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友だちの話

河原和音・山川あいじ『友だちの話』:表紙
  • 友だちの話
  • 著者:河原和音・山川あいじ
  • 出版社:集英社
  • 発行日:2010年10月30日
  • ISBN: 9784088465869
  • 248ページ
  • 新書判
  • 460円

レビュー

三話からなる表題作に読切の一篇を加えて収録した短編集。著者名がそれぞれ原作と漫画に分けてクレジットされているけれども、独立した原作に基づく漫画化作品ではなく、ネームと作画を分担した合作ということになる。二作品にキャラクターやストーリーの点で直接の関連はない。あえて共通点を挙げるなら、友人関係に異性との出会いを絡めて描いた高校生の女の子の話ということくらい。表題作が友情というものを真正面から真剣に扱っていて、ある意味で重いのに対し、読切のほうは比較的軽め。どちらも同じ友だちの話ということには違いないが、テーマの比重の置き方から見て互いに別物の作品だ。

表題作はもえと英子という仲のいい女の子ふたりの話。もえが美人でいつも毅然とした態度で振舞ういっぽうで、英子は見た目があまりパッとせず、なにかにつけて垢抜けない物腰が目立つというように、ふたりは対照的な女の子。ストーリーは、片方に彼氏が出来たとき互いに取る立場がふたりのあいだの独特の友情を際立たせるということを時にはコミカルに、時にはかなり感傷的に描いている。

二人いる主人公のうちの一人、もえという女の子は僕にとって悪い意味でかなり強烈な印象を与えたキャラクターだ。親友の英子をめぐってもえが繰り出す理屈や、それに基づく彼女の言動は僕にとってかなり奇妙で不自然なものに思えてならなかった。結論から先に言うと、言い寄ってくる男たちに対して彼女が付き出す奇妙な条件がストーリー全体のキーワードのような意味を持っていて、その理屈を読者がどのように受け止めるかということによって作品の評価がまったく違ったものになってくるんじゃないかと思える。

初めはもえのことを奇人変人の一言で片付けたかったけれども、そんなふうに吐き捨ててしまっては埒が明かない。次に考えたのは、もえは精神的な未熟さを残した女の子だと解釈すべきなんじゃないかということだ。高校生という年頃を大人と子供のあいだの時期と考えてよければ、まあ別に不思議ではない。つまり、まだ子供だから人間関係について正しい判断が下せなかったり、あるいは自分の気持ちさえよくわかっていない……という設定になってるんじゃないか? 自分で言うのもなんだけれども、この解釈はあながち的外れとも言えないように見える。もえは一人称を自分の名前で呼んでいて、これは年を考えればちょっと変わっているし、一般的に漫画のキャラクターのわかりやすい性格描写として使われる設定だ。ところが、実際に本編の中ではこのいかにも目につく、というか耳障りな設定は特に活かされているわけではない。このことで変わり者扱いされることもなければ、いじめられることもない。そもそも他人によって言及されることすらない。もえがなぜこういう設定なのかということはあとがきのページでも説明されていない。しかし、作者にとってどうでもいいことのはずはない。僕が思うには、もえが子供っぽさを残した女の子だということを読者に対して仄めかしたかったというのがその理由なんじゃないかということだ。それでも、もえのことを子供っぽいキャラクターと決め付けたところで、奇人変人呼ばわりすることと大して違いはないだろう。彼女の言動の奇妙さについてもっと的確な説明ができるんじゃないかと思い、別の考え方をしてみた。

もえとつきあうってことは英子とつきあうって事だから英子をもえより大事にしてね

この一言だけを取り上げると、これは友だち思いの女の子の心から出た思いやりの言葉であって、ちょっと変わってはいるけれども、特に目くじら立てることではないように感じられるかもしれない。しかし、この理屈に基づいて作られている第一話のハイライトは、もえの心理に注目すればかなり不自然なものになってしまっている。

