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Madwoman of the Sacred Heart

Madwoman of the Sacred Heart: Cover
  • Madwoman of the Sacred Heart
  • Writer: Alexandro Jodorowsky
  • Artist: Moebius
  • Publisher: Humanoids
  • Release: December 2010
  • Size: 19.7cm x 26.8cm
  • Format: Hardcover
  • ISBN: 9781594650987
  • 192 pages
  • $29.95

レビュー

La Folle du Sacré-Coeur の英訳版。 Les Humanoïdes AssociésFnac をちらっと参照した限りでは、もともと Le Coeur couronné と題されたシリーズでもって刊行された三巻の内容を収録し、第1巻のタイトルを取って一冊にまとめたもののようだ。あらすじは、ソルボンヌの老教授が教え子の狂信的な女学生に翻弄され、連れ立って壮大かつ荒唐無稽な逃避行をした挙句に自分自身の生まれ変わりとでも言うべき神秘的な体験をするというもの。いろいろな意味で型破りな作品であるため、上手く要約するのが難しい。簡潔に紹介してしまうと誤解を招くだけかもしれないが、あえて一言で言うならストーリー性の強いエロ漫画だ。

時代はベルリンの壁が崩壊した翌年の1990年で、変革を予期する当時の世相を背景としているようだ。とは言っても、この作品は体制を打倒するとか、人びとに訴えて社会を改革するとかいったような政治的、社会的な行動とは無縁だ。筋立ては救世主の誕生を期待させる展開でありながら、実際に救世主が君臨して世の中をどうこうするといったことにはならない。あくまで中心となるのは主人公の抱えた葛藤であるように見える。しかしながら、主人公の道中には偶然では片付けようのない奇跡と思しき神秘的な出来事が満ちている。さらにエピローグの部分では主人公の意図を超越した存在が幕を引く形で登場している。まるで全体の出来事が神の意志によって執り行われた奇跡の連続であったかのような示唆が強烈な余韻を残して物語を締めくくっている。したがって、この漫画は全体としてこういう話だとまとめるのが難しい。解釈のポイントをどこに置くかによって変わってくるだろう。また、作者はことさらに低俗な描写をちりばめることによって読む側の真剣な理解を拒んでいるんじゃないかとさえ思える節もある。かなりの程度で読者を煙に巻く作品だと言って間違いはない。

読めばわかるような登場人物の設定について、本当はあまりくだくだしく書きたくない。しかし、この漫画の登場人物はあまりに突飛なものばかりで、ある程度に立ち入って説明しておかないとレビューのしようがないと思うので紹介しておこう。主人公のアラン・マンジェルはソルボンヌで哲学を専門としている高名な大学教授。60歳の誕生日に奥さんから屈辱的な形で離婚を突きつけられる。その直後から教え子のエリザベスに言い寄られ、彼女を妊娠させてしまう。責任感と愛情から彼女と行動をともにすることとなり、ほかの二人の仲間とともに狂気じみた妄想のもとで放浪をすることになる。エリザベスはマンジェル教授の講義を熱心に聴講する学生のうちの一人で、ある日、神の啓示のようなビジョンを見たことから自分の使命を知る。すなわち、自分をルカによる福音書に登場するエリサベトに、マンジェル教授をザカリアに見立て、新時代の洗礼者ヨハネを誕生させるというもの。ムハンマドはエリザベスと同様に神秘的なビジョンを見たアラブ人で薬物中毒の男。自身を聖母マリアの夫であるヨセフに見立てている。ロザウラは、コロンビア人の麻薬密売組織を仕切るボスの娘で、自身を聖母マリアに見立て、新時代のイエスを誕生させることを目論んでいる。エリザベスとムハンマド、そしてロザウラの三人は洗礼者ヨハネとイエスを誕生させて世界を救うという狂気の妄想を完全に信じ込んでいて、そこへ常識人のマンジェル教授が巻き込まれるといった関係になっている。……というように、登場人物の紹介をしただけでも、この漫画がどれだけ荒唐無稽の内容かということが覗えるだろうと思う。この一味の狂信的妄想をどう受け止めるかということは、マンジェル教授の視点から見ると筋立ての展開とともに移り変わるようになっている。狂信的妄想をどれだけ共有するかという度合いの変化が、マンジェル教授の良識とのギャップによってユーモアの元になり、また教授自身の抱えているエゴとの葛藤にも影響を及ぼしている。マンジェル教授は最後の最後まで理性を失うことはないので、筋立ての点から見れば、一味の狂信的妄想は絶えず教授の葛藤を引き起こす便利な道具として使われていると言える。

マンジェル教授の抱えている葛藤についても込み入った説明をしておかなければならない。高名な大学教授が教え子を孕ませて、放浪の旅に出るといった表層だけに着目すると、まるで高潔で禁欲的な人物が淫欲に負けて堕落してゆく過程を辿る物語のように見えるけれどもそういう単純な話ではない。マンジェル教授の深層心理には少年時代に受けたユダヤ式割礼によって変形したエディプス・コンプレックスがあり、父親への反発が転じて父親の姓を受け継がせること、つまり子供を作ることへの激しい拒絶が抑圧になっていた。もっとも、このことは8年前まで自分では気づいていなかったことで、長いこと子供が出来ないことを奥さんの体質のせいにしてきたマンジェルが病院で精子の検査を受けて不妊の原因が自分自身にあったことを知り、そこで初めて自分の深層心理の抑圧をはっきりと自覚することになった。傷心のマンジェルはユダヤ教に屈服する形で回心し、セックスを神への贈り物とする考えを受け入れ、性的不能に甘んじることで精神の安定を保ってきた……ということらしい。ユダヤ教について疎い僕にはこの辺りの意味がいまいちよくつかめないんだけれども、とりあえずはそういうことになっている。さらに、マンジェル教授の本名はもともと Alan Zacharias Mangelowski であり、上記の心理的抑圧からのちに Alan Mangel へと改名している。マンジェル教授とエリザベスはそれぞれ、洗礼者ヨハネの父ザカリア(Zacharias)と母エリサベト(Elisabeth)に偶然にも名前が一致するというわけだ。

マンジェル教授の葛藤の変遷に着目すると、この荒唐無稽な物語の筋立てを最もよく理解できるように思える。初めは単純に言えばエディプス・コンプレックスだったものが、次第に形を変え、究極的にはいったい何が葛藤の元になるのかということだ。マンジェル教授はエリザベスに強引に迫られることでインポテンツが治り、子供を作る機能も回復する。エリザベスは単に洗礼者ヨハネを身ごもりたいだけではなく、本心からマンジェル教授を愛しているので相思相愛でハッピーエンドのように思えるけれども、現実の放浪生活はそんなに甘くない。エリザベスとその一味の抱く狂信的妄想は到底受け入れがたいもので、馴染めるはずもない。また、生活のための費用をどう捻出するかといった問題もある。さらにロザウラの父親絡みでコロンビアのゲリラと渡り合うことにもなる。この漫画の筋立ては表層的な特徴、すなわち過激だったり下品だったりする表現を除いて、終始一貫した筋を見出そうとするならば、マンジェル教授の葛藤が究極的にどこへ行き着くのかということになるだろうと思う。僕の単純化した理解では理性とエゴの対立ということになる。マンジェルが最後に体験することになる生まれ変わりはこの理性とエゴとの対立を消滅させるものということになるんだけれども、ここが僕にとっていまいち納得できない箇所だ。マンジェル教授の再生体験は、そもそも本質的な解決になっていないだろうとしか思えない。脚本を担当したホドロフスキーの中ではこれでいいということになってるのかもしれないが、僕には納得できないところだ。

話の筋は表層をさらっと読み流しただけでもかなり奇抜でちょっとほかの漫画では味わいがたい感銘の残るものになっている。最初は象牙の塔を舞台にしたセンセーショナルなスキャンダル。続いて、身元を隠して背徳的な儀式に明け暮れるカルト集団の狂気。さらに、麻薬密売に関わる国際的なギャングと対抗組織、及び軍隊まで絡んだ戦闘。ついには、南米の人里はなれた秘境で宗教的な覚醒を求めて勤しむ求道者の苦行……といったように、まるでジャンルの異なる映画の脚本を繋ぎ合わせたかのごとく、キャラクターはそのままに話の舞台がどんどん移り変わってゆく。話の細部に疑問があっても、荒唐無稽な描写にリアリティを削がれる思いがしても、少なくともマンジェル教授が心底葛藤に苦しんでいるということはよく伝わり、財産も社会的地位も捨てて本質的な問題に至ろうとする点には何とも言えない感銘がある。しかし、筋立ての真骨頂は実はエピローグの部分にある。マンジェル個人の内面に凝縮するような筋を延々と辿って来ながら、最後に全体を引っくり返すというか、全体を包んでしまう、そういうキャラクターが登場する。最後の数ページほどになって初めて出てくるにもかかわらず、最も強烈な印象を残すキャラクターであり、作品全体の理解を否応無しに決定付けるものになっている。この最後に登場するキャラクターについては、アイデアそのものはありがちなものと言えるかもしれない。ファンタジー作品などで、主人公が異世界から帰還したのち、誰も自分の冒険を知らないし、説明しても信用するはずのない現実世界において、実は異世界の痕跡が現実世界に入り込んでいて密かに息づいていることを読者にだけ示唆して余韻を残す、といった類のものだ。ただ、この作品ではこの一点だけで全体の評価を左右しかねないほど重要な役割を担っているため、初めて読んだときには仰天した。

この漫画のユーモアで特徴的なのは、狂信的な妄想が現実とどう折合いをつけて表現されるのかということだ。つまり、エリザベスとその一味は現実的な障害に突き当たったり、マンジェル教授を説得したりする場合に自分たちの信仰に基づく論理、言い換えればこじつけと強弁でもって切り抜けていて、決してひるむことがない。自分たちの信仰を微塵も疑わないので、その確信犯的な態度と常識人マンジェルの組み合わせが時に予想外のユーモアをもたらすことになる。このストーリーの一つの山であり、ユーモアという点でも際立っているのが、マンジェルがサクレ・クール聖堂へ忍び込んで香油を盗み出し、自身の洗礼の儀式のために使うというくだり。連中の考える「洗礼」の儀式で香油は頭に注がれるのではなく、アナルセックスの潤滑油として使われている。

ストーリーの上での欠点を挙げると、ご都合主義的な箇所がいくつかあるということだ。マンジェルたちが現実的、社会的なトラブルに出くわしたとき、しばしば奇跡的な出来事が起こって危険を回避するということがある。それらがある程度には神の意志のようなものを持ち出して理解できるのに対して、それでもちょっと無理があるところも見られる。終盤でソルボンヌに帰還したマンジェルが生まれ変わった自分の身を隠すために仮装しているんだけれども、誰一人としてマンジェルの姿が変わっていることに気がつかないということはありえないだろう。また、その場面でマンジェルが偽善的な大学世界を痛烈に批判する言葉をぶちまけているが、これはかなり唐突で取って付けたように安直に聞こえる。序盤でソルボンヌを飛び出す前にそういう前置きをやっておくべきだったと思う。

絵については、カラリストが別にクレジットされているのでメビウスが彩色したわけではないようだ。色のつけ方は部分的にかなり大雑把で興醒めしてしまう。序盤の大学構内の場面など、明るい照明の光が暖房の効いた冬の室内の暖かい雰囲気を醸し出している箇所などはなかなか悪くないと思うけれども、ちょっと暗い夜の場面になるとひどい。建物の壁も床も同じ色でベタッと着色してしまっている。人物は背景と微妙に違う色を選んでいても、髪の毛から着ている物まで無頓着に同じ色で済ませている。オリジナルの第3巻にあたる部分ではそれ以前と比べてはっきりと絵柄が変わっている。キャラクターが丸みを帯びた垢抜けたデザインになり、全体的に絵が小さめ。コマ割りも縦に5段のページが多くなり、テキストがかなり詰め込まれている。意図的なスタイルの選択の結果というのではなくて、刊行に時間がかかってその間にメビウスのスタイルが変化したところに理由があるんじゃないかと思える。書店で誰でも買える日本の漫画と決定的に違う点は性器をかなり克明に描写していることだ。年寄りの決して見映えのしない裸体も躊躇なく描いていて何の遠慮もないのが潔い。ただし、全体的に言えば僕はメビウスの描く絵に大して心惹かれないまま読み進めてゆき、最後の最後に登場する例のキャラクターを見て初めて惹き付けられた。神秘的であり、不気味でもあるこのキャラクターだけは大いに気に入った。背景などはかなり適当で、色といい、輪郭の大雑把さといい、ファミコン時代のゲームのグラフィックを彷彿とさせる箇所も多い。

この漫画は、メビウスという名前を知ってはいても実際に読んだことのなかった僕のような読者にとってはかなり意外で先入観を覆される内容だ。ストーリーをどう評価するかという問題はさておき、漠然とメビウスという漫画家は何か高尚な作品ばかり手がけているんじゃないかと思い込んでる読者を仰天させるのは間違いない。

Rating
8/10