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But I Really Wanted to Be an Anthropologist

But I Really Wanted to Be an Anthropologist by Margaux Motin: Cover
  • But I Really Wanted to Be an Anthropologist
  • Author: Margaux Motin
  • Publisher: SelfMadeHero/ABRAMS
  • Publishing Date: May 2012
  • Size: 24.7cm x 17.9cm
  • ISBN: 9781906838461
  • Format: Hardcover
  • 172 pages
  • £14.99/$24.95

レビュー

J'aurais adoré être ethnologue の英訳版。作者の日常生活のなかで体験した出来事や願望などを自己風刺的に描いたコミック。一般に成人女性の誰にでも当てはまるような複層的な立場に身を置いて、ままならない家族関係への嘆息や個人的な消費への欲望を包み隠さず率直に吐露している。明らかに誇張された身振り手振りの仕草と表情のくどいほどの冗漫な表現や、似たようなモチーフの反復など削ってもよさそうな部分が目に付くものの、世間体を気にせず言いたいことを言ってのける姿勢には、著者とまったく立場の違う読者であっても共感を覚えることのできる箇所がいくらかは見出せるんじゃないだろうか。

内容の一部からわかるようにもともとはブログで公開したコミックをまとめたもののようだ。本書のフランス語版が刊行されたのは2009年となっていて、著者が現在やっているブログにはその当時以前のアーカイブがない。ブログを移転したからなのか、本の形で出版するため削除することにしたのかどうかは知らないが、本書と同様の形式で今でも更新されている。

収録されているコミックの大半が作者のプライベートな生活の場面から抜粋されたものであり、なおかつその多くが家族三人のホームドラマ的寸劇のようなものに限定されていながらもある程度のバラエティを保てているのには、作者が自分の置かれているさまざまな立場をコミックに反映させていることに因っている。すなわち作者は在宅勤務のイラストレーターであり、妻であり、一児の母であり、家事に忙殺される主婦であり、そしてそれなりに経済的余裕のある家庭ならではのファッションへの消費に執心な女性でもある。そういったさまざまな立場に由来する気苦労や不平不満と、高級ブランド品への志向やセクシーに着飾りたいという欲望への自己風刺が本書のコミックの主な内容になっている。

全部で100有余あるコミックのすべてに作者は登場していて、他人の失敗談や社会一般への批判のような人ごとめいたものはなく、対象は必ず自分との関係に落とし込んだ上で描かれている。例外と言えるのは、自宅のマンションのエレベーターでマリファナを吸った隣人がいたらしいことを描いたコミックで、これは作者の落ち度ではなく、また生活習慣や思想とも何の関係もない。確かに作者は登場するけれども、ただ友人ともども親子連れで期せずして煙を吸ってしまい、エレベーターを降りる頃には不敵な笑いを漏らす変な顔になってしまったということを絵的におもしろおかしく描いているだけだ。これを除けばすべて家族観や女性観など何らかの価値観を担った存在としての作者が関係しているコミックばかりだ。こう説明すると彼女がずいぶんと自己中心的な人間のように聞こえるかもしれないが、そうではない。ユーモアを生み出す対象の関係性に自身が積極的に関与している、そういう関係性にある自分を笑い飛ばしている。例えば、作者が購入した極端なハイヒールについて描いたコミックでは、歩くのが不可能なほどヒールの高い Hooker Shoes を生産するメーカーや、そんなものを持てはやす流行を批判して外部からファッションの虚飾を皮肉ることだってできただろう。しかし、彼女はそういった手法を採らず、部屋の中でその靴を履いて慣らすことをブートキャンプになぞらえ、しかも頭の上にコーヒーカップを乗せ、積み上げた辞書の上に登るといったような、非実用的なほどの過剰な訓練に取り組む自分自身を滑稽に描いている。ヒールが高すぎることなど買う前からわかることであって、それでも欲しいという自分の消費欲を踏まえた上でのファッション風刺であり、つまり自己風刺ということだ。

