kosame.org

国内外の漫画を読んでレビューを書くウェブログ

ルート225

藤野千夜・志村貴子『ルート225』
  • ルート225
  • 著者: 藤野千夜・志村貴子
  • 出版社: 講談社
  • 発行日: 2008年4月23日
  • 判型: B6判
  • ISBN: 4063731146
  • 284ページ
  • 680円

レビュー

藤野千夜の原作小説を元に志村貴子が漫画化。パラレルワールドへ迷い込んだ中学生の姉弟を描くジュブナイル。ある日、エリコとダイゴは住み慣れたはずの街のなかで帰り道に迷ってしまう。その不思議な体験を境にして両親の行方がわからなくなってしまった上に、自分たちを取り巻く世界が微妙に変化していることに気がつく。ルート225はこのふたりの姉弟が両親のいる元の世界へ戻るためにあれこれと苦心する日々をたどっていく漫画。友人や家族との関係の機微をめぐる不安や内省のなかに、子供らしい感性を生き生きと、そして時にユーモラスに浮かび上がらせた傑作。

この漫画のなかでSF的な設定として仕組まれているパラレルワールドは、何よりもまず主人公によってオルタナティブな人間関係の具現化として受け止められる点に意味がある。元の世界とパラレルワールドとのあいだには、エリコが普段は無くすはずのない定期入れを道に落としていたとか、ダイゴの好きなプロ野球選手が微妙に太って見えるといったような比較的どうでもいいような違いもないわけではない。しかし、さまざまな違いの中から、主にエリコによって気づかれていくのは元の世界とは違う自分自身の人間関係の痕跡であり、内省のきっかけとなるものだ。つまり、具体的に何がどう違っているのかということよりも、その違いを人間関係におけるオルタナティブなあり方としてエリコが受け止めること、そういうエリコの姿勢こそがこの作品のテーマにとって重要な点になっている。パラレルワールドにおける両親の失踪に関わる設定は特徴的で、これは元の世界とのあいだのその他のいろいろな相違点とは扱いが異なる。元の世界では健在だった両親がパラレルワールドではある日突然蒸発してしまったなどというのとは違って、同じ世界にいるはずなのに何故か直接会うことが出来ないという、かなり奇妙な現象となって現れている。ある条件のもとでは何故か母親と電話で話をすることが出来るということが、ふたりのいる世界をパラレルワールドだとはっきり認識させると同時に、ふたりに是が非でも元の世界へ帰りたいと願わせ、あれこれ試みさせることにつながっている。その意味で、この特徴は姉弟の行動や推測を促して話を進めていく役割を大いに担っている。

一読して気がつくこの作品の話のすじ(プロット)の特徴は、リアルタイムで進行する出来事のあいだに時間の順序で少しあとの出来事を先取りして挿んでいるということだ。これは主に連載の各回において、全体の話のすじのなかでその回の話のすじが持つ意味をぼやけさせず、メリハリをつけるうえで役立っていると言っていいと思う。こういう時系列が入れ替わっている箇所は三つあるけれども、これらはすべてその回の話の(テレビドラマやアニメで言うところの)アヴァンタイトルを成している。いなくなった両親が帰ってきたのかと誤読させておいて実は現状はこうだというように突き返して読者に印象付けている部分はアヴァンタイトルならではの見せ方。しかし、一般的に言ってあとの出来事を先取りして描くことは必ずしも効果的とは限らない。結果の是非が重視される出来事を描く場合に、先に結果を読者に知らせ、続いてその過程を辿るというのはともすれば興ざめになりかねない。例えば、この漫画では姉弟が母親と再び連絡をとろうと苦心する際に、実際に母親と電話が通じる次の日の場面を前もって描いてしまうところがそれにあたる。これは登場人物が抱えているさしあたりの問題や経験する出来事の軽重よりも、全体の話のすじの流れにおけるその回の話のすじの持つ意味や進展度を重視した時系列の入れ替えといっていいんじゃないかと思う。つまり、エリコやダイゴにとっては苦手なおじ夫婦が家にやってくることとか、母親と再び電話で話せたことなどは普段の生活から見て重大な出来事のはずなんだけれども、そういった出来事を時間の順序のとおりに各話のなかに配置するのではなく、ふたりがパラレルワールドについて知っていく過程の区切りとしての意味を各話のヤマが持つように配置換えをしている、そういう話のすじになっている。この漫画の話のすじの中心が、パラレルワールドの実態について姉弟が知っていく過程だということをふまえれば納得のいく仕組みだ。