僕がこだわりたいのはもえが激しい怒りを見せる場面だ。もえは土田という男子に告白されて付き合うことになる。土田は、もえから提示された「英子のことをもえ以上に大事にする」という変わった条件を、少なくとも表向きは承知したため、デートのときに英子が付き添ってくることに対して不平は言わなかった。しかし、英子のほうは自分がふたりの仲の邪魔をしているように感じられてならず、二回目のデートをすっぽかし、次の日の放課後も三人で一緒に下校するのをためらって先に姿を消してしまう。つまり、もえと土田のカップルに気を使って身を引いたというわけだ。英子のことはさておき、もえと二人きりになれて嬉しいという率直な気持ちを漏らした土田に向かってもえの言ったセリフがこれだ。

今 一番立場的に淋しい思いしてるの 誰だと思ってんの 英子なんだけど

その英子が淋しいのガマンしてっ 1人でいてくれてるのに そーゆー事考えないわけ!? あんた自分の話かよ!!

僕はこのくだりを読んで唖然としてしまった。もえの立場に置かれた人間がこんなふうに激しく怒りを募らせるということが現実にありえるだろうか? どうみても不自然じゃないか? 誤解を避けるために断っておくと、僕が言いたいのは、彼氏である土田にたいしてこんなふうに怒るのはひどいじゃないかとか、もっと優しい言い方があるんじゃないかとか、そういうことではない。あくまでもえの心理として不自然じゃないかということだ。僕の素朴な疑問を並べればこうなる。土田はあくまでもえと二人っきりになれたことを嬉しいと言ってるだけで、別に英子に暴言を吐いたわけでも、罠に嵌めてもえから遠ざけたわけでもない。怒るほどのことなんだろうか? また、英子にとっていちばん大切な人間がもえだということはもえ自身がよくわかっているはず。英子が淋しがってるのなら自分が何とかすることを考えたくなるはずであって、土田がどうのこうのなんてどうでもいいことだろう。もえの怒りは御門違いと言うべきじゃないか? もえが怒る直接の理由は、土田が付き合う際に承知したはずの約束、すなわち「英子をもえより大事にする」という約束に背いたからということになる。だからある程度の失望はあるかもしれない。しかし、もえの怒りっぷりはまるで彼女が英子を思う気持ちと同じくらいに、土田が約束を守ることも重要であるかのように聞こえてしまう。

もえの激昂に違和感を覚えながらも、僕はこの場面の状況に不思議と既視感があって、それがいったい何なんだろうと長いこと考えあぐねていた。ふと気がついたのは、これは家族の関係に近いということだ。ちょっとこんな例を想像してみてほしい。ここにもえという名前の母親がいて、英子という連れ子がいて、つい最近になって再婚した土田という男がいる。もえが土田に向かって激昂する。

「ちょっとあんた、娘の英子が独りで淋しがってるかもしれないのにここであたしと乳繰り合ってる場合じゃないでしょ! この甲斐性なし! ぐうたら亭主!」

こんな感じで奥さんが旦那に対して憤る場面を想像してみてほしい。漫画の本編で描かれたようなもえの激昂が適切に感じられるのは、むしろこの例のように三人が家族の関係にある場合じゃないだろうか。誤解を避けるために断っておくと、ここでいう「家族」とは本来あるべき家族とか、理念としての家族とか、そういう意味で使っている。三人の人間が互いに極めて親密な関係で、そのうちの二人の関係が残りの一人の嫉妬を伴なうこともなく、安定して強く結びつく、そういう現実的な関係として「家族」と言っている。うちは両親がもともと仲悪いとか、現代日本の家族は崩壊しているとか、そういうことを言わないでほしい。

