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The Stuff of Legend, Book 1

The Stuff of Legend, Book 1: Cover
  • The Stuff of Legend, Book 1: The Dark
  • Writer: Mike Raicht & Brian Smith
  • Artist: Charles Paul Wilson III
  • Publisher: Random House/Villard
  • Release: April 2010
  • Size: 20.3cm x 20.3cm
  • ISBN: 9780345521002
  • Format: Softcover
  • 128 pages
  • $13.00

レビュー

魔物にさらわれた少年を救い出すためにおもちゃの一行が異世界を探索するという内容のダークファンタジー。ストーリーの基本的なアイデアや多くのキャラクターの性格設定などはありふれたもので、お世辞にもオリジナリティーに溢れているなどとは言えない。しかしながら、作者は自由自在の構図と的確で緻密な表情の描写によって巧みに読者を作品世界に引きずり込み、飽きさせることなく話を紡いでいく。期待される読者の先入観を利用した筋立てにはほとんど仰天すると言っていいくらいの驚きがある。また、虚構の作品世界が層を成すように異なった小世界を持っていて、めくるめくような没入感を体験させてくれる。表紙を一瞥して子供向けの童話のような漫画だろうと高をくくった読者の度肝を抜くに違いない一冊だ。

物語の背景となるのは1944年のブルックリン。夜更けに部屋へ忍び込んできたブギーマンという魔物に少年がさらわれるところから物語は始まる。そして、少年が日頃遊んでいた部屋の中のおもちゃたちが救出のためのチームを結成し、ブギーマンのいるザ・ダークという世界へ旅立つというのがこの本のプロローグ。このプロローグ及び第一章を読めばほとんどの読者は、ある二つの映画作品との類似点に気づかずにはいられないだろう。おもちゃが人間の目を盗んで言葉を話したり、動き回ったり、さらには秘密の目的のために行動するという設定はアニメ映画のトイ・ストーリーそのものだ。さらに、少年救出チームのメンバーはトイ・ストーリーの主立ったキャラクターたちと部分的に種類までかぶっていてとても偶然の一致とは思えず、設定を借りたと言っていいんじゃないかと思う。もう一つ思い出される映画はプライベート・ライアンで、これは第一章で繰り広げられる戦争がノルマンディー上陸作戦を模していること、さらに一行の目的が戦闘に勝利することよりも味方の救出にあるということがその理由だ。

トイ・ストーリーはともかく、プライベート・ライアンとの類似点については実は模倣でも何でもないもっともらしい根拠がある。それは少年が連れ去られたザ・ダークと呼ばれる世界がどのような論理でもって造られているのかということに関係している。ザ・ダークはいわゆる死後の世界ではなく、魔物の巣食う闇の世界というわけでもない。少年が日頃おもちゃを使って遊んでいたときの空想の世界がそのまま反映されている。まだ第二次世界大戦が終結する以前、父親がヨーロッパ戦線へ出征している少年の心の中でノルマンディー上陸作戦がどのような意味を持っていたかということを考えれば、そして魔物にさらわれた少年をおもちゃたちが救出するという設定を取るならば、プライベート・ライアンとの類似は必然的と言えるんじゃないだろうか。

少年の日頃の空想世界を反映しているというこのザ・ダークの特徴は、第二次大戦当時の状況に則して客観的な裏付けがあると同時に、一方では恣意的でたわいのない誤謬も含んでいる。第一章でおもちゃの一行とザ・ダークの軍勢が戦闘を繰り広げる場面は明らかにノルマンディー上陸作戦を模しているにもかかわらず、章のタイトルは The Battle of Brooklyn Creek となっている。父親が兵士として赴いているノルマンディーと、少年の住む地元を流れている河川が直に続いているという矛盾が、別に矛盾として意識されることもなく構成されているということは子供の心の中の世界ならではのものであり、このザ・ダークという世界の特徴が持つおもしろい側面だ。第二章の舞台となる街を支配しているのが一人の市長で、肩書が市長であるにもかかわらず、警察権と裁判権を併せ持ち、法の濫用でもって専制君主のように振舞っているということも子供の空想ならではの設定ということなのかもしれない。

