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Spent

Spent by Joe Matt: Cover
  • Spent
  • Author: Joe Matt
  • Publisher: Drawn and Quarterly
  • Release: July 2007
  • Size: 24cm x 16.7cm
  • Format: Hardcover
  • ISBN: 1897299117
  • 120 pages
  • $19.95

レビュー

これは著者ジョー・マットがカナダに滞在していた当時の自分の私生活を元にして漫画に描いたもの。アダルトビデオの偏執狂的なダビングや依存症のようなオナニーに明け暮れる中年男の情けない日常をユーモアとペーソスとともにさらけ出した作品。

著者自身が主人公であり、実在する漫画家たちが登場することからこれはノンフィクション作品であるかのようにも思える。実際、巻末の紹介文に書かれている著者の嗜好やカナダでの滞在期間などの情報はこの漫画に描かれている内容と一致していて、かなりの程度で事実をそのまま描いているものと受け止めていいように思わせる。とは言っても、この漫画はノンフィクションというにはこれといってたいした出来事も起こらず、ひたすら主人公ジョーの日常生活に密着した描写を繰り返しているといっていい内容だ。自叙伝というには対象となっている期間があまりにも限定されている。日記(漫画)と捉えるとしっくり来そうにも思えるけれども、巧みに挿入された少年時代の著者のエピソードがそういった単純な理解を妨げる。あくまでも主人公による単純な回想としてではなく、過去のエピソードを読者の注意を喚起する形で現在進行中の話に接続する手法からは、やはりジョー・マットという名前を持ち、漫画家を職業としながらも自堕落な生活を送っている仮構されたキャラクターに焦点をあてたユーモア作品ということになるだろうと思う。

ジョーの日常生活は友人から借りてきたエロビデオの編集とそのビデオでオナニーをすることが優先事項になっていて、漫画家とは名ばかりの休業状態。自堕落な漫画家というよりも、むしろエロビデオの編集とオナニーで時間をつぶしてばかりいる男が、たまたま漫画を描く才能も持っていたとでも言うべき異常性欲者だ。漫画家が漫画を描かないのならどうやって生活をしているのか疑問に思うところだけれども、そこがこの主人公の意外なところでもあり、ある意味では感心してしまうところだ。ジョーはトイレとバスが共同の安下宿に住んでいて、とても切り詰めた生活をしている。それでもある程度の支出は避けられないわけだけれども、その金は実は投資や預金に基づく利息から出ている。ジョーの狙いは利息だけで生計を立てることであり、そのために必要な元手(本人の言によれば10万ドル)をすでに蓄えてしまっている。これがジョーの憐れな生活ぶりからは信じがたいことだ。この部分は著者ジョー・マットが実際に一時期そういう生活をしていたのか、それとも誇張によるものなのかはわからない。著者自身の事実ならばすごいことだけれども、もし純然たるフィクションならばそんな大金に手をつけずに貧乏生活に甘んじていられるのは不自然だと考える読者もいるかもしれない。僕にとってはあくまでこの本の主人公が働かずに利息だけで生活したいと考え、友人とレストランに行っても何も注文しないで座っていられるというキャラクター描写の一つとして受け止めたいと思うので真偽の程は置いときたい。

ジョーの女性観及び性的嗜好は独特でちょっと興味を引くところがある。アダルトビデオを貸してくれる友人とのやり取りからは、(少なくとも見た目には)純真無垢な若い女の子が商用のポルノビデオに出演していることへの憐憫と、そしてそれを金を払って観ている自分への罪悪感とに苛まれていることがわかる。これは彼が高校時代に体験した異性への憧れと幻滅の入り混じったエピソードとも絡んで主人公のキャラクター描写としてもっとも重要なものに違いないんだけれども、それが物語としてうまく展開するまでには至らずに中途半端なまま投げ出されている。ジョーが友人たちにそのエロビデオ編集とオナニー漬けの習慣を知られていても大して意に介さず、むしろ開き直っていることからは彼が野獣のような留まるところを知らない変態と思うかもしれないが実際はそうではない。レストランで店内にいた15歳くらいの若い女の子を見初めたことを友人たちに咎められて本気で恥じ入ってたりする。エロビデオマニアが何を今さら恥じてるんだと思うけれども、これは日本とカナダ(アメリカ)との性意識の違いによるものかもしれない。