この家族の例から逆に考えて気づいたんだけれども、もえに対する違和感をキャラクターの設定に起因するものだとして見なしてそちらから考えてみると、彼女が土田のことを別に好きでも何でもないということが読者から見て明白だということが根拠として挙げられる。もえは土田とつきあうことに同意しておきながら、英子との会話の中で土田について「好きでもキライでもないよ 知らないもん」と言ってケロッとしている。ほかのどのページ、どのコマを見てももえが土田のことを気にかけている描写は一切ない。もえは土田のことを好きじゃないから怒ることが出来るんだろうなどと短絡的に考えないでほしい。もえはあくまで、どうして英子を大事にしてくれないのかという気持ちで土田に対して怒っている。わたしを大事にしてよと怒っているのではなく、わたしの大事な人をあなたも同じように大事にしてよと怒っている。こういう怒り方が自然に成り立つのは現実的に考えれば家族の関係くらいしかないだろう。つまり、家族の関係とは違って、実際にはもえが土田のことを初めからまったく気にかけていないにもかかわらず、まるで当然のように土田から英子への思いやりを期待して、そしてその思いを裏切られたかのように激しく怒っている点に違和感の原因があると言い換えることが出来る。

もえに対する違和感を本来あるべき人と人の自然な関係という視点から考えると、ふたりきりの親密な関係を閉じるのではなく、積極的に開こうとしている点にその原因があると言える。もえの気持ちの中で最も大切なのは英子であって、ほかの人間のことは二の次のはず。つまり、土田が英子のことを大切にしてくれようが、くれまいが、自分は英子のことを大切にする、そういうふうに気持ちが働くのが自然な人間の対的な感情じゃないだろうか。二人きりの対的な関係を閉じる方向に気持ちが向くのが自然であって、対的な関係を開いて積極的に第三者を取り込もうとするのは不自然だろう。男と女の関係だろうが、女と女の関係だろうが、そういうもんじゃないのか? どうしてもえは土田という男子が英子を大事にすることについてこだわらなければならないのか?

ここまで長々ともえの言動についての違和感を書いてきたけれども、実際にこの表題作を最後まで読んだ読者なら反論が出てくるはずだ。もえの奇妙な言動には実は秘密があって、第一話の段階ではそれが読者に対しても、ほかの登場人物に対しても明かされていない、だからもえの言動は結論としては本当はおかしくなんかないということを指摘したくなるはずだ。僕は問題をいろいろ選り分けて説明するためにあえてその点については触れずにこれまで書いてきた。この作品を初めて読む読者が描かれていることをありのままに受け止めればこの段階でこういうふうに疑問を感じるだろうということを説明してきた。僕の本当の不満は、これまで長々と書いてきたもえの言動についての違和感に対する作者の回答の仕方、すわわち筋立ての上での扱い方だ。

もえの考え方に対する反発は、おもに男の登場人物によって語られている。救い難いほどのお人好しである土田はともかくとして、英子の弟や、土田の友人の鳴神によって、「ヒクわ……意味がわからない」とか「手に負えないくらいワガママ」などと厳しくケチをつけられている。こういったコメントはそれぞれ発言者の立場から見れば適切で自然な反応に違いない。しかし、読者の疑問への回答としては、すなわちこれまで僕が長々と説明してきたような疑問を抱く読者への回答としてはあまりにも不十分じゃないだろうか? まだ第一話の段階だから最終的な回答ではなく、とりあえずの暫定的なものだとしても、配慮が足りないと言えないだろうか? 最終話でもえは「もえとつきあうってことは英子とつきあうって事だから英子をもえより大事にしてね」という例の奇妙な文句のことを、自分で自分にかけていた「呪文」のようなものだとして説明している。つまり、もえは読者に対して一つ大きな秘密を隠していたことになる。それならばどうして第一話から、遅くとも土田にたいして憤って見せた段階で秘密を隠し持っていることを読者に対して仄めかしてくれないのか? そこが僕のいちばんの不満だ。謎が物語の終盤に至るまで解決されないことが不満なのではなく、謎が謎として読者の前に提示されないことが不満ということだ。推理物で例えるなら、状況からして密室にしか見えない条件で殺人事件が起こっているのに、探偵役も犠牲者の家族も誰一人として殺人の現場が密室だということに疑問を抱かず話が進んでいくような、そういう違和感だ。最後になって、これは密室殺人でした、トリックはこうでしたなどと説明されても読者は納得しないだろう。例えて言うならそういうことだ。