ザ・ダークはこの世のどこでもない幻想的な世界のように見えるけれども、そこにおける死は取り返しのつかない本当の死として扱われている。つまり、現実世界で人間が死んだらそれっきりであるのと同様に、ザ・ダークでおもちゃが死ねばそのおもちゃはそのまま現実世界に帰って来れないということになっている。おもちゃというものは現実世界では命を持たないただの物であって、本来は生や死など問題になるはずがない。作者はザ・ダークにおいてまるで人間のように生き生きと活動するおもちゃたちに対して、現実世界でのおもちゃの扱われ方と比較する視点をたびたび持ち込むことによって、ともすればおもちゃが生と死の意味に目覚めるんじゃないかと期待させるような瞬間を盛り込んでいる。実際には作者はこの点にそれほど深入りしないんだけれども、まるで洗脳された患者が目覚める瞬間に立ち会うかのようなちょっとしたスリルがある。

第一章のストーリーは前半と後半で緊張の度合いがまるで異なる。おもちゃの一行がザ・ダークの軍勢を相手に繰り広げる戦争は全員入り乱れての取っ組み合いのようなものであり、数の上で圧倒的に不利であるにもかかわらず、勝利を収めてしまう。ほとんどおとぎ話のように牧歌的でリアリティのない戦争だ。しかし、勝利の余韻も束の間に不意打ちのような一撃がおもちゃの一行と読者を襲う。これは子供向けの物語のお約束を裏切るショッキングなものであり、この出来事一つをもって「ダークファンタジー」と呼びたくなる所以だ。そして、ブギーマンがおもちゃの一行の中の一人に対して誘惑し、裏切りの取り引きを持ちかけるというのが第一章の引きであり、第二章を通してクライマックスまで牽引するサスペンスの根拠になっている。この漫画では、外からは窺い知ることの出来ない個別のキャラクターの内面を描くということを一切やらないので、本当に最後の最後まで裏切りが行われるのかどうかわからない緊迫した筋立てになっている。第二章は人びとが永遠に等身大のすごろくをやり続けるホップスコッチという奇妙な街が舞台となる。おもちゃの一行が専制的な市長の支配下に置かれ、絶体絶命的な状況をどう切り抜けるのかということが問題になる。第一章が力による行軍であったとするなら、第二章は知恵による革命とでも言うべきもの。実際に困難な状況を切り抜ける上で用いられるアイデアは大したものではないけれども、ザ・ダークの中のさらに小さな街の中という閉塞した環境からの逆転劇は拍手喝采ものの爽快感がある。

登場するキャラクターは味方の一人を除いて決して個性的でもなく、よく練られているとも思えず、むしろこの手のファンタジーやおとぎ話にとって類型的といえるものが揃っている。味方の面々について言えば、ある者は血気盛んで猛々しく、ある者は思慮分別に欠け、享楽的であるというように、キャラクターのあいだでの違いという意味ではそれなりに描き分けがされてはいる。しかしながら、個別のキャラクターについて深く掘り下げるということをせず、複雑な側面などを垣間見る機会がないので、どのキャラクターもかなり素朴で読んでいて予測のつく範囲の内での言動しか見られない。敵のキャラクターについても同様。親玉のブギーマンが手下の落ち度を咎めるにあたって極端な仕打ちをためらわない、よくある非情の悪役の典型であれば、下っ端のキャラクターたちも権力庇護に甘んじて増長するだけのよくある悪の手下の典型でしかないと言える。

少年救出チームのことをこれまで便宜的に「おもちゃの一行」と書いてきたけれども、実際にはおもちゃだけではなく、部屋の中で少年と関わりの深いものたちが参加している。したがって、少年の家の飼い犬も含まれている。そして、チームの中にはパーシーという名前の豚の貯金箱もいて、これこそが最も巧妙で効果的に使われているキャラクターだ。巧妙というのは、これが作者の考案によるオリジナルのキャラクターではなく、ありふれた雑貨であるにもかかわらず、その特徴を大いに活かす形で筋立てにおいて重要な役割を担っていて、ほかのキャラクターでは替えの利かない立場にあるということだ。豚であり、同時に貯金箱でもあるという二つの特徴を併せ持っていることは、臆病や貪欲などのドラマ作りの上で役立つ性格にもっともらしい根拠を与えている。これが独自の考案に基づくキャラクターだったならば、ストーリー上の必要に応じて用意されたただの恣意的な設定のキャラクターともなりかねない。このパーシーの立場は、芝居の役柄に対する役者の関係で言うところの「はまり役」のようなものだ。作者がこのストーリーに必要なキャラクターとしてこの豚の貯金箱を用意したのではなく、むしろ逆に、この豚の貯金箱を十分に活かすための筋立てをストーリーの中に用意したんじゃないかと思えるほどに寸分隙なくはまっている。