自己風刺は作者にとってユーモアの原則であるかのように徹底していて、彼女が何をしようが何と言おうがことごとく自分への風刺に行き着くと言っていいくらいだ。本書に描かれた絵をざっと見やると作者自身の喜怒哀楽をほとばしらせた表情ばかりが目に付いて、感情をありのままに発散させて言いたい放題言うタイプのように思えるかもしれないが、実際にはそうではない。相当意識的に自制を利かせて最後は自己風刺に落ち着くようコントロールしていることが見て取れる。例えば近年の若者の服装のセンスのなさを批判して見せた時には、それがすなわち自分がもう若者でないことに気づくというオチに至る。レストランでウェイターがデザートの注文を尋ねてオーダーの締めに入ろうとしていることにケチをつけた時には、シャツがめくれてでっぷりと丸くなった自分の腹を描いてみせる、といったように。辛辣な批評をする時や、尊大な態度を取って見せる時には必ずと言っていい程に自己風刺が付いて来る。タイトルにもなっている But I Really Wanted to Be an Anthropologist という言葉は作者の本音ではなく、高級ブランド志向の自分を風刺するコンテクストで使われている見え透いたジョークに過ぎない。ひょっとしたら現実の著者は人類学者を夢見たこともあったのかもしれないが、少なくとも作中の登場人物としての作者には関係のない話だ。

この作者は言いたいことを一方的に言って単純に自分を肯定して済ませるということをしない。相反する側面を用意して、言わば読者のツッコミを待っている。その意味では迂闊な失敗をしてしまったと言えるエピソードがひとつある。ブティックで採寸をしてもらった際に予想よりもバストを小さく見積もられたことに不満を抱き、その日の晩にベッドの上で起き上がって店員に悪態をつくというのがそれだ。店員は自分に課せられた職務を忠実にこなしただけであって非難される謂われはない。しかも、何ページか前に載っているコミックで出産後の体の変化として作者自身が明かしたバストのサイズと店員の見積もったサイズはほとんど同じだ。これでは一方的に理不尽な不満を他者にぶつけているだけだ。僕はこの本で描かれている作者の思想についておおむね支持する立場であり、共感するところがあるけれども、この件に関しては正直に言って描くべきではなかったと思う。ただし、このエピソードには直後に後日談的な補足がある。妊娠する前に着けていたシャンタル・トーマスという高級ブランドのブラを再び試してみた作者が、胸に谷間が出来ただの、自分はセクシーだのとはしゃいで大騒ぎをしている。旦那が口を挟もうとするが彼女は聞く耳を持たない。このコミックが何を示唆しているのかというと、要するに実際にバストが大きくなったのではなく、ブラのおかげで形が良く見えるようになったに過ぎないにもかかわらず、彼女がぬか喜びをしているということをその本人自身が滑稽に描いているというものだ。これは例の店員へ悪態をついたことへのギリギリのフォローなのかもしれない。

作者による自己風刺は、プライバシーに属していて描く必要のない領域にまで及んでいて躊躇や遠慮というものがない。外出先でトイレへカバンをもって入った時にどうやって用を足すのかといった苦労や、生理中にいわゆる勝負パンツの逆にあたる生理パンツとでもいうべき古びた下着を着けているといった秘密など、女性の読者ならば心当たりのある話なのかもしれないが、僕にはわざわざ好んで披露するほどの面白いネタとは思えず、よく描くもんだと呆れてしまう。ただ、こういったプライバシーの切り売りは作者の高級ブランド志向から即断されがちな高尚的な趣味や態度を相殺する上で大いに効果があると言える。一読して明らかな通り、確かに作者は高級ブランド品の購入やファッショナブルな装いに執着してはいるけれども、自分をことさら品の良い人間に見せようと取り繕ったりすることがなく、まして靴やバッグなどがその人の品性を高めるなどと信じているわけでもない。自ら Fashion Victims というフレーズを使うくらいには内省的であり、ファッションの虚飾性というものを承知の上で楽しんでいる。本書を通読した読者にとっては、この著者のことをファッショナブルで趣味の良い女性だなどと単純にみなすことは難しいはずだ。

プライバシーということに関連していうと、本書のコミックにはかなり性的に際どいネタがいくつかある。絵として露骨に描いてはいないけれども、登場人物のセリフにはとても小さな子供には読ませられないものがある。とはいっても、作者がとりわけ下品なわけではなく、経産婦の井戸端会議の議題なんてどこでもこんなもんじゃないのかというのが僕の意見だ。ただコミックの形で公表するか内輪でひっそりやり取りするかの違いだけじゃないだろうか。

収録されているコミックのうち僕が最も気に入っているのは、作者と小さな娘さんとのあいだの関係を描いたもの。良妻賢母という言葉は死語かもしれないが、それでも人は母親に対して子供への無償の愛情を要求するものだ。小さな子供はとにかく手がかかり、親は自分のそのときどきの心情に反してでも全身で寄り添ってやらなければならない。しかし、いつでもそんな理想的な親として振舞えるはずもなく、時には冷淡で残酷な感情が湧いてくることもある。この作者はそういった残酷な感情を率直に自分の立場として描いている。世間の反発を恐れず、駄目な母親だと謗られることも厭わずによく描いたもんだと感心する。