ここでちょっと、作品の登場人物や設定を借りて部分的に改変したエピソードのようなものを想像してほしい。僕の考えた話の筋のほうがおもしろいだろうなどとでしゃばった真似をしたいのではなく、あくまで僕の違和感の根拠を説明するための便宜だ。もえが土田に怒りをぶちまけた場面の直後に、もえと英子ふたりの共通の友人が姿を現したとしよう。そこでこんなふうに声をかけたとする。

「ちょっともえちゃん、土田くんがあなたたちのことをわかってくれなくたっていいじゃない、ふたりきりで仲良くしていられればいいじゃない、クラス替えがあっても、卒業しても、ずっとふたりきりでいられればそれでいいじゃない」

本編での設定を踏まえるならば、もえはこの時点で例の秘密を、すなわち「呪文」のことを明かしたりしないだろう。あの鬼太郎のような前髪から片目だけ覗かせてじっと見つめたまま沈黙するだろう。フキダシがあれば「……」ということになるだろう。例えばそんなふうにしてくれれば読者は、「あ、もえは何か隠している! ただ、英子のことが大好きだってことでは説明がつかない、かなり強情な性格だとか、そんなことでも説明がつかない何か秘密を隠している。いまはわからないけどそのうち明らかになるんだろう」というようにひとまず納得することが出来るはずだ。どうして本編ではこういうふうに謎を謎としてわかりやすく提示してくれないのかということだ。それとも、これは僕の少女漫画リテラシーの問題なんだろうか? 熟練した少女漫画読者なら第一話の段階でもえが秘密を隠し持っているという見当をつけることが出来るんだろうか? ひょっとしたらそうなのかもしれないという疑念がないわけじゃないが、エスパーじゃあるまいし、そんなことわかるかよというのが僕の本音だ。そしてわからないまま読み進めるというのがストレスを募らせる。もえの言動は自然な人間の心の動きからすれば倒錯的と言ってもいいくらいひっくりかえっている。それを「手に負えないくらいワガママ」などと陰口を叩かせる程度で片付けられてはたまったもんじゃない。そのあたりも含めて、実際にこの話をはじめて読んだときに僕がどう感じたか順を追って説明してみたい。

第一話で、もえが付き合いはじめたばかりの土田という男子に対して激昂して責め立てるくだりを読んで、僕はこの漫画が彼女の考え方をそのまま肯定して終わるような話だったらとても読んでられないよと呆れてしまった。続く第二話ではそういう僕の不満を代弁するかのように土田の友人の鳴神という男が登場し、もえの振る舞いに批判を加えてくれて僕をひとまず安心させ、話の筋に引き戻してくれた。しかし、そのように胸のすく思いがしたのも束の間、鳴神は鳴神でちょっとひねくれたところがあって、とても肩入れする気にはなれず、何だこの漫画の登場人物はどこかおかしな奴ばっかりなのかよと僕は再び辟易してしまった。ただ、この時点で僕は作者の意図するところについて大いに期待と不安を掻き立てられ、結果的にはこの部分を最もスリリングに読んだということになる。どういうことかというと、もえの言動を的確に批判するかに見えた鳴神も実は偏った立場にいるということから、作者自身の思想として、人は誰でもその人固有の人間関係の中で育まれる以上、誰も他の人間関係について客観的で公正な立場から判断を下すことなど出来ないというような、かなりラディカルな主張を持ち出すのではないかと思ってハラハラしたというわけ。それと同時にそんな突飛な方向性でどうやって、この手の何と言うか、メインストリームを行くといった感じの華やかな少女漫画としてまともに話をまとめるのかという疑問も。期待と不安と言ったのはそういう意味だ。もちろん、これは僕の見当違いだったわけだけれども。実際の物語の本筋そのものではなく、それに自分の見当違いを加味した読み方がおもしろかったなどというのは僭越に聞こえるかもしれないが、実際にそう感じたんだから仕方がない。