ジョーの友人として登場するセスとチェスター・ブラウンは実在の漫画家。ふたりとも良識ある大人の立場からジョーの言動に批判と忠告を加え、ときにはおちょくったりもする。チェスター・ブラウンは地下室に住んでいるらしく、セスのほうはどんな暮らし振りなのかは不明だけれども、ふたりとも決して裕福ではないだろうと思える。それでも漫画家の先輩としてジョーを教え諭すことのできる立場にいる。セスはチェスター・ブラウンにくらべてジョーに対してより辛辣で的確な批評を下していて、漫画家である以前に人格者といった印象を受ける。ジョーの歪んだ女性観や母親との関係についての彼のまっとうなコメントにはちょっとした感銘を受けた。チェスター・ブラウンのほうはセスにくらべて聞き手にまわっていることが多く、あまり突っ込んだ発言は聞けないけれども、一つだけおもしろい箇所がある。ジョーが日がなエロビデオの編集をしていることを揶揄する意味で、彼の名前をハーヴェイ賞のベスト・エディター部門に投票してみたらどうかと提案し、セスとふたりして大笑いする場面があって、そこがこの漫画の中で最も笑えたところ。もっとも、このジョークが実際にチェスター・ブラウンの発言によるものなのか、著者の創作なのかはわからないが。

著者はキャラクターが心の内で声に出さずに呟くということをさせず、ナレーションも入れず、それぞれの頭の中にあることをその都度語らせてしまうため、主人公のジョーが独りきりでいる場面では読者はかなり奇妙な一人芝居を見せられることになる。普通、自分の部屋でビデオの編集などをやる際にいちいち「再生」や「巻き戻し」といった操作をひとつひとつ声に出してやる奴はいないが、この漫画の主人公はそういった不自然な独り言を言わざるを得ない。この漫画のスタイルがそういう制約を強いているわけだ。その一方で、著者はそのわざとらしい独り芝居を利用してちょっとしたユーモアも生み出している。ジョーが自分の部屋で独りきりでいるならば本来どんなことをして過ごそうがそれを邪魔するものは何もない。とは言え、彼もあまりオナニーに耽ってばかりいる自堕落な生活を良しとしているわけでもない。中年男が自分の編集したエロビデオを手にして誘惑に抗おうか、それとも身を委ねてしまおうかと苦悩する様のおかしさはこういった独り芝居ならではのもの。

この漫画は四部構成になっていてそれぞれ異なった時期を舞台にしている。パート1は1994年のトロント。パート2は1980年のペンシルベニアから始まっているがこれは部分的に挿入されたジョーの高校時代のエピソードであって、残りの大半はパート1の直後と思われる時期のもの。パート3は1998年のトロント。パート4は2002年のトロントが話の舞台となっている。単に年代順にジョーの日常生活をスケッチしてみせただけのようにも見えるけれども、ある程度は各パートの区分にも意味付けがされている。パート1は主要な登場人物を導入するとともに、のちのジョーにとって大きな影響を与えたと言っていいのかもしれない少年時代の出来事を紹介。パート2はジョーの自宅での生活ぶりの描写。パート3は友人二人によるジョーへの批判。パート4は開き直りといってもいい自己肯定……といったように。ただいくつかの時期から選ばれた日記的な生活の叙述というわけではなく、ある程度には因果関係を持っていてそこがいかにも作品めかしてあると言えるところだ。とは言っても、パート4はそれまでさんざんジョーの苦悩やら煩悩やらを書き綴った結論としては弱い。ジョー自身がどんな意味においても変わることを拒んでいて結局のところ自分で自分を仕方なく肯定してしまうからだ。ジョーにとっての変化は、法外な値段を吹っかけて売り渋っていた古いコミックストリップをセスに売ったことくらいでほかは何も変わっていない。ただし、パート4ではジョーが途中で放り出していた原稿に取り掛かる場面があり、それがこの Spent そのものであることがわかってメタフィクション的なおもしろさが出てくる。それでも、物語全体としてはそういった仕掛けが特に功を奏するわけでもない。著者はまるで物語をどう終わらせていいのかわからなかったかのように唐突にしょうもない些細なエピソードでもって強引に締めくくっている。

ページを均等に八分割したコマ割りは、ほとんど独り言と会話のどちらかで話が進むと言っていいこの漫画では決して得策とは思えない。超高速撮影された連続写真をページいっぱいに並べたような変化に乏しい単調なレイアウトが続く箇所があってかったるくさせる。濃淡を使い分けた抹茶色と黒の二色をくっきりとした太い線で縁取るデザインはとても落ち着いていて、描かれている内容の割には清潔感がある。

まあまあおもしろい漫画。

Rating
6/10