なものに込められた意志を扱っており、また実際には互いに遠く離れ距離もまちまちに位置する天体が平面状の図形であるかのように解釈する星座の概念を、打ち上げ花火くらいの高さに浮かぶ巨大な生き物のようにみなす、非科学的だが古来からの人間のロマンティックな夢想に合致したモチーフを扱っている。ほかの収録作の多くが無国籍的な場所や時代に設定されているのとは異なって、この作品は明らかに日本の伝統的な行事になぞらえて作られている。往来に出店が立ち並ぶ光景は日本の夜祭そのものであり、「電球供養」と書かれた電飾はこれが針供養や鋏供養のような伝統的な儀式であることを想わせる。真剣で厳粛に執り行われるセレモニーではなく、消費も兼ねた楽しみであることがなおさら現代的であり、作品の良い方向性だと思える。電球を光らせる素が星を光らせるそれと同じであり、切れた電球が地上まで落ちてくるというアイデアはあまり真剣になり過ぎたらバカバカしく、白けてしまっていたかもしれない。この祭は期せずして途中でおひらきになってしまい、正確な進行の一部始終は不明だけれども、子供たちがコレクターズアイテムを収集するかのような結末の軽いノリはとても良かったんじゃないかと思う。

地盤竜の骨は比較するなら例外的ということになる作品だ。主人公がちょっとした冒険に値する活躍をしており、太古の時間へ馳せるロマンティックな空想を直接にセリフやナレーションによって語っているからだ。例外的だから駄目だというわけじゃないが、化石の在り処が砂嵐によってうまい具合に俗世と隔離されるかのような説明にあまりリアリティを感じられないのが僕にとってあまり好きになれない理由だ。

Siestaと、Switchの連作はともに一発芸のようなささいなアイデアに基づいている。前者が固定された視点の誘発する読者の先入観によって意外な驚きを巧みに演出しているのに対して、後者の連作群はただ意外であるということを除けばあえて言及すべきことがない。前者のアイデアが作品世界の仕組みについて根源的なレベルで関わっているのに対して、後者のほうは作品世界においてただナンセンスなだけだからだ。

表題作の名前のもとに描かれた五つの短編は描かれた時期が最も古く、ほかのものと比べて明らかに異色の印象を受けるものばかりだ。ホラーじみたものやシュールな結末で読者を煙に巻くものなど、不思議な出来事を文字通りに不思議に描くだけで、その他の作品と異なり何らかの一貫した夢想的なアイデアに導かれてなく、僕の好きになれない所以だ。ただし、本書のタイトルをこの表題作である睡沌氣候から採ったのは良かったんじゃないだろうか。気候のような自然現象になぞらえた不思議な出来事は明らかに著者が好んで描くものであり、睡沌という造語も想像力の方向性を象徴していてタイトルにふさわしく思える。

キャラクターは良くも悪くも没個性的で魅力に訴えようとしていない。多くの作品では少年が主人公として登場するが、別の作品と交換したとしても見た目の上でも、個別の設定の上でも別に差し障りがないだろう。もっとも、このことは漫画を成り立たせているその他の要素に自信があることの反映であり、またキャラクターの魅力に依存した漫画に食傷している読者にとっては、かえって新鮮に感じられるに違いない。

ストーリーは不思議な出来事を扱うファンタジーでありながら、登場人物が不思議な力を獲得して何かを成し遂げようとする類の話が一つもないことは注目すべき点じゃないだろうか。主人公は不思議な出来事の観察者であったり、時には犠牲者であったり、また読者に対して不思議な出来事を説明するための便宜的な存在に過ぎなかったりもする。このことは作品のモチーフが人間のさまざまな欲望、とくに期待される読者層におもねる欲望と無縁であるという点において、また想像力のスケールが現実の社会的な問題や政治的な問題などに束縛されないという点において、少なくともこの作品集では上手くいっていると言うべきだろう。

ユーモアはこの作品集において必要に応じて用いられていて上手くいっているんじゃないだろうか。たとえばMushroom Garden四角い雲などはユーモア抜きに描いていたならば、出来の悪い陳腐なホラーになりかねないだろう。作品を成り立たせているアイデアが同じであっても、軽いナンセンス・ユーモアならば不思議な出来事の辻褄にこだわりすぎることなくオチを受け入れることが出来る。

著者が費やしたであろう労力の割りにあまりその恩恵を感じられないのは背景にごちゃごちゃと描き込まれた雑多なオブジェや看板などの意匠で、これらはほとんどの作品において特定の時代や場所を想起させないという消極的な意味しか担っていないように感じられる。あちこちに散見する英語も適当っぽさが否めず、何でそれが英語で表記してあるのと素朴な疑問を抱かずにはいられない。

全体として作品の方向性はかなり僕の気に入るところであり、この著者が長篇を手がけたらどういうものになるのかということに大いに興味がある。今後の刊行に大いに期待したい。

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7/10