この漫画の持つ設定でいいところは、エリコとダイゴが元の世界に戻るための条件に倫理的な意味を持たせていないことだ。パラレルワールドにおいてエリコは自分ではない誰かが自分として振舞った人間関係の痕跡を発見し、それが内省のきっかけとなるわけなんだけれども、その行いに報いるような形でふたりが元の世界へ帰れるようになるという話にはなっていない。友人との仲を修復したから元の世界に帰ることが出来たというような話だったらどれだけつまらなくなっていただろう。もちろん、作者はそのような読者の予想を充分承知していて、登場人物の口を借りてふたりの姉弟のことを「学級文庫の主人公みたい」などと言わせている。しかしながら、このストーリーのSF的な設定はあくまでエリコとダイゴの人間関係における繊細な感性を引き出すために用意されている。とはいうものの、パラレルワールドにふたりが迷い込んだのがまったくの偶然だったとは考えられない。当時ふたりが置かれていた状況と互いの関係を想い起こすと、ふたりの倫理的な問題がその後の異変と無関係のはずがない。したがって、この漫画のSF的設定が行きと帰りの因果関係に対応がない中途半端なものに思えたとしても仕方がない。

SF的設定の中途半端さはこのストーリーのクライマックスとエピローグとの関係にも反映されている。クライマックスが肩透かしなものであるのに対して、エピローグはここで作品の価値が決定するといってもいいくらいに充実している。パラレルワールドにおける他者と自分の期待する他者とのあいだのずれを、元の世界とパラレルワールドとの違いに還元して理解するのではなく、エリコが他者とは変化しうるものだという認識にまで到達し、それを受け入れていることがショッキングでもあり、感動的でもある。それまでさんざんエリコの気を揉ませた元の世界とパラレルワールドとのあいだのさまざまな違いを捨て置かせ、本質的に重要なものは何かということを抜き差しならぬ形で、この若い主人公に突きつけ、その本質と引き換えにすべてを受け入れさせているからだ。

ルート225は一読しただけではわかりづらいところもあって取っ付きやすくはないけれども、最高にいい漫画だと言うほかない。

補足

漫画化に際しての間違いと思える箇所が一つ(あるいは二つ)ある。141ページの2コマ目でダイゴは左胸に「24」と書かれたシャツを着ているが、これはその日ではなく次の日に着るはずのシャツだ。このページが含まれる第6話「じゃないかもしれない」はカラーページで始まっていて、ちょうどそのカラーの4ページに描かれた部分だけが後続のページに描かれた部分の次の日の出来事になっている。カラーページが終わって日付が戻ってからもダイゴに同じシャツを着せてしまうというミスをしているわけ。エリコが二日続けて同じ恰好をしているのはともかく、ダイゴは同じ日の出来事を続けて描いた後のページでは違うシャツを着ているので、やはりまちがいということになると思う。

整理するとこうなる。141ページの最初のコマでエリコが手に持っているのはついさっき新しくおろしたばかりのテレカ(128ページ参照)。つまり、これはまだ日曜日の出来事。はじめは駅(と思われる場所)で電話をかけたがつながらず、場所を替えて公園の脇の電話ボックスで試してみたけれどもやっぱりつながらなかったというやりとりのあとで、たまたまそこを通りかかったマッチョにでくわす。エリコの「今日うちに来た……マッチョ?」というセリフからもこれがまだ日曜日の出来事であることは明らか。エリコとダイゴはそのあとマッチョをつれて家に帰り、ことの次第を説明する。夜になっておじ夫婦がやってくる(152ページ1コマ目の屋外の真っ暗な背景、および123ページ4コマ目のエリコのセリフを参照)。ダイゴはこの日一日を通して、141ページの1コマ目を除いて、無地のシャツを「パンツにイン」のスタイルで着ていることに注目。158ページの3コマ目と4コマ目のあいだの幅の広いスペースが時間の経過を示唆していて、4コマ目以降は月曜日の出来事。マッチョの持ってきてくれたテレカで電話をかけまくるもやはりつながらないという、この一連のやり取りのあいだダイゴが身につけているのは「24」と書かれたシャツ。このダイゴの恰好は時間の順序ではこの直後に位置する前のカラーページで描かれていたときのものと一致する。つまり、ダイゴは日曜日には無地のシャツを、月曜日には「24」のシャツを(少なくとも日中、屋外に出ているあいだは)着ていなければおかしいということになるわけだ。

もう一つの間違いは160ページの2コマ目。ダイゴのシャツには「24」と思われる数字が書かれているが、これではまるで後ろ前に着ているように見える。この月曜日にダイゴが着ているのは前面には左胸に小さく「24」、背中のほうには大きく「24」とプリントされたシャツのはずなのでここもちょっとおかしいということになる。もっとも、ダイゴが一瞬でシャツを後ろ前に着なおしたんだとか、首を180度回すことができるんだという解釈をするならば間違いでも何でもなくなるけれども……。

最後に、このような指摘は作品の価値を何ら損なうものではないということを付け加えておきます。

kosame.orgは志村貴子さんを応援しています!

Rating
10/10
Recent Entries
  1. July 31, 2008 in Comics Reviews
  2. June 19, 2008 in Notes
  3. May 31, 2008 in Manga Reviews
  4. April 30, 2008 in Comics Reviews
  5. March 30, 2008 in Comics Reviews
About This Page

これは国内の漫画について書いたkosame.orgのレビューのひとつで、2008年8月16日に公開されています。その他の漫画レビュー同じ年に書いた記事のアーカイブなどもご参照ください。

My Current Favorites
ルート225
The Killer #4 Vicious Cycle Part Two