第三話では、もえの隠していた秘密が明らかになり、先に僕が長々と書き散らした疑問も解消し、ストーリー全体として辻褄の合うものになるんだけれども、とくに感慨もなく読み終わってしまった。理由の一つは核心の部分をダイジェストのような駆け足の回想で済ませていることだ。こういうふうにやられると読者は登場人物の語る通りに、すなわち言い値通りに出来事を受け取らざるを得ない。文章で言えば、箇条書きで結論だけ突きつけられたような味気なさだ。それから、これは個人的な好みの問題なので強く主張する気はないけれども、登場人物についての評価を覆すために過去の回想を持ってくる類の手法が好きじゃないということもある。とくにそれがトラウマ話だったりすると、思わずゲロが出てしまう。これまで少年漫画でさんざんやられていて、もうそういうのは勘弁してくれよといった感じだ。「ね? この子ちょっと意地悪そうに見えるけど本当はむかしこんなことがあったの。気の毒でしょ? 可愛そうでしょ? だからみんなもこの子のこと好きになってあげてね? ね? ね?」と、作者に耳元で囁かれているような……まあ、好みの問題と言われればそれまでだけれども。もう一つの理由は、もえの隠していた秘密が明らかになる肝心の部分だ。もえは自分の心の中のつぶやきだけで読者に対してそれを説明し、しかも現在進行中の出来事についての判断と過去の自分の願望とを盛り込んで、主語の入れ替わる錯綜した文章でもって語るのでとてもわかりにくい。僕は最初読んだときにはもえが何を言っているのかさっぱりわからなかった。それから、英子に彼氏が出来るということをもえがどう受け止めるのかというクライマックスに至るわけだけれども、まあいい話だねというくらいの感想しか出てこない。別に彼氏が出来たところで今生の別れとなるわけじゃあるまいし、友達としてずっとつきあい続ければそれでいいじゃないかと思えてならないからだ。もえが真性のレズビアンだというのなら話は別だけれども。友達に彼氏が出来ることを認めるかどうかということを究極の二択のように受け止めていることが、僕にとってあまり親身になってのめり込めない理由だ。

もえの言動に対して不満たらたらでも僕がそれなりに本作を楽しく読めたのは、絵の力によるところが大きい。とくに「イケてない」という設定のはずの英子の表情が、自然でありながらも感情移入を妨げないものになっていて巧みだ。僕にとって英子のいちばんいい表情は、学校の購買で横入りされてパンを買い損ねたときの唖然とした顔や、男子からあからさまな好意を向けられて弱りきっているときの顔だ。決して崩して描いたギャグ顔でごまかさずに普段の素の顔と整合性のあるキャラクターデザインを保ちながら、見ていて居たたまれないような気の毒な気持ちにさせられたり、あまりの情けない表情に失笑を催すようなこともない。それでいて「イケてない」とか「ショボイ」とかいうことは確実に伝わってくる。そのいっぽう、作品の中でかなりの美人ということになっているもえは、とりたててそうは見えない。作者は彼女が美人だということを伝えるのに直接的なキャラクターデザインに拠らず、周囲の人びとの反応でもってそれを表すというやり方をしているんだけれども、これはちょっと妙な感じだ。もえが初登場した場面での人びとの驚き方は、ただ単に美人を見かけたときの反応としては変じゃないだろうか? 僕は何か意図した含みがあるのかと思って戸惑ってしまった。人びとの反応はまるで頭に何か変なものでも付いてる人を見たときのものに近い。何か変なものがついてるんだけど、凄い美人か、あるいは身分の高い人であるため軽軽しくそのことを指摘できないといったような。もえがパッと見てわかるような美人に描かれていないということは、読者に対して彼女への嫌味な印象を持たせないための工夫なのかもしれない。周囲から見れば、いつも一緒にいるのがちょっと不思議に思われかねないイケてない女の子に対して、当然といった態度で馴れ馴れしく接する美人という構図では、まるでもえが英子に情けをかけているように見えてしまい、最終話のハイライトで核心が明かされるまで読者の共感を引っ張るのが難しくなっていたかもしれない。その意味では無難なキャラクターデザインと言えるのかもしれない。