実の幼い娘にとって残酷とも言える感情をコミックで表す作者に対して、僕が共感し、擁護するのには理由がある。母親についての愚痴を読んだ旦那さんが奥さんに同情する意味で同様の悪口を言ってみせるが、その途端に作者が猛反発するというコミックを描いている。母親に対しては実の娘だけが言えることがあるというのが作者の考えで、要するに当事者としての関係性を問題にしている。同じことは娘に大しても当然言えるわけで、「お宅の娘さんはかわいそうね」などと第三者が言おうもんなら猛反発するだろう。生まれてこの方ずっと付きっ切りで世話をする母子の関係は愛憎入り混じったものになるのが当然であって、この作者を母親として不適格だなどと断罪することが出来てしまうのは自分の手で子供を育てない人間だけじゃないだろうか。

絵について一読してわかる特徴は、まるでイラストの入門書のように人物の全身を収めたポーズのバリエーションが延々と続くページがちらほらあるということだ。1ページか2ページほどを単位として区切りをつけるタイプのコミックの平均からすれば冗長としか思えないが、これは著者がもともとイラストレーターを本職としていることの影響なんだろう。同様に過剰とも言える表現は人物の表情や身振りなどの仕草なんだけれども、しかしながらこれは本書の魅力のひとつでもある。たいして変わった出来事が起こるわけではないので、人物の感情の起伏を強く印象付ける絵柄でなければもっと退屈な本になっていただろう。漫画であるということを忘れて、この作者のように自宅で独りで過ごしているときにこんなオーバーアクションでもって喜怒哀楽を示してみせる人間がいるかよと問われれば、確かに大袈裟過ぎると言わざるをえない。しかし、その大袈裟な身振りや表情が前述した自己風刺の材料として活きている場面においてはかなり効果的で笑えてしまう。高級ブランドのブラをつけて胸が大きくなったと喜んでいる時の彼女のはしゃぎっぷりは傑作だ。

テキストは各コミックの表題の部分を除いてすべて手書きの筆記体でもって書かれている。ただでさえ読みづらいのに加えて、ところどころ筆記の仕方に妙な癖があって解読に苦労した。普通、小文字のFは下の部分を反時計回りにぐるっと楕円を描いて次の文字に続いていくもんだと思っていたけれども、本書ではところどころ明らかに時計回りに回っていて「こんな文字あったっけ?」と悩んでしまった。また、小文字のIの頭に打つ点が平気で一文字半くらい右にずれてる箇所も散見する。ネイティブが実際に使う筆記体とはひょっとしたらそういうものなのかもしれないし、そもそも日常的に筆記体の読み書きなどまったくしない僕がケチをつけるのもおこがましいことかもしれないが気にはなった。紙や印刷は漫画本としてかなり上等な部類で手書きのテキストが驚くほど鮮明に写っている。初めてページをめくった時にはまるで著者が全ページ直筆で書き込んだかのような錯覚がしたくらいだ。

収録されているネタの内容は娘との関係、旦那との関係、母親との関係、友人との関係、在宅勤務の苦労といった感じでパターンが出尽くしている感がある。これは作者が政治や社会など遠く離れた問題を扱わず、あくまで自分が当事者として臨む関係性においてのみネタを拾っているという作風からしてある程度しかたのないことと言える。それでも、家族関係や友達づきあい、作者の仕事の内容に変化がない以上、すでにマンネリ気味だということは否めない。本書に続刊があったとして何か新しい要素が期待できるんだろうかと思えてしまう。まあ、描くべきことは描いたと言えるかもしれないが。

訂正(2012年7月29日)

あとから気づいたことなんだけれども、作者がネタをコミックにするうえで常に自分との関係性に引き寄せて描いていて、他者のおもしろおかしい言動をそのまま描いているものはないかのような記述は間違いだった。たとえば、作者が女好きの女友達とともにFeistのコンサートにいった時のコミックでは、性的魅力に興奮する友人たちの傍らで冷ややかな面持ちでいる自分を描いてたりもしている。あくまで僕が述べたような自己風刺的な内容のものは僕にとって重要で本書の特徴的な位置にあると思える、とでも言い換えておけばいいだろうか。

Rating
7/10