絵はこの漫画にとって間違いなくストーリー以上に重要な役割を果たしていて、話の筋の緩急に拠らず、絶えまなく読者を惹きつける魅力に満ちている。実際、読み終わったあとで思い出してみるとおもしろさの割に話の筋があまりに単純だということに驚かされる。大して重要ではない場面でも退屈することなくいくらでもコマの中に視線が引き寄せられるのはどうしてなのか、自分でもずいぶん不思議に思った。正直言って絵の分析は苦手なのではっきりこうだということは言えないけれども、その根拠をいくつか考えてみた。セピア調の色彩で統一されたページは明暗が見やすさのアクセントになっていて、特に顔の表面のわずかな凹凸まで陰影を施す丁寧な描き込みが臨場感を増している。これは色を自由に使えないセピア調ならではのことなのかもしれないが、いくつかのコマでは自然な光の当たり具合とは思えないライトアップのようなことをあまり大げさではない程度にこっそりやっていて、ドラマチックな演出に成功している。初めて表紙の絵を見たときには、この作品はキャラクターから背景まで徹底的に描き込むスタイルで、ひょっとしたら見た目に繁雑で読みにくいんじゃないかと心配したけれども、実際には逆でこれほどスラスラ読めてしまう漫画も珍しい。背景はよく描き込んでいるというよりはむしろすっきりしていると言っていいくらいだ。読みやすさの根拠としては、キャラクターの輪郭が比較的シンプルな線で縁取られていて、さらに隣接する縁の部分は陰影を調節してほかのキャラクターや背景と混ざらないようによく配慮されていることなどが挙げられる。絵柄については、何といってもキャラクターの表情の表現が巧みで、特に豚のパーシーの百面相とでも言うべき自在な感情表現が凄い。体型も目鼻口の並びも豚そのものだけれども、目つきが人間そのもので写実的な描写がこの点に極まっている。ある場面では、単なる表情の写実的な描写を超えて、行為の意味するところのメタファーを、懺悔や改悛をモチーフとしたキリスト教絵画のように荘厳な趣きとともに描いている。悪役として登場する一部のキャラクターたちの意地の悪い誇張された笑顔は、まるでヒエロニムス・ボスの絵から切り取ってきたかのようだ。写実的ということではこれよりもっと緻密で写実的な絵を描く漫画家はほかにいくらでもいるだろう。しかし、漫画的なデフォルメと写実性の折合いということではこの漫画のスタイルはほとんど頂点に位置しているんじゃないかと思える。おもちゃの一行はザ・ダークにおいては、表紙に描かれているようなありのままのおもちゃの姿と違って、それぞれ生物として現実化された姿で描かれている。実は表紙の絵はほとんどギャグだと言ってもいいくらいで、これがこの作品の数少ないユーモアの元になっている。

僕がふだん海外の漫画を読むときはまず手に取って最初の何ページか読んでみて、おもしろそうか、それほどでもないか、おもしろそうだけどじっくり腰を据えて時間のあるときに取り組むべきか、ただちに本棚の肥やしにするべきかなど、大雑把な見当をつけておくのがいつもの習慣であって、どんなにおもしろそうな本でも初めて手に取ってそのまま読み切るということはしない。しかしながら、これに関しては例外であまりに内容がおもしろく、しかも読みやすいので途中で中断することが出来なくなってしまい、一息に最後まで読み耽ってしまった。ほぼ間違いなく僕にとってこれが今年の一冊ということになるだろうと思う。

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10/10