その彼、調べますは巻末に収録された50ページ足らずの短篇。友だちの彼氏の浮気調査のため一肌脱ぐことになった女の子が予期せぬ出逢いをするというもの。僕にはこの主人公の実和子が可愛くって仕方がなく、この話が収録されているからこそ本書のレビューを書きたくなったんだけれども、どうも作者とは評価がだいぶ異なるようで意外だった。あとがきのページでの作者同士のやりとりにはけっこうなスペースが割かれてるにもかかわらず、実和子の名前が出てこないだけではなく、作品名すら言及されていない。まるで一冊単行本を出すためにおまけとして収録したみたいな扱いの軽さがショッキングだ。

登場人物は総じて程よい加減に性格や気質が割り当てられていて、特徴の一端が大きく偏った者はいない。ごく普通の高校生の交友関係を題材にしていて、ひどい悪人もいなければ善意に溢れた正義漢もいない。実和子の友だちの彼氏に浮気の疑いがあるということがこの話の元になっていて、この彼氏が悪い奴じゃないかと言われれば、まあそういうことにはなる。それでも、彼女の目を盗んでちょっとほかの女の子といい仲になってしまうなんてことはよくある話で、要するにどこにでもいそうなありふれた小悪党でしかない。いっぽうで、実和子も気の毒な友達のためを思って単身で行動を起こしてはいるけれども、義憤に駆られてとか、醜聞の真偽を糾すといった深刻さや大げさな感情はない。むしろあまり気乗りのしない様子も見受けられる。これには実和子に浮気調査を頼んだみどりという女の子の性格設定が関係していて、彼女を純粋な被害者のように扱っていないのがいいところだ。状況を説明している冒頭の場面で、みどりは彼氏の浮気疑惑に際して確かに涙を流して泣いてはいる。しかし、まるで嘘泣きでもしているかのように指の間から目を覗かす仕草で実和子をそそのかすしたたかさがあり、さらに頼み事をする相手の実和子に対してちょっと無神経な物言いまでしている。つまり、実和子やみどりのような主立った登場人物は互いにちょっと矛盾しかねない要素を性格や動機として持ち合わせていて、そういったところにリアリティの根拠がある。決して複雑で錯綜した心理などではないけれども、この程度に含みのあるのが現実の人間関係だろうと思える。

また、個々のキャラクターがどうなっているかというだけではなく、どのページにおいても全体的に穏やかな雰囲気を保っていて必要以上に感情を高ぶらせることなく工夫がされている。みどりが彼氏の浮気を知って涙する冒頭の場面で、その場の一堂はテレビゲームに興じている。これをもって冷淡だとか、やさしくないとか判断する読者はいないだろう。なぜそうなのかというのはなかなか上手く説明できない。みどり本人もコントローラーを握ってゲームに参加しているコマがあるというのも理由のうちだろうけれども。短い時間の出来事を中断することなく描写しているにもかかわらず、例えばイスに腰掛けていた実和子がいつのまにか横になっていたり、床に坐っていた菓子を食べていたほかの女子が起き上がってゲームをやっていたりと、コマの進展によって人物の位置や姿勢が変わっていることに良い意味で散漫な印象を与える根拠があるのかもしれない。この冒頭のみどりの涙をしのぐほどに激しい感情が迸ってもおかしくないのはみどりの彼氏の浮気がはっきりと露見した場面ということになるだろうけれども、ここにおいても激しい感情が剥き出しになるような事態は上手く回避されている。前述したみどりのしたたかさな性格に基づき、あれほど大騒ぎしておきながら簡単に矛を収めてしまうという変わり身の早さでもってユーモアを生み出していて、互いに罵りあうような修羅場を見せずに済んでいる。ひとつ、激しい感情の露出が押さえられていることの全般的な根拠を挙げるならばコマの大きさということになるだろう。泣いたり、怒ったりしている人物の表情にクローズアップしてそれを大ゴマで描くということをやっていない。むしろあえて小さなコマでもって済ませている。大ゴマはほかの用途に使われている。

主人公である実和子について言うと、ステレオタイプに陥らないキャラクターになっているのがいいところだ。作品内ではもてない女の子ということになっているけれども、うぶでも、すれてるわけでもない。目の前の男が自分に好意を持っていると知っても、それだけでドギマギして上の空になることもなければ、「どうせわたしはもてないし」などと変にひねくれたりもしない。さらに、実和子の特徴として重要なのは「当事者意識の希薄」とでも呼ぶほかのないちょっと変わった傾向があることだ。この話を読んでて誰でもすぐに気がつくのは浮気調査の過程で知り合ったトモヤという男子が美和子に明らかに気があるということだろう。それに対して実和子の心の中ではその気持ちに応えるべきかどうかといったことがまったく問題になっていない。こういった男女のすれ違いは実和子の立場に極端に鈍いキャラクターを据えることによってこれまでに漫画やドラマでさんざん描かれてきた関係だろう。どんな甘い言葉をかけようが、体を寄せようが、まったく目の前の異性の気持ちに気づかないという鈍感なキャラクターとして。実和子の場合はそういうステレオタイプとは違うところに個性がある。彼女はやさしいとか可愛いとか面と向かって言われていて、トモヤの好意に気づいていないわけではない。それでも、ひたすらのれんに腕押しのような関係になっている。根拠は実和子のなかの当事者意識の希薄な傾向にある。彼女のこの傾向はセリフに大いに反映されている。「人って……だよね」という心のつぶやきがそれにあたる。この何度も繰り返される口癖のようなセリフにおいて、実和子ははっきりと人の名前を挙げることをしない。決して、そのときそのときに念頭にある誰かの振る舞いや性格などが、常に人間一般に当てはまるからそういう言い方をしているというわけではない。まるで名指しで評価することによってその人間と直接に対峙してしまうことを拒んでいるかのように聞こえる。この実和子の傾向はトモヤの「俺なら……」という言い回しと対照的だ。ここにこの作品のいちばんのテーマがあるといっていいだろうと思う。

話の筋の行方はほとんどの読者にとって予想のつくものになっている。浮気調査の過程で明らかになる事実よりも、途中で知り合うトモヤという男子が実和子に寄せる思いのほうに重点が置かれていて、したがってみどりと彼氏が別れるか縒りを戻すかということよりも、実和子とトモヤの関係がどうなるのかということがストーリーの中心に来るということが早い段階でわかってしまうからだ。それでも、これは浮気調査に一緒に従事しているうちに二人が打ち解けて仲良くなったとか、そういう単純な話にはなっていない。実和子のほうもトモヤに対して想う気持ちが芽生えつつあることは読み取れるけれども、彼女は浮気調査の件が片付いたあと、トモヤに礼を言ってそのまま帰ろうとしている。トモヤが呼び止めなければ二人はそれっきりだったかもしれない。このことをどう捉えたらいいだろうか? 僕は、実和子の当事者意識の希薄という傾向がトモヤに対する気持ちの芽生えにフタをしている、そういうふうに解釈していいんじゃないかと思っている。実和子は彼氏を作れなかった合コンのときも、友だちのために浮気調査に乗り出した今回の件でも、実際には積極的に人に関わりあっているけれども、本人がそうは思っていない。そこのところの実際の行為と心のずれをトモヤに指摘されて気づかされた、そういうことなんじゃないだろうか。別にここで作者は良い男を見つけたら積極的にアタックしろとか、そういう恋愛指南をしたいわけではない。恋愛か友人関係かを問わず、人と人との関係における大事なものをひとつ忘れかけた女の子のあり方というものをスケッチしてみせた、これはそういう話だと解釈していいんじゃないかと思う。示唆的で、とても良い話じゃないだろうか。

この作品の漫画的な部分の明白な特徴は、様式的な表現をかなり多用していることで、これを好むか、好まないかというのは読者によって分かれるところなんじゃないだろうか。僕が様式的と括りたいのは、実和子がトモヤのことを意識した瞬間などに急に日差しが強くなったように見える表現と、背景に星が舞ったり、星空そのものが描かれたりするという表現の二つだ。一つ目のほうをここで便宜的に「ときめきの瞬間」と呼ばせてもらうと、このときめきの瞬間の描写は、実和子のそれ以外の心理に読者の注意を引き付ける場合の描写とは区別されている。実和子は浮気調査の結果がみどりをさらに傷つけるものになるかもしれないという懸念を持っていて、そのみどりに対する懸念の瞬間にはもっとオーソドックスな手法、すなわち黒目の上に荒い刷毛でかすらせたような白いくし型の跡を付けるということをやっている。専門的に何と呼んでいるのか知らないのでまどろっこしい説明になってしまうが、言いたいことはわかってもらえると思う。ときめきの瞬間でも同じ眼の表現をやっていないわけじゃないが、それに加えて一方向から強い光をあてたように人物や背景が明るくなるということをやっている。これはかなり露骨で、別に効果的じゃないなどと言うつもりはないが、ちょっとやりすぎだろうと思う。実和子とトモヤの両方とも黒いベタ塗りの髪になっているのはこの効果を生かすためという理由で間違いないだろう。二つ目の星と星空の表現は初めて読んだとき、部分的にはかなり面食らってしまい、作者の意図するところを測りかねてページをめくる手が止まらざるを得なかった。実和子の想像の中でみどりとその彼氏の仲睦まじい様子を思い描いているコマの背景が星空になっているのは、まあロマンチックな雰囲気を出しているものとして理解できる。しかし、缶入りのお茶を手渡しにする、その手と缶だけが描かれたコマの背景が星空になっていたり、渡された缶を手に大声で感謝するトモヤのフキダシの中が星空になっているというのはわけがわからない。贔屓目に見ても、あまり場にそぐわない効果だ。

漫画的な表現のうちで僕が気に入っているのは、むしろオーソドックスでありふれたものかもしれないほうの手法だ。フキダシを話者の位置からずらして配置することによって独特の効果を生むというやつだ。浮気調査をしている実和子にトモヤが声をかけて呼び止めた場面では、極端にフキダシをずらしておくことによって、コントでツッコミを入れられたボケ役が一瞬狼狽しているかのような間を作っている。もっと好きなのは、実和子がみどりの心情を思いやり、浮気の真相を明らかにして彼氏の悪事を暴き立てることがみどり本人のためにはならないという意味でためらいの気持ちを見せる場面だ。みどりの彼氏のことを冷たく突き放すトモヤのフキダシが次のコマの実和子の頭に被り、実和子自身のフキダシがさらに次のコマへ遅れてやってくるという、フキダシの時間差配置をやることで実和子のなかの相反する心情を際立てている。さらにこの箇所では、直前まで何コマか連続して話者の目線を隠した構図のコマが続き、この実和子の横顔のコマに至って彼女の黒目の微妙なかすれ具合が、その含みのある心情へと読者の注意を一息に引き寄せるという効果も重ねられている。こういった手法はおそらく独創でも何でもなく、少女漫画の世界で古くからあるものに違いないだろうけれども、少なくとも僕にとっては急に背景が昼だか夜だか区別がつかなくなったり、星がチカチカしたりするわけのわからない表現よりも、ずっとしっくりきて馴染みやすいものだ。

絵柄については、何を差し置いても主人公実和子の可愛さについて言及しないわけにはいかない。丁寧に手を入れられた下睫毛や口元の描線とトーンワークの繊細さといい、冒頭のだらしない姿態といい、媚びることなく毅然とした顔つきといい、どう見ても気になって仕方がない美人だ。扉絵には、可愛い女の子にあえて似合わない変な恰好をさせてみたといった感じの作為しか感じられない。作品中のモテないという設定は、前述したような実和子の気持ちの独特の傾向を計算に入れても、この容姿に目を向ければやはり説得力が足りないと言うほかないだろう。

結論としては、重苦しい友情一本槍で終始押し通している表題作よりも、軽妙なノリの読切のほうがずっと僕の好みで、したがってこのその彼、調べますを読むために本書をたまに引っ張り出してきて読み返すことになるだろう。僕にとってはそういう一冊だ。

Rating